IT BEGINS to MOVE.03
毎度思うが、この城はもう少し防衛に気を使った方がいいのではないか。大分薄暗くなった城壁を越え音も無く中へ入り、セレンは手を払った。
アンバーがいるのは兵宿舎の中でも一人部屋のある、少し上等なところだというのは知っていた。宿舎のある方へと駆けながら、時々立っている警備兵を避けて通る。案外あっさりと宿舎まで辿りつくことができた。ただ、セレンはどの部屋にアンバーがいるのかを知らない。下手な部屋を開ければ、呼び出すどころでは済まないだろう。宿舎の門の前で、セレンは少しの間立ち尽くした。
ルピがいれば中へ入れて探させることもできただろうが、生憎イオのところへ置いてきてしまっている。とりあえず中へ入ってみるか、と思った時、誰かが外へ出てこようとしているのに気付いた。灯りは持っていない。セレンは慌てて近くの木に姿を隠した。すぐに門から人影が出てくる。
アンバー、だった。音のしないように慎重に門を閉じている。人目をはばかるようにして歩くところを見ると、警備の交替ではなさそうだ。セレンは素早く動いた。
ナイフを取り出し、真っ直ぐにアンバーに飛び出していく。アンバーが気付き剣を抜くより先に、セレンはその首にナイフをつきつけた。アンバーがようやくセレンを目に止め、低く唸る。
「ってめぇあん時の」
「黙っていれば何もしない。俺はイオに言われただけだ」
イオの名を聞いて、隙を窺っていたアンバーの動きが止まった。「あいつに?」と短く言うアンバーに、セレンは黙って頷いた。
「あいつに何かあったのか」
「足を怪我している。自力で城まで戻るのは難しい。お前が連れて行け」
アンバーは迷っているようだった。当然だろう。前に会った時はいきなり斬りかかった相手だ。セレンの言葉を信じることすら難しいだろうから。けれどセレンは何も言わず、アンバーの首からナイフを引いた。アンバーはセレンを見、少し置いてから言った。
「あいつは何処にいる」
「スカンダロンの外れだ。早く行かないと夜明けまでに間に合わなくなるぜ」
アンバーがようやく剣から手を離した。そしてセレンを見下ろして、短く「連れて行け」とだけ言った。
***
暗い裏道、抜け道を通って走るセレンに、アンバーは何も言わずについてきた。足は速い。一人で駆ける時とあまり変わらぬ程の早さで、セレンはイオのいる場所までつくことができた。
中に入ると、真っ暗な部屋の中でイオの身じろぎをする音が聞こえた。イリスが点けたランプは、もう切れてしまったらしい。
「セレン?」
間の抜けた声を考えるとイオは寝ていたらしかった。イオの声を聞いて、アンバーが大股で声のする方へ歩く。セレンもその後について奥へ進んだ。イオが壁に寄りかかった状態で、足を投げ出して座っていた。
「アンバー?」
イオが目を細め、座ったままアンバーを見上げる。こちらに背を向けたアンバーがどんな表情をしているのかセレンにはわからなかったが、アンバーは大きく息をつきながらその場にしゃがみ込んだ。
「っとにてめーは」
ようやく、といった様子で絞り出されたその声に、笑って応えたイオの頭を小突くアンバーを見て、セレンは少し意外な感じがした。ルピが足を伝ってセレンの首に巻きつく。
ずっと仏頂面をしていたのは、一重にイオが心配だったからなのだろう。もっともそれはセレンがいたから、というのが大きいのだろうが、さっき人目を窺いながら抜け出していたのはイオのところへ行こうとしていたのではないか。そもそも、初見の時にセレンに斬りかかったのだって見知らぬ者が城内に入りこんでいたからだろうし。前ケイルの息子だとすれば今年で16、いくら成人しているとはいえまだまだ子供ではないか。
アンバーに対する印象を少し変えながらも、セレンは変わらぬ事務的な声で2人に言った。
「じゃれるのは戻ってからにしろ。行くぞ」
それを聞き、アンバーがまたセレンをじろりと睨んでイオを担ぎ上げた。もう少し丁寧に扱えと、イオが文句を言っている。イオがアンバーの背中に収まるのを確認してから、セレンは外に出た。
戻る最中、改めてアンバーの体力に舌を巻いた。夜道、それも決して通常なら通らぬであろう抜け道裏道を、人一人おぶってそれでもちゃんと走っているセレンの後についてきているのだから。いくらセレンが速さを落としているとはいえ、これには驚くばかりだった。
