to new steps.







 セレンにとって何もかもが初めてだったということを考慮すれば、今回の誕生式典は上々の結果に終わった。ウィンリードの姫はイオを気に入ったようだし、グレーネの王弟は別の意味でセレンを気に入ったらしい。特に、王子を寄越してくれた国々との関係は良好なものになるだろう。勿論外交を進める前に、頭の固い連中をどうにか説得しなければならないが、その辺りはイオにどうにかさせるつもりだ。
 夏も盛りを過ぎた今、セレンとしては新たな方面に手を伸ばしたかったが、その為にはまずアンバーの機嫌をどうにかしなければならなかった。

 簡潔に言えば、エトピリカはパーティーで、前夜と同じ面々が集う大広間でラシャに頭を下げた。ラシャはそれを受け入れた。どちらも年若い娘だったから、地位を弁えない振舞いに眉を顰める者もいたにはいたが、当人同士で決着がついた為イオに対する非難は起きなかった。つまりは円満に片がついていたのだ。急に態度を改めたエトピリカを不審に思ったアンバーがソーレに詰め寄るまでは。
 勿論ソーレはセレンの言いつけを守り、何故エトピリカの態度が急変したのかは言わなかった。けれどうっかり、そうついうっかりなのだろう、彼はセレンの名前を出してしまったのだ。するとアンバーはイオに矛先を変え、イオはあっさりアンバーに全貌を伝えてしまった。イローネの団体が帰国した後に教えたのは、イオなりの気遣いだったのだろう。セレンにしてみれば“いつ言うか”ではなく“言わないこと”が重要だったのだが。
 セレンはあの時エトピリカに、年頃の男はいかに不器用で恋心を持て余すものなのかを説き、アンバーのような精神的に幼い男は照れ隠しの為ついその相手に冷たくするもので、気にもかけない女には普通に接するものなのだと世間一般論を教えてやったに過ぎないのに、何故かアンバーはその行為がお気に召さなかったらしい。いつも積極的な娘が急につれない態度を取り始めたら男は動揺するだろうという、これまた当たり前なことを付け足し伝えたことも気に入らなかったらしい。
 典型的な行動を取るアンバーも面白味に欠けると思うが、アンバーは決してこの策を気に入らないだろうということが事前にわかっていながら実行したセレンには、僅かながら罪悪感があったので、口すらきこうとしない友人をどう扱ったものかと頭を巡らせる羽目になっていた。
 ちゃっかりというかなんというか、自分はアンバーの怒りを避けたイオを少し恨めしく思いながら。

***

「待つしかないだろうね」
 日差しの入らない半地下書庫は、夏を知らないかのようだ。高い書架の脇で、セレンは向かいに陽を受けて座っているカイアナイトを見た。
「やはり、それしかないのでしょうか」
 ため息と共に言葉を吐けば、カイアナイトが愉快そうに笑う。もうすっかり薬の必要が無いほどに回復したカイアナイトは、イオ曰く昔よりずっと元気になったそうだ。こうして笑うのを見ると、イオの兄だというのにも頷ける。雰囲気は比べ物にならないほど落ち着いた人だが、稀に見せる悪戯めいた表情や笑顔は、容姿以外で確かにイオとの繋がりを感じさせた。
「彼は昔から、あの姫君に困らされてきたからね。君の話を聞く限りは、彼女が思い違いをしてしまっただけのようだけれど、謝った後は待つことしかできないだろう」
 そうして謝って待って、もう半月が経ったのだ。だからこうしてカイアナイトに助言を求めに来たと言うのに、とセレンは肩を落とした。
 そんなセレンを見てか再びカイアナイトが笑い、「それに」と首を巡らせ窓を見上げた。つられてセレンも空を見、目を細めているカイアナイトに視線を戻す。イオのよりも薄い金髪が、陽を受け白く光っていた。
「きっと、それだけじゃないと思うなあ」
 イオと同じ色の目を細めているカイアナイトに、セレンは戸惑った。今回アンバーが腹を立てているのにエトピリカ以外の理由が思いつかない。イオと違ってアンバーは、セレンが“働き過ぎだから”という理由で眉をひそめないし、機嫌を悪くすると言えば不意にルピが姿を見せた時か、後は姉君達と何かあった時や組み手が満足にできなかった時くらいだ。
 カイアナイトがセレンに視線を戻し、「本当に思いつかないのかな」と穏やかに問い掛けてくる。
「彼は真っ直ぐな人だからね。何か彼の気に障るような、曲がったことをしてしまったんじゃないかな」
 あ、と思わず声が漏れた。目を細めたままのカイアナイトが、「思い当たったみたいだね」と呟くように言う。
 思い当たる、という程のことでもない。というよりそれが原因とは思えないのだが、一度思い当たってしまうとそれ以外の有り得そうな理由が浮かばなくなった。
 ソーレが早朝の兵宿舎で兵士達の鍛錬に紛れていた時、アンバーに誘われてソーレと手合わせをした。真面目にやっても剣では勝てたかどうかわからないが、仮にも来賓であるソーレを負かしてしまっては彼の面目が立たないと考えたセレンは、あの時手を抜いたのだ。ソーレは気付いていたようだが流してくれたし、アンバーも下手糞とは言っていたがその場を流したのだから、今更腹を立てるとは思わなかった。けれどセレンよりアンバーと付き合いの長いカイアナイトの言う「曲がったこと」と言えば、そして彼の気に障りそうなことと言えばそれしかないだろう。
 ありがとうございましたと頭を下げると、陽だまりのような笑みが返ってきた。

