Where is the rest?







 一難去ってまた一難、とはまさに現状を言うのだろう。ヴェルデライトがクリソコラに回収されアンバーの機嫌が回復した。ぺぺルの手紙にも返事を出した。城内外での細々とした問題も、息抜きを兼ねてセレン自身が出向き解決した。後は近付いているレグホーン訪問に向けての準備を進めれば良い、だけであったのに。
「セレン様」
 掛けられた声に「何でしょう」と笑みを向け、セレンは舌打ちを引っ込めた。敬礼をしてから話し始めたのは第7分隊の兵士だ。
「フェルラム殿が探しておられましたが、もうお会いになられましたか」
「ええ、先程。引継ぎ業務の話であれば済みました」
 ほっとしたような顔の兵士に背を向けかけ、セレンは「そうだ」と付け足した。
「ラリマール。ラベイ殿を見かけたら、夕食前に執務室へ来るように伝えてください。レグホーン行きの件についての話があります」
「はい。他の兵士にも伝えておきます」
 直立して答えた兵士に今度こそ背を向け、セレンは静かに目を閉じた。もう何度目かもわからないため息を堪える為だ。

 年が明けたらレグホーンを訪問する、ということは既に決まっていたことだったが、誰が行くか、についてはまだ確定していなかった。もっともセレンはクーベから是非と望まれていたし、自分が行くつもりだったのだ。イオが余計なことをするまでは。
 国交における書類には、全て王の押印が必要となる。レグホーン訪問についての細かな取り決めを記した書類も、彼の国へ送る前にイオの目を通す必要があった。だからその通りにした。外交責任者のフェルラムとも打ち合わせた上での決定事項だった。だがあの男は、イオは、内容を勝手に書き換えてレグホーンに送ってしまったのだ。
 今回の訪問にはイオとセレンの2人が伺う、と。
 セレン1人が行くのであれば、護衛もさほど必要ではなく、素早い移動が可能だった。けれど王を連れて行くとなればそれなりの人数を要するし、何よりレグホーンにヘリオット国王が出向くということが問題なのだ。セレンとしては、レグホーンとは徐々に距離を置きイローネよりの外交を進めていきたかったのに、国王が直々に出向いたとすればそれだけレグホーンを重要視しているとの印象を他国に与えかねない。どうせならイローネ訪問の際に出向けば良いというのに、そちらへの書類にはアンバーとセレンが出向くとちゃっかり書き加えられてしまっていた。当然そちらも発送済みだ。モーヴへの書類は、距離があるということもありイオが悪巧みをする前に出していたので唯一被害を免れた。
 何故イオがそのようなことをしでかしたのか、その理由もわかっていただけに、セレンは事態が発覚してからというものイオへ厳しい態度をとり続けていた。
 イオに言わせれば、年末年始にかけて起きていた事件をセレンが勝手に解決したのはずるい、ということらしい。セレンがイオの仕事の大半を引き受けざるを得ない状況にあった中での合間を縫った出来事であったというのに。当然セレンはそのことを言い立てたが、イオは「お前だけ城下におりたのは抜け駆けだ」と拗ねてしまった。確かにセレンがいくらか引き受けていたとはいえ、イオが城、どころか執務室に缶詰になっていたのは事実だ。しかしそれは今までのしわ寄せが一気にきたというイオの自業自得であるし同情の余地はない。

 流石にイオも反省しているのか、犯行は自分で告げてきたし、セレンが文書改竄について怒りを露わにして以来、おとなしく仕事をしている。下手なことをすればレグホーン行きを禁じられかねないと思っている、とは愚痴られたアンバーの言だ。
 思い返していたらまた腹が立ってきた、アンバーに手合わせでも願おうかと投げやりなことを考えつつ、セレンはエメルドの元へ向かった。

