IT BEGINS to MOVE.02





 陽が西に傾き始めた頃。城に忍び込んだはいいものの何処にもイオの姿はなく、結局なんの収穫なしに“Artos”へ帰る途中、呼び止められた。
「セレン、良かった見つかって」
人目を憚るように小声で言うイリスに手招きされ、そのまま並んで歩き出す。早足のところを見ると、イリスはどうやら何処かへ行くつもりらしい。
「どうした?」
「“イオ”って人、知ってる?」
予期せぬ言葉に、足が止まり掛けた。少し遅れ、セレンは「知ってる」と短く答える。
「セレンを呼んできてって頼まれたの。『イオって言えばわかる』って言われて」
「…どうしてお前に頼んだんだ?」
訊くと、イリスは少し間を空けてから答えた。
「さっきお使いの帰りに急に引っ張られたの。怪我、してた。血が出てて。それで、私びっくりして人呼んでこようとしたらセレンを呼んできてって」
「どうして、そいつはお前が俺を知ってるってわかったんだ?」
意地悪く言うとイリスの耳がさっと赤くなった。「それは、その」と動揺する様子が可笑しくもあったが、今はそう言っている暇もないだろう。
「…いい。知ってるから。早く案内しろ」
ため息混じりに言い、セレンはイリスを急かした。前にイリスが間違えて“セレン”と呼んだのを、イオは覚えていたのだろう。走るイリスの後を追いながら、再びセレンはため息をついた。


