The trick he was up to and the around.







 相次いで待っている他国訪問の準備で城が慌ただしい空気に包まれている中、そこだけはまるで時が止まっているかのように穏やかだった。カップからは香りと共に細く湯気が立ち上り、ジャムのたっぷり挟まったサンドイッチか皿一杯に盛られている。明かり取りからは冬の光が柔らかに差し込み、向かいの人物を淡く照らしていた。
「兄としては、そろそろ弟を許して欲しいのだけれどね。元国王と言う立場から言わせてもらえば、やはりもう少し反省させても良いと思うよ」
 そういって緩く笑うカイアナイト前王は、細い指をカップに絡ませ蒼の視線をこちらに向ける。対するセレンは小さくため息を吐き、苦笑を浮かべた。
「許すも何も、私は臣下として正しい態度で接したまでです」
 フォッシルはセレンたちの会話を、暖炉脇の揺り椅子に掛けて聞いている。目が面白そうに細められているのは、昨夜イオがセレンの態度について、彼らに泣きついたからだった。
 文書改竄が発覚した時にセレンが取った『お仕置き』は、徹底して臣下の礼を崩さないことだった。イオを問い詰め叱責している時から、それは今でも続いている。例え2人の時やアンバーを交えての時でさえ口調を決して崩さず、並んで歩く事もせず、愛想笑いを絶やさない。つまりは兵士や給仕らに向けているのと全く同じ顔だ。仮面とフードも、一度だけイオの命令、本人曰くはお願いで外したが、セレンが「命令ですので」と素顔のまま部屋を出ようとして以来口にしなくなった。イオが1月以上大人しくしているのもこれが原因である。
 セレンの言葉に困ったように眉尻を下げたカイアナイトが、「でもね」と穏やかに口を開いた。
「レグホーンへ行きたい、というのは、何も息抜きが目当てではないんだ」
「存じております」
 勿論息抜きも目当ての1つだろう。けれどセレンだって、イオがそこまで自分勝手な馬鹿ではないと知っている。イオは自分の目で、レグホーンを見たいのだ。その上で彼の国と距離を置くか現状を維持するかを判断したいのだ。セレンとてレグホーンからの家畜に対する優遇を受けられなくなるのは痛手だと思うし、本音を言えばレグホーンに対するイローネの態度を改めてもらう方がよほど平和的だと理解している。けれどレグホーン国内が二分されていて、しかもウィスタリアの者が根を広げつつあるようだという情報もある以上、切り離すのではなく距離を置きたいのだ。
 しかしイオはセレンの言葉だけでなく、自分の目で真実を見極めたいのだろう。何もセレンの持ってきた情報を疑っている訳ではない、とは本人の談だが、彼の性格からしても自分で確かめたいのだろうことは明らかだ。
 けれどそんなイオの性格を承知で、セレンはレグホーン国内の危険性を案じて彼を留守居に決めたのだ。なのに。
 仮面の下で自分の眉が寄るのがわかった。カイアナイトは黙って紅茶を楽しんでいて、フォッシルも目を閉じている。セレンもカップを手で包んだ。
「……そろそろ潮時だとはわかっています」
 今夜か明日にでも、イオが片付いた書類を引っ提げて再度謝りにくる頃合いだ。結局こうして甘やかしてしまうのだと、大人たちの温かな視線の中でセレンは小さく息を吐いた。