***

 執務室に戻ると、入り口でラベイが待っていた。こちらに気付いて一礼する様が見える。警備兵も敬礼をした。
「遅れてしまい申し訳ありません。呼びつけたのはこちらだというのに」
「いえ、私が早く来すぎたようです」
 年相応の落ち着きを見せるようになってきたラベイに再度謝罪をしながら、セレンは彼を執務室に招き入れた。昼食用にと運んでもらったサンドイッチがまだ机に残っているのを見たラベイの表情が険しくなる。セレンは気付かないふりをして、ラベイを暖炉脇のソファへ誘った。
「レグホーン行きの人数に関してなのですが、やはり従来通り第1分隊から30名、警備特化隊――今の時期であれば第7分隊から20名出すのが妥当ではないかと」
「はい、私もそう思います。兵舎建設は終わりましたが、第15分隊は戻ってきたばかりですから」
 頷くラベイは、ヴェルデライトが回収された翌日に城へ戻ってきた。第2兵舎の建設がようやく終わったのだ。今は第10、11分隊があちらに詰めている。今後は4分隊ずつ、半年ごとの入れ替えすることになるだろう。セレンとしては国境警備と同じように、2分隊ずつ交互の入れ替えをしていきたいが、どの隊を兵舎行きにするかはまだ調整の余地がある。少なくとも第1分隊が第2兵舎詰めになることはない。
 第11から第20分隊あたりであれば体力作りにもなるし丁度良いのだが、先日帰ってきた第45から49分隊の扱いに困る。第1から第10分隊は特に腕のある者ばかりが集まっているので、本来であれば城から、王から離すべきではないのだ。しかし調整を上手くやらないと、国境警備から帰ってきてすぐ第2兵舎行きという苦労を強いることになりかねない。国境警備に出されるのは第21から第50分隊までと決まっているのだから、やはり第2兵舎は第20分隊までで管理すべきだろう。
 思考がずれていたことに気付き、セレンは見つめていた手のひらから目をそらした。
「帰ってきたばかりだというのに休ませることもできず、本当に済まなく思っています」
 事実、登城したラベイは彼本来の性質なのか何なのか、慌ただしい空気を目にするなり迅速に動き出した。釣られて浮き足立っている兵士を一喝し、警備特化隊長2名に指示を出し、勝手に第7分隊を動かしたセレンを叱りつけると共に城の者として初めてセレンの身なりを真正面から非難し、今は主にアンバーの書類仕事を手伝いつつ分隊長らの相談役になっていると聞く。
 セレンの謝罪にラベイが厳しい面持ちのまま「いえ」と返した。
「私など、自宅へ顔を見せる暇があるだけ充分すぎる程です」
 言外にセレンの働き過ぎを非難している、とわかるだけに、セレンは耳が痛かった。ラベイの目が再び机の皿に移る。隣に書類を積んでいないだけ誉めて欲しい、とセレンは心中で呟いた。今年に入って初めて机上に書類がなくなったのだ。それも束の間だろうが。
「セレン殿。以前にも申し上げましたが、貴方は一人で抱え込みすぎる。効率を考えていらっしゃるのは重々承知ですが、貴方一人の御身ではないことを理解していただけているのでしょうか」
「ご忠告痛み入ります。ですが、自分の身体のことならば私が良くわかっています。ご心配は」
「いいえ、いくら言われても若者の心配をするのが年配者の務め。改善してくださるまで私は何度でも進言させていただきます」
 真面目なのは良いことだが、ラベイは些か頭が固すぎる。セレンの年齢についてヴェルデライトが言及して以来、この男は何かにつけてセレンを子ども扱いしてくる。そんな甘えたことを言って仕事が回るのであれば構わないが、現実は違うのだ。何より、イオやアンバーもセレンと年はそう変わらないのに何故自分にばかり言ってくるのか。
 等と内心思ったところで思い当たる節が多過ぎるのだから、セレンは結局「善処しましょう」と逃げるしかないのだ。
「では護衛の兵士の選抜はお任せしてもよろしいでしょうか。私よりもラベイ殿の方が彼らについては詳しいでしょう」
「それについては既に名簿をアンバー殿に渡してあります。近いうちに彼から話があるでしょう」
 納得がいかない、という表情を浮かべているラベイの気を逸らそうと、セレンは話を続けた。
「その人員なのですが、ディアとラベイ殿は城に残っていただきたい。それからセインドとルチル、ラリマールも」
 セレンの言葉にラベイが訝しげな視線を寄越す。完全に気は逸れたらしい。
「私はアンバー殿の補佐もありますし、残るつもりでしたが……何故彼らまで?」
 特にディアは若いが腕は確かだろう、と言いたげなのを読み取り、セレンは「だからです」と返した。
「アンバー殿は既に鬱憤が溜まっているようですので、ディアまで取り上げるとなると残された者があまりに可哀相ではありませんか」
 ディアがアンバーの気に入りというのは周知だ。そもそもアンバーは、腕が立つ者には誰であろうとそれなりに好意的である。何故かセレンは除外されているが。とにかく、イローネ行きが確定した時点でアンバーの折角浮上した機嫌が再び急降下しているので、セレンはこれ以上彼の機嫌を損ねたくなかった。イローネで我慢してもらうことになるのが明白だからだ。そのディアは隊は違うがセインドに良く懐いていて、セインドはルチル、ラリマールと仲が良い。セレンとしてはモーヴ行きにルチルを連れて行きたかったので、今は休んでもらおうという下心もあった。
 セレンの説明に、ラベイが大きく頷いた。彼もアンバーの被害を僅かながらに受けている。だからこその書類整理や休暇返上なのだ。
「セインドらは確か、先日の偽者騒ぎでも働いていましたからね。今回は外しておきましょう」
 この口ぶりではやはり選抜に入っていたようだ。偽者騒ぎについては聞き流しながら、セレンは席を立った。
「ではアンバー殿から受け取らねばならない書類もありますし、私が直接報告しましょう。ラベイ殿、ご足労ありがとうございました」
 扉を開けて退室を促そうとすれば、ラベイが何故かセレンを呼び止めた。まだ何か話があったのだろうか、と彼を見上げれば、ラベイがさっさと部屋を出てしまう。
「私が行って来ましょう。セレン殿はそろそろ昼食を片付けた方が良いのでは? 既に夕食が近付いておりますよ」
 最後に食わされた強烈な一撃に、セレンは苦笑でラベイを見送った。



'10/09/25


NEXT