SPACE of WARMTH.






 こっそりと自室に戻りベッドに倒れ込んだ所で、ようやくセレンは息をついた。ルピが枕元でとぐろを巻く。目を閉じて、セレンはつい2時間前のことを思い返した。

 城の中、抜け道のような場所を通って塀の外に行くまで誰も一言も喋らなかった。イオはもしかしたら自分が気付いていたのを感付いていたのだろう。豪華な装飾の施された廊下に点々と並ぶ燭台も、暗闇に浮かぶ壮大な城の影についても何も言おうとしなかった。
 あえて何かは言わないが、隠すつもりではなかったようだ。アンバーは始終仏頂面だったが、セレンが見つかるように何かするという訳ではなく、むしろセレンを見張っているようだった。
 庭の、塀の隅にある通用口を出るとき、その時初めてイオは喋った。セレンを真っ直ぐに見て。
「気ぃつけろよ」
 答えず、セレンは踵を返すと暗闇に姿を消した。ただ、物言いたげな視線がずっと背中を見つめていたのを感じた。セレンは振り返ることもせず、真っ直ぐに“Artos”に帰ってきた。

 セレンは起き上がり上着を脱ぐと、そのままベッドに潜りこんだ。


* * * * * * * * * *


 明け方に目を覚まし、身支度を整えていつも通りに居間に行くと、珍しくスネイクが暖炉の横に座っていた。傍らにはマダムが悠然ととぐろを巻いている。セレンがその向かいに腰を下ろすと、スネイクは僅かに口元を緩ませた。
「城の生活は楽しかったか」
「やっぱ知ってたのかよ。相変わらず性格悪いな」
 セレンの言葉に、スネイクは喉を鳴らして笑った。マダムが片目を開けてスネイクを見上げる。
「何、しようとしてる?」
 最低限の言葉で。無駄な言葉はお互い好まない。スネイクはマダムの頭をそっと撫でた。
「興味があるのか」
 頷く。スネイクはひとつ息をつき、セレンの後方を指差した。
「今は、そんなことを考えている暇はないだろう?」
 ばんと扉が開き、ディアナとカーフが飛び込んできた。
「セレンっおっかえりぃーっ」
「てっめぇどこで油売ってたんだゴラ、あん?散々心配掛けやがって」
 その後からも、わらわらと人がなだれ込んでくる。ディアナがセレンに飛びついた。
「つーかアンタいい度胸してんじゃないの、帰ってきたの昨日なんだって?え?あたしらに挨拶もなしとか何考えてんの?」
「放せ馬鹿、苦し」
「おうおう帰ってきて早々馬鹿呼ばわりですか、その馬鹿に心配されてたのは誰だっての」
「っとにてめーは、門限厳守はウチの決まりだろーが。スネイクも何か言ってやれよ」
「ちょっとディアナ、いい加減放してやんないとセレンが窒息しちまうよ」
「いーのよこんくらいシメてやんないと、また同じコト繰り返すんだから」
 言いつつもディアナはセレンの頭をその腕と豊かな胸から解放した。セレンは大きく息をして酸素を取りこむ。が、すぐにカーフが肩に腕を回して逃げられないように押さえつけた。
「オメーらようやくセレン様が帰ってきたってのに何ぼさっとしてんだ?さっさと飯と酒の用意しやがれ」
「あ?てめェ朝っぱらから何考えて」
 けれどセレンの言葉は他の誰の耳にも届かず、カーフの掛け声で皆がわらわらと店の方へ移動した。居間での宴会はタータによって禁止されている。半ば引き摺られるようにして廊下に出る時にセレンが目を向けると、スネイクは口の端で笑いながら傍らの大蛇の頭の撫でていた。
 廊下へ出るとカーフはセレンを解放し、さっさと列の前へ行ってしまった。セレンはその後姿を見送って、真っ直ぐ自分の部屋に向かった。皆店の方へ行ったしまったらしく、廊下は既にしんとしている。部屋ではまだルピがベッドの上でとぐろを巻いていた。
「起きろ」
 腹をつつくと、眠たそうに鎌首を持ち上げる。ベッドに越し掛けると膝にのぼってきた。
「昨日の、俺といた奴覚えてるな?剣持ってない方だ」
ルピが頷く。
「イオだ。そいつを見張れ。朝から晩まで、何をしているのか調べてこい」
ルピは軽く首を傾げた。
「そうだ。あいつは何かを探してる。それも、調べろ」
 ルピは“心得た”とでもいうようにちろりと赤い舌でセレンの手の甲を舐めると、するすると外へ消えた。その尻尾の先が消えるのを見送って、セレンはベッドに倒れこんだ。
 確かにスネイクは知っているだろう。スネイクの知らないことの方が、この国においては少ないほどだ。だが、それと彼がその情報を教えてくれるかと言うのは別問題だった。気紛れを待つよりも、何かできることをした方が早い。
 ルピが戻るまでどのくらいかかるだろうか。1週間はまず必要だろう。
 知って、何をするわけではない。何かするかもしれない。それはルピが戻るまでわからないけれど、もし知った時、自分はどうするのだろうか。
 むくりと起きあがり、セレンはローブを脱いだ。着ているシャツはイオから借りたものだ。返すことはないだろうが、それも脱いで自分のに着替える。イオのシャツは、箪笥の1番奥へと突っ込んだ。
 長い髪を紐で1つに縛ったところで、誰かが部屋に近付いてくるのを感じた。気配は扉の前で少し立ち止まり、迷ったように弱くノックをした。
「せ、れん?」
 セレンは答えず、自ら扉を開けた。茶色のふわふわとした髪がまず目に入ってきた。数少ない、自分よりも背の低い人。低い、といっても目線の高さがが少し違うだけなのだけれど。セレンはイリスを見、その手にあるトレイを見下ろした。
「朝ご飯持ってきたの。皆お店の方で騒いでて、タータに怒られてる。朝から何してるんだ、って」
「だろうな」
 トレイを受け取りながらセレンは言った。朝、とはいえまだ太陽が昇ったばかりだ。怒られるのも無理はないだろう。タータの丸い身体が怒りに膨らむのが目に浮かぶようだった。
「ありがとう。早く行かないとタータに怒られるぞ」
「うん、後でまた来るね。」
 言って、けれどイリスはまだ何か言いたそうにそこに立っていた。どちらかと言えば臆病で人見知りなイリスは、仲間内でも喋るのが苦手だった。それをディアナにからかわれることはしょっちゅうだったけれど。
 だからセレンは急かさず、イリスが何か言うのを待った。
「あ、あのね、おか」
「やーっぱいたーっ何してんのよあんたら、さっさと来いっての」
「いーりーすー、タータが怒ってんぞー」
 イリスの言葉を遮って、ディアナとカーフが酒瓶を携え突進してきた。イリスはもろに突進をくらい、2人にのしかかられる。セレンは慌ててカーフを引き剥がし、ディアナをイリスの上からどけた。
「お前らな、朝っぱらから何呑んでんだよ。つか酔うの早すぎだろうが後1時間もすりゃ店開くんだぞ」
「別にあたしらは酔わないしー」
「つーか呑む前にタータに追い出されたっつーの」
「嘘吐けじゃあこの酒なんだってんだよ」
 カーフの手から瓶を取り上げ、イリスと顔を見合わせる。それから同時に笑った。久々のいつもと変わらぬやりとりは、何故か無性に楽しいものに感じた。
「おかえり、セレン」
「…ただいま」
 イリスの言葉にほんの少しだけ照れ臭くなりながらも、セレンはそう返した。











'07/8/13 11/04 修正


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