* * * * * * * * * *


 連れてこられたのは、スカンダロンの外れだった。この辺りには空家がたくさんある。イリスが入っていったのもその中の1つだった。周りに人のいないのを確認してから、セレンも中に入る。イリスが灯りをともした。
「よう。久しぶりだな」
能天気に片手をあげるイオに、セレンは何故かため息しか出てこなかった。会いたかったはずなのに、言いたいことがあったはずなのに、今日だってイオを探しに城に行ってきた帰りだというのに。
 イオの前に膝をつきながら、セレンは「何の用だ」とわざとぶっきらぼうに言った。
「なんだよ、2週間ぶりだってのに。あ、ありがとな。そういや名前は?」
「え、あ、イリス。イリスです」
呆れた顔で言った後急に見上げて言うイオに、イリスが戸惑いつつも答えている。セレンはざっとイオの身体を眺めた。右足から血が流れている。それ以外に目立った傷はなさそうだったが、喋る時に僅かに眉を顰めるのにセレンは気付いた。口の中を切っているか、もしくは胸の辺りを強く打ったかどうかしたのだろう。それよりも、セレンにはやつれた顔の方が気になった。
「イリス。水と包帯、誰にも気付かれないように持って来い。特にカーフ達には見つかるな」
「わかった」
頷いて走り出ていくイリスを確認してから、「で?」とセレンはイオの前に片胡座をかいた。
「こんなところで何してんだよ。アイオライト次期国王様」
「はは、やっぱ気付くよなー。お前馬鹿じゃねーもんなー」
「イオ」
少し強く言うと、イオは急に真面目な顔に戻った。真っ直ぐな蒼い眼に負けそうになる。
「“スネイク”の居場所を知りたい。お前、知ってるだろ」
少しの間を置き、セレンは答えた。
「…俺を呼んだのはそのためか?」
「あぁ。ここ最近、ずっとお前を探してた。どうやったって俺1人じゃスネイクの場所には辿りつけない。お前なら知ってると思った。蛇は“術師”の象徴だからな」
 正直、驚いていた。同時に腹が立った。驚いたのは自分を頼ってきたということ、腹が立ったのは、自分もこいつを探して連日歩き回っていたということだ。セレンは短く「ルピ」と呼んだ。すぐにするすると何処からともなくルピが現れた。ルピを腕に絡ませ、イオを見る。
「知ってる。でも、教えられない」
何か言おうとするイオを遮って、セレンは続けた。
「薬が欲しいのはお前じゃなくて国王だろう。本人の意思無しにスネイクは動かない」
イオが黙りこむ。握り締めた手に力がこめられたのが見て取れた。
「…兄貴は動けないんだ。ただでさえジャカレーの野郎が最近怪しんでるってのに。もう時間がないんだよ」
イオを見る。へらへらとしていた記憶とは違い、焦っているのがはっきりとわかる。イオがセレンを睨みつけた。
「お前は知らないだろう。もう俺達には時間がないんだ。お前にわかるか?毎日毎日弱ってく兄貴を見て、何もできなくてもどかしくて、何度あいつを殺してやろうかと思ったか。毒だとわかっていても怪しまれないように兄貴は飲み続けなきゃいけない。弱り続けなきゃいけないんだ。それを黙ってへらへらしながら見てなきゃいけないなんて、もう嫌なんだ!」
 終わりの方は中ば叫ぶように。がっと胸倉を掴まれる。言葉がほとばしっている、としか表現のしようがないほどに、イオは焦っているようだった。言葉を選ぶ余裕がないほどに。
「お前が何て言おうと、スネイクのところに連れて行かせる。兄貴を治させる。“術師”なんだろ?兄貴だって治せるんだろ?治すのが仕事なんじゃねぇのかよ!」
「…怪我人が息巻いてんじゃねェよ。それに、スネイクの仕事は治すことなんかじゃない」
ふ、とイオの手から力が抜けた。冷たく言い放ったセレンに俯き、「頼む」と搾り出すような声で言った。
「…もう、あいつが苦しんでるとこ、見たくないんだ。頼む」
本当に、時間がないのだろう。スネイクが言ったのよりも、もっとカイアナイトの容態は悪いのかもしれない。セレンはイオの、薄暗い中それでも僅かな光を反射する金髪をじっと眺めた。
「スネイクに頼めるのは本人だけだ。そして、頼むには“蛇”を通す必要がある」
立ちあがり腕を組んだセレンを、イオが見上げた。
「俺を連れていけ。そうすりゃ話くらいはスネイクに伝えてやる」
 呆けたような顔の後、ぱっとイオの顔が輝いた。
「仕事は仕事だからな。それに、お前には恩がある」
 顔を逸らし、息をつく。国王がどうなろうが関係ないが、国王が死ねばイオも死ぬことになる。スネイクの言葉を忘れた訳ではない。先日の会話を思い返していると,イオが「もう1つ」とセレンに呼び掛けた。
「もう1つ、お前に頼みがあるんだ」
また真面目な顔になったイオの前に膝をつき、セレンは目線を合わせた。
「先に言っとくけど、お前はこのまま城に返すぞ。歩けないんなら人呼ぶくらいはしてやるよ」
「そうじゃねぇよ。でも確かに歩くの無理っぽいな…アンバー覚えてるか?あいつ呼んでくれ」
露骨に顔に出たのだろう、イオが苦笑した。
「あいつ良い奴なんだって。ちょっと馬鹿だし短気だけど。俺が呼んでるって言えばちゃんとついてくるさ」
 正直またあいつに会わなければならないというのは嫌だったが、考えてみれば城でイオがこんなところにいると知っているのはあいつくらいだろう。前ケイルの息子、アンバー。人質どころか、ジャカレーの鼻先でこんなことをしていたとは。国王も知っているのかも知れないが、問題外だ。
「じゃなくて、俺が言いたいのは…っと」
ぱたぱたという軽い足音を聞き、イオが口を閉じた。すぐにイリスが中に入ってきた。
「お水と包帯、持ってきた。あ、イオ、さん?パンも買ってきたんだけど、食べる?」
「ありがとう、腹減ってたんだ」
 イリスから包帯と水を受け取り、パンを食べ始めたイオのズボンを捲り上げる。ルピが階段から足を滑らせたのだと教えてくれた。木片か何かで引掻いたのだろう。水で傷を洗いながら一緒に渡されたタオルで血を拭う。痛いとイオが文句を言ったが、セレンは無視した。手早く包帯を巻き、それからイオを見る。他は打っただけだろうから必要ない。
 ここから城まで、セレン1人なら3、4時間程だろう。それからアンバーを呼び、戻ってくるのにまた4時間。イオを担いでどのくらいかかるのかは知らないが、明け方近くにはなるだろう。
「イリス。俺今日は帰らない。後、こいつのことは誰にも言うな。絶対にだ」
「…うん。わかった」
イリスの頷いたのを確認し、セレンは立ちあがった。
「ここで大人しく待ってろ」
言い,イリスに「行くぞ」と声を掛け、セレン達は外に出た。走り出したセレンの横にイリスが物言いたげな顔で並ぶ。
「セレン、あの人」
「結構ショックだったな。あいつと間違われるなんて」
イリスの言葉を遮ってそう言うと、イリスはさっと耳を赤くした。
「なんで知って、聞いたの?」
「さぁ。じゃ、明日には帰る」
城へと“Artos”への分かれ道。セレンはイリスに軽く手を振り、返事も聞かずにオレンジを帯びてきた道を駆けた。











'07/9/02 11/04 修正


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