結局、夜明け前にセレン達は城壁前につくことができた。さっきは乗り越えたが、イオがいる今それは難しいだろう。正門は勿論門番が見張っている。こんな時間、いくら放っておかれているとはいえ王族が怪我をして帰ってきたら大騒ぎになることは必至だ。そもそも探さない、ということが驚きなのだ。
だがイオはアンバーの背からセレンをつついた。
「あっちの壁、ツタの裏に穴が開いてんだ。そこからなら俺の部屋にすぐ行ける」
先を行くアンバーに続く。ツタをくぐり抜ける時、アンバーが立ち止まってセレンを見下ろし、それから背中のイオに何かを言った。アンバーの声はよく聞き取れなかったが、イオの返答は聞き取ることができた。
「あぁ、会わせる」
アンバーがまたセレンを一瞥し、先に中へ入っていった。イオの“会わせる”というのは、セレンを国王に、ということだろうか。後をついて走りながら、セレンはアンバーに何か耳打ちしているイオの背中をじっと見つめていた。
本当にこの城の警備はどうなっているのか。イオやアンバーがそういった道を選んではいるのだろうが、セレンはこうも簡単にイオの部屋に辿りつけたことに呆れずにはいられなかった。
つい半月前までいた、懐かしくないと言えば嘘になる部屋。イオは寝室で着替えている。セレンとアンバーは本棚のある部屋で待っていた。
アンバーは外に近い方の扉に寄りかかり腕組みをしている。セレンは本棚の横に立ち、じゃれるルピを指であやしていた。重たい沈黙が部屋を満たしている。セレンは気にしないよう努めていたが、アンバーはあからさまに不機嫌だった。
「おい」
アンバーが腕組みをしたままセレンに低く呼び掛けた。ルピがアンバーを睨む。
「お前、何か聞いたのか」
「…何を」
どうでもいい、という声音で返すと、アンバーは一瞬苛ついた表情を見せた。
「聞いたか聞いてねぇのかっつってんだよ。答えろ」
「そんなこと、お前に言う必要があるのか」
仕事で来ただけだと言うことはできたが、あえてセレンはそれ以上言わなかった。アンバーが何かを怒鳴りつけるためだろう口を開いた時、イオが部屋から出てきた。アンバーはイオを見ると、口を閉じてそっぽを向いた。
「悪かったな待たせて。じゃ、行くか」
「待てよ」
アンバーがイオを睨みつける。イオがアンバーを見上げた。アンバーの方が頭半分背が高い。
「本当にこいつを会わせるのか」
「…そうだ」
イオが真っ青な、真っ直ぐな目でアンバーを見上げている。対するアンバーは、濃い金色の両眼でじっとイオを見下ろしている。
数分にも感じられた視線の絡み合いの後、アンバーが目を伏せた。イオがセレンを振り向く。
「行くぞ」
と言って外に出ていくイオの後にアンバーが続いた。セレンはその後をついて、フードをしっかりとかぶり直した。
城の間取りは大体わかっていた。だからイオが国王の寝室の斜め下にある部屋に入った時は、暖炉でも伝ってのぼるのかと思った。そこは普段使われていない部屋のようで、埃が部屋中にうっすらと積もっている。潜めていた息を一層潜めながら、セレンはイオが何を仕出すのかを待った。イオが小声で囁く。
「絶対音出すなよ。絶対だぞ」
言ってイオは窓を開けた。そして体を乗り出すと、上に向かって姿を消した。
「ついて行け」
アンバーが抑えた声で言った。セレンは一瞬迷い、イオの後に続いた。
見上げると、窓のすぐ上に太いツタがぶら下がっているのが見えた。それを掴み、セレンはそれがツタではなくそれに見せ掛けた縄だと気付いた。下を見れば、突き出たひさしの奥に暗い闇が広がっていた。イオは数メートル上を慣れた調子で昇っている。足の怪我が気にならないのだろうかと思いながらもセレンは後に続き、真上の部屋の窓枠に落ち着いて手を貸そうとするイオを無視しながらその横に立った。ここに部屋があるなんて知らなかった。隣りの部屋から通じているのだろう。国王の私室だろうか。
イオは立っている窓枠の隙間に薄い板を差し込み、鍵を外して窓を開けた。中に入るイオに続くと、アンバーがツタを回収しながら昇っているのが見えた。部屋の中は暗く、けれどどうやらただの小部屋のようだというのは暗がりに慣れた目ですぐにわかった。あるのは木造りの机が一揃いと空の本棚、簡素な木枠のベッドのみ。出入り口は今入ってきた窓以外に見当たらない。後ろから入ってくるアンバーを避け、何もない壁に近付くイオの半歩後ろにセレンは立った。隠し扉でもあるのだろうか。