***

 正式文書の改竄は今後二度と行わない。意見があるならば直接命じるあるいは説得する。無断外出をしない。
 以上3項目を飲ませることで、セレンはようやく国王陛下への態度を以前のそれへと戻した。本人は最後1項目について口を尖らせていたが、すぐにおとなしく従った。彼の妙な素直さからするに、おそらく揚げ足を取るつもりなのだろう。セレンとしても彼がまだ遊びたい盛りであるのは重々承知している為、釘を刺す程度で済ませた。どうせイオは「“セレンに断ってから”、なんて言われてない」とでも言う気なのだ。そちらに関してセレンが根回し済みだと彼が気付くのは、実際に抜け出す時なのだろうが。
 1つの、力ある国への責任を負っている。イオは、アイオライトはヘリオット王国の王だ。まだ経験が浅いとはいえ、資質は十分に備えているし、周囲もーーまだ国内に限った話ではあるが、年若き王を認めている。
 しかし、彼はまだ20にもならぬ若者、どころか少年である。環境には見放されたが人には恵まれている彼の周りは、それを重々承知している。頭の固い連中がいるにはいるが、結局のところ様々なことが許されているのは一重にイオ自身の魅力からなのだろう。
 まったく世話が焼ける。そうルピにこぼしたら、呆れたように手首を舐められたけれど。
「くれぐれも、城内のこと、よろしくお願いします」
「心得ました」
 神妙な顔で頷くラベイへ再度頭を下げる。イオが国を空ける間はカイアナイトに代理を頼んであるのだが、どうあってもそれを補助する者が必要だ。本来ならば代理は三権の1人がこなすのだが、アンバー1人にその役目を負わせるのは本人も認める通り、まだ時期尚早である。セレンがいれば良かったのだろうが、今回はそもそもディアノイアが国を空け、国王とケイルが残る予定だった。今後へ向けた模擬練習といった意味も兼ねていたのだ。イオの所為で課題が急に難しくなってしまったが、これはいっそのこと割り切ってアンバーに頑張ってもらうしかない。
 とはいえ何か間違いがあっては困るので、ラベイに休暇返上を頼み、さらに引退したカイアナイトを引っ張りだしてきたのだった。ラベイはセレンが頭を下げたが、カイアナイトに対し、イオ直々に頭を下げさせたのは言うまでもない。相手が引退したとはいえ王族なのでイオが立場を気にする必要はなく、セレンはここぞとばかりにイオを叱るよう頼み、カイアナイトは快諾してくれた。にこやかにイオを諭すカイアナイトが時折タータよりも恐ろしく見えて、セレンは一歩下がった位置で頬をひきつらせていた程だ。
 とにかく。カイアナイトには、あくまでもアンバーに経験を積ませるのが目的であると言伝けてある。当然、補佐の立場にあるラベイの負担は増えることだろう。
 意識している以上に己の憂いの雰囲気は効果を発揮したようだ。ひたすら謝罪と憂慮を繰り返したセレンに対して、ラベイだけでなく近くにいたフェルラムやエメルドらまでが口々に「ご安心を」と加わってきた。
「セレン殿が留守にしている間、厨房の使い走りまでもが張り切って職務に励むことでしょう」
「ラベイ殿やカイアナイト様のみに負担をかける訳にはいきません。今回の件に関しては私の管理不足でもあります。休日返上など、貴方に比べたら些細なことではありませんか」
 慰めるような物言いに、ラベイが重々しく後を続ける。
「皆が力を合わせねば貴方の穴を埋められない現状は恥ずべき事態ですが、逆に言えば力を合わせればどうにかなるということ。城内、ひいては国内のことは我々にお任せを。セレン殿はレグホーンとの会談に集中してください」
 感極まった振りをすれば、彼ら、さらには周囲の警備兵やら給仕係やらまでもが表情を引き締めるのがわかった。その中で口を尖らせる者がひとり。今は、そもそも恒例の朝議の後。本来ラベイは参加しないが、議題にレグホーン訪問中の城内についてがあった為に同席させていたのだ。
 とにかく、朝議には主立った文官と三権で行っている。つまりこの場には、この度ラベイ以下多数に無理を強いた張本人もいた。
「お前らっつーかセレンお前、それわざとやってんだろ」
「何しろ時間がないもので、このような機会でないとなかなか彼らに誠意を示すことが叶わないのです」
 にこやかにそう返せば、イオは後ろめたそうな表情になりつつも「だかあって当てつけみたいにしなくても」と文句を言っている。
「つーかアンバーは何も言わないのかよ」
 口では敵わない、もとい反論し辛いのだろう、イオが茶をあおっていたアンバーに話を振ったが、振られた本人に憤りや恥入る色は欠片もない。
「俺だけで半月以上も政務取り仕切れる訳ねーだろ。むしろありがてーしな」
 よろしく頼む。イオの期待と裏腹にラベイらへ片手をあげるアンバーのその言葉は、本心からのものである。セレンからすれば些細なことで苛立つアンバーではあるが、彼は自分の得意不得意を充分に承知している。事実を言われて腹を立てるほど子供ではない。個人的な問題となると話は別らしいが。普段の粗野な振る舞いからは浮かべ辛いが、彼は事実を正確に把握することに長けている、とセレンはアンバーを認識している。勿論本人に言うつもりはない。
 味方がいないことを察したのだろうイオが肩を落としたのを契機に、笑い声が話の終わりを告げた。





'11/10/09


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