いつもなら放課後バイトへ直行する水曜日、何故今日に限って真っ直ぐ家に帰ってきたのか少しは疑問に思わないのだろうか、あの女。
 近所のスーパーへの道を1人歩きながら、港は先ほどの出来事を思い出して舌打ちした。
 重い鞄を背負って帰宅した途端、「ちょうど良かった」と言う声と共に、非番だったか早出だったかの愛里に買い物用の財布を放り投げられた。買い忘れたとか言っていたが、醤油に油にミネラルウォーターに牛乳と、明らかに選んで買い忘れたとしか思えない。
 どうせバイクがあるのだから自分で買ってくればいいのに、と頭で思っていても口に出せないのは、幼い頃からの擦りこみによるものだろう。
 あの女だって、昨夜港の自転車がパンクしてしまったのを知っているだろうに。
 物心ついて以来、思えば姉に口答えをして無事に済んだことはないと、港はため息をついた。
***

 カートを押しながらレジへ向かおうとすれば携帯が鳴った。砂糖も買い足して欲しいらしい。
 たったそれだけのメールに記号を多用して飾りつける必要があるのかどうかという疑問は一先ず置き、港はカートの向きを変えた。
 子供がうろうろしている菓子売り場の前を抜け、調味料が並んでいる通路に辿りつく。目的の砂糖が並んでいる棚の奥にいた人物を見て、港はカートを止めた。
 ラフな格好だったが、見間違える筈もない。染めていないショートの髪に、棚の上を見上げる背の低い女。同じクラスの長島だった。
 港はなんでもない風を装って砂糖の棚の前へカートを押す。同じクラスだからと言って挨拶をしなければいけないこともない。元々長島が人と会話しているのを殆ど見なかった所為もある。それに、制服姿のまま買い物をしている姿を見られるというのも嫌だった。
 いつもの砂糖の袋をカゴに入れ、今度こそレジに向かおうとする。けれど、一向に動こうとしない長島が気になった。視線の先にあるのは、一番上の棚に載せられている白玉粉。ここのスーパーは、品揃えは良いのだが客に不親切な造りになっている。例えばすれ違うのがやっとな通路とか、初めてのお使いには到底向かないだろう高い棚とかだ。どうみても脚立がない限り、長島が自力で白玉粉を取るのは不可能な気がした。
 観察していると、やがて長島は意を決したのかついと手を上に伸ばした。当然届かない。棚に手をついて更に背伸びをするが、指が僅かに触れる程度で止まってしまう。どうするのかと港が見ていれば、長島は足元に置いていたカゴの中身を出してひっくり返した。
「何してんだ」
 驚いて思わず声が出る。足場にでもするつもりだったのか。港の声に、長島は今初めて他人の存在に気付いたような様子で振り向いた。
「港?」
 声を出してしまってから、港の頭を後悔が走り抜けた。けれど後から悔いるの文字通り、なかったことにはできない。
 カートはそのままに、港は長島のところまで歩み寄ると白玉粉を取ってやった。「これでいいのか」と目を合わせずに確認すれば、視界の端で頷くのが見えた。手渡しカートに戻ろうとすると、長島が港を見上げて僅かに笑った。
「ありがとう」
「…おう」
 耳が熱い。と言うよりも、全身が熱かった。足早にカートに戻りレジへ行き、よく袋が破けないものだと感心するほど重い荷物を下げて歩く道すがらも、ずっと耳は熱いままだった。

 同じクラスだったが、港が長島と喋ったのは今のが2度目でしかなかった。1度目だって、教師に長島を呼ぶよう言われてそれを伝えただけだ。あの時長島はちらと港を見て頷いただけだった。
 いつも静かで黒いカーディガンで、他の女子のように化粧をする訳でもなく、かと言ってただ地味という訳でもない。なんとなく、触れがたい空気を纏っていた。
 それがどうしてか、クラスどころか学年1賑やかなのではないかという峰崎といることが多かった。港の目から見れば、峰崎が一方的に絡んでいるだけだったのだが。
 もっとも峰崎は誰にでも絡んだ。港に対しても、席が前後だというだけで馴れ馴れしく話し掛けてくる。自分がとっつきにくい人間だと自覚しているだけに、港には峰崎の行動が理解できなかった。1年の時は友達のような存在はいなかったし、クラス替えがあった今でも峰崎以外で用もないのに話し掛けてくる奴はいなかった。
 早く席替えをしたかったが、担任は明日から始まる中間考査が終わるまで席替えをする気はないらしい。
 恐らくは世間一般の高校生が思うのとは別の意味で、港はテストが早く終わるように願わずにはいられなかった。



'08/07/30


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