イオがつつと壁に手を滑らせ、ある1点で動きを止める。そして、そこの10cm四方の一角の壁を剥がした。始めから剥がれる仕様であったのだろうそこはすっぽりと綺麗に取れ、暗い部屋に明かりを射し込んだ。
イオが穴に目を当て様子を窺っている。すぐに蓋を戻し、そこから更に横にずれたところを手でゆっくりと押した。音も無く壁がずれ、回転式の隠れ扉が現れる。イオはようやくセレンを見て、に、と笑った。
するりと入っていくイオの後を、セレンは黙って追った。アンバーは小部屋に残ったままだった。
白を基調とした、簡素な部屋。カーテンも、床も、壁もベッドも天蓋も。机や椅子ですら白く塗ってある。そして、大きなクッションにもたれてベッドに座っているその人自身、色素が薄いという印象を受けた。一瞬、白に紛れてしまったのかと錯覚するくらいに。
「よう。調子いいのか」
イオが片手をあげ、ベッドに近付く。大きな本を読んでいたその人は、イオの声に今気付いたかのように顔を上げた。
淡い金髪。日の光を浴びていない、蒼白い肌。ただ一つ、深く蒼い瞳だけが、イオとの血縁をセレンに感じさせた。
カイアナイトはふっと笑い、それから壁際に立ち尽くすセレンに目を移した。
「あぁ。その人かい?」
「うん。セレン、こっち来いよ」
蒼に目を奪われていたセレンは、イオの声に我を返した。カイアナイトがセレンに微笑む。
「初めましてセレン。私はカイアナイト。アイオライトの兄です。君のことはイオから聞いているよ」
細い声。けれど、どこか凛とした、そう、威厳を感じさせる声。セレンは自然胸に手を当てて頭を下げた。
「初めまして陛下。セレナイトと申します」
「なんだよお前、急によそよそしくなって。俺にはそんなんなかったろ」
イオが口を尖らせ、ベッドに腰掛けた。カイアナイトはくすくすと笑い、「こっちへ」とセレンを誘った。セレンはイオを無視し、もう一度頭を下げて2、3歩進んだ。
「座って、楽にして。イオの相手は疲れただろう」
笑いながらいうカイアナイトに、これ以上の遠慮は寧ろ失礼に価するとセレンはベッド脇の椅子に座った。ちょうど、カイアナイトと目線が同じ高さになる。セレンはサイドテーブルに、手付かずの果物が置いてあるのに気付いた。
「君はとても綺麗な髪をしているそうだね。良ければ見せてくれないか」
穏やかに微笑んだまま言うカイアナイトに、セレンは内心迷った。だが、カイアナイトの言葉には厭味なところはまったくなく、純粋な興味だけが感じとれた。
セレンはゆっくりとフードを下ろし、伏せていた視線を上げた。真っ直ぐに蒼と向かい合う。
「…あぁ。それで“月の石”なんだね。良い名前だ。君に良く合う」
“月の石”という意味を持つ、セレナイトという名前。スネイクにもらった名前だ。
白銀の髪は夜の冷たい月の光。カイアナイトがセレンの髪を眩しそうに眺めた。そして、首元から首を出しているルピに「こんばんは」と話し掛ける。ルピが外に出て、セレンの腕を伝ってベッドに降りた。カイアナイトが興味深そうにルピを眺め、もう一度「こんばんは」と言う。ルピはちらと視線を向けた後、テーブル上の果物をじっと見つめた。カイアナイトがそれに気付き、ブドウを一房取ってルピの鼻先で揺らす。
「私はあなたの依頼を受けるため、“術師”の代わりとして参りました。もしあなたがスネイクと契約するのなら、何か一つその証をいただくことになります」
「契約?」
ブドウをルピに与えていたカイアナイトが、訝しげな顔をしてセレンを見た。イオが何故か慌てたように口を挟もうとしたが、カイアナイトの視線に口を閉じた。
「イオ」
「…兄貴がこいつに頼めば、スネイクっていう術師が兄貴の病気を治してくれんだ」
決して強くはない口調だったが、カイアナイトが言うとイオはしぶしぶといった様子で答えた。カイアナイトが小さく息をつき、セレンに向き直った。
「セレン。残念だけれどその申し出は断らせてもらうよ。今は私が治ることよりも、君達が即位することの方が大切だからね」
「君、たち?」
カイアナイトの言葉に引っ掛かるものがあり、セレンはイオを見た。カイアナイトがそれを見て、再びため息をつく。
「イオ。私を気遣ってくれるのはありがたいけど、先にやらなければならないことがあるだろう」
イオがばつの悪そうな顔をし、カイアナイトがセレンに向き直った。
「いい。私が話そう。本当は君がここに来る前に、イオが説明をしてくれている筈だったのだけどね」
直感的に、まずいと思った。面倒なことに関わってはいけない。
けれどセレンは何も言えなかった。カイアナイトの蒼い両眼から、目が離せなかった。
「始めに言っておくけど、このことは他言してはならない。面倒なことになるからね。イオが選んだ君だから、そんな浅はかなことをするとは思っていないけど」
「簡潔に言うと、私は近いうちにイオに王位を譲ろうと思っている」
静かなカイアナイトの声が、奇妙なほどに静かな部屋の中で淡々と聞こえた。ルピが気配を察してセレンの袖に巻きつく。カイアナイトが続けた。
「話せば長くなってしまうのだが――」
「そんなことはどうでもいい」
とつとセレンは言った。カイアナイトが言葉を切り、それから穏やかな表情で続けた。
「なら話は早い。つまりは新たなディアノイアが必要ということだ。そしてイオは、君に」
「俺は“蛇”だ。それ以外の何者でもない。俺はあんたの依頼を受けに来たんだ。あんたは依頼を受けないと言った。もう用はない」
言いながらセレンは立ちあがった。フードをかぶり直し踵を返すセレンを、イオが袖を掴んで引きとめる。
「待てよ。そりゃ確かにちゃんと言わなかったのは悪かったけど、でも話くらい」
「いいか」
手を振り払い、セレンは向き直って突き放すような声音で言った。
「“蛇”が従うのはただ一人、それはお前等なんかじゃない」
幾分荒立った口調で言うセレンに、2人は何も言わなかった。フードが2人の顔を視界から外す。セレンはそのまま隠し扉を通った。イオは追ってこなかった。
中ではアンバーが壁に背をあずけ、腕組みをして立っていた。そして、窓辺に寄ろうとしたセレンの前を剣で遮る。
「どけ」
「断る」
数秒黙ったあと、セレンは再度「どけろ」と言った。アンバーが剣を向けたまま、セレンの前に立った。
「用は終わった。俺は帰るんだ」
「そんなこと俺には関係ない。黙って聞いてりゃ何様だてめー」
「聞き耳立てるなんて良い趣味してるな。どけ」
「聞こえんだよ隙間から。お前ちゃんと閉めなかっただろう」
「知らないな。とにかくもう用はない。どけと言っている」
目の前に突きつけられた剣の腹を手でどけてアンバーの横を通ろうとしたが、剣はぴくりとも動かなかった。ルピがしゅると動いて腕を伝いアンバーを威嚇したが、アンバーはセレンを睨みつけたままその視線を動かさなかった。
セレンは暗い中でも輝く金の瞳を真っ向から睨み返した。
「話くらい聞いてやれよ。あいつはお前を探してこの2週間ずっとうろつきまわってたんだ」
「それは“術師”に用があったからだろう」
「違う」
アンバーが剣をおろし、代わりにセレンの胸倉を掴んだ。セレンは敢えて避けず、されるままにした。
「お前を探してたんだよ。『ようやく見つけた』っつってずっと。それこそ寝る間も惜しんで。聞いてやるくらい良いだろうが」
「関係無いな。むしろいい迷惑だ。死にかけの王に能無しの弟。そんなのと組んで俺になんの得が」
ぐ、と首元が締まり、言葉に詰まる。気付けば踵が床から浮いていて、目の前に怒りに満ちた金の瞳があった。
「本当にそう思うのか。本当にてめーはあいつが能無しだって思ってんのか」
「大した忠誠心だな。親子ともども。国がなかなか滅びないわけだ」
息苦しい中それでもそれを悟られぬよう、セレンは多少の嘲りを込めて言った。殴られるかと思った。斬られるかとも思った。けれどアンバーはぎりと音のするまで奥歯を噛み締め、低く怒りを込めた声で言った。
「いいか。俺は王に仕えてる訳でも国に仕えてる訳でもない。間違えるな」
言って、アンバーは突き飛ばすようにセレンを離した。セレンはアンバーに一瞥もくれずに、窓から飛び降りた。
'07/9/17 11/04 修正
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