***

 昼下がりの鍛錬場には第1、第4分隊しかいなかった。激を飛ばしていたラベイに聞けば、アンバーは馬場の脇にある長弓訓練場へ第3分隊を連れて行ってしまったらしい。
「けれど直に戻られるでしょう。そろそろ交替の時間ですから」
 では待とうとラベイに頷いた時、セレンは闘技大会の折にアンバーが特別目を欠けていたディアが近くにいたのに気付いた。ディアの方は目の前の相手に夢中になっているようで、セレンに気付いた様子はない。
「少し見ない間に、随分上達したようですね」
 セレンの言葉にラベイが頷き、同じくディアに視線を向けた。丁度ディアが、相手の剣を弾き飛ばしたところだった。
「アンバー殿も期待されているようです。あの腕なら、もう少し経験を積めば近衛へ引き上げられるやも知れませぬな」
「経験ですか」
 苦笑すると、ラベイが戸惑った様子でセレンを見下ろした。
「アンバー殿は確か、彼より2つ下の頃に陛下付きの兵になったのではありませんか」
 セレンの言葉で合点が行ったとでも言うようにラベイも笑い、「確かに」と同意を示した。
「けれどあの頃とは事情が違います。今の陛下は相応の扱いを受けるべきなのですから、剣技に優れているからと言って他が疎かになるような浅い輩に身辺を任せる訳にはいきません」
 勿論当時のアンバー殿が浅慮であったと言う訳ではありません、とラベイが付け加える。セレンは再びディアに目を移し、1つ上なのに自分よりも幼く見える兵士を眺めた。この城にいる者の殆どがセレンより年上で、同い年も数えるほどしかいない。けれどそのセレンが“少年”と称してしまうほど、彼の面差しは幼かった。
「まあ、経験は必要でしょうね」
 仲間の兵士に小突かれているディアを見ながら、セレンは意識せず呟いた。ディアの剣技は確かに優れている。けれどそれは試合向きの技でしかなく、セレンの目からしてみれば到底実戦には向かない。今までの平和な世が兵士を実戦から遠ざけていたのだろうが、ウィスタリア、加えてレグホーンが不穏な動きをしている今、その状況は喜ばしいものではない。幸い今はアンバーが、セレンとの手合わせから学んだ実戦練習を鍛錬に組みこんでいるようだから、少しずつではあるが兵士達の動きは良くなっていた。
 春から推している国外兵舎の設立案が冬の前に通ればいいのだが、とセレンは円の中に戻ったディアを眺めた。案が通れば兵士に自給をさせることができるようになり、兵士の賄いに回していた予算を他の所で使えるようになる。それに農耕をするようになれば、嫌でも基礎体力や体幹が身につくだろう。国庫の蓄えも増えることになる。何より、今の表向き平和な世にあっては、国民からの兵士に対する視線がかなり冷たい。けれど彼等が自給を始めればその温度も変わるだろうし、農耕を始めるにあたっては農民の協力が不可欠な為、兵士達が国民と良好な関係を築くきっかけになればとセレンは考えている。
 勿論そんなに上手く行く筈がないと思っているし、何より先に、兵士が農民の真似事をすべきでないと考える年寄り共を説得させなければならなかったのだが。
 物思いに耽っていると、ラベイが「そういえば」とセレンを見下ろした。
「私自身は見たことがないのですが、セレン殿も剣技に優れていらっしゃるとか。シトロン達を容易くあしらったという話は、まだ耳に新しいですよ」
 そんなこともあったなと、セレンは気持ちが沈むのを感じた。彼等の後始末はとうについていたが、目の前で憎まれながら死なれるのは何度経験しても慣れるものではない。セレンの様子を知ってか知らずか、ラベイが続けた。
「それにイローネの、ソーレ殿とも手合わせをされたそうですね。彼の強さは我等の殆どが弁えています。そのソーレ殿と良い試合をされたというのですから、セレン殿の腕前は相当のものなのでしょう」
 何時の間にかディア達の輪は動きを止めていて、じっとセレン達を窺っていた。ディア達の輪だけではない。セレン達の近くにあった円は一様に耳と意識をこちらへ向けている。
「アンバー殿がいらすまで、どうでしょう、彼等の鍛錬に付き合ってやってはくれませんか」
 ディアが期待のこもった視線でセレンを見る。ラベイが僅かに意地の悪い視線をセレンに向けた。
「試す訳ではないのですがね、いくら申し上げても警備兵をお連れになってくださらないのですから、せめて納得させていただける程の腕前であるのだろうとは思うのです」
 痛いところを突かれ、セレンは言葉に詰まった。ラベイとディアとを交互に見比べ、セレンはため息をついて「わかりました」と円に近付く。円を作っていた兵士の1人に剣を貸してくれるよう頼み、セレンは鋼の刀身をきらめかせるそれを一振りした。重いが、早朝にアンバーから稽古を受けるのにも近頃は本物の剣を使っていたから問題ないだろう。
 深呼吸してから円の中に入り、セレンは中央に立っていたディアに対峙した。小柄といえどそれは他の兵士と比べたからで、当然セレンより一回りは大きい。ディアが驚きと喜び、それに戸惑いを同時に浮かべるという器用な真似をした後、困ったように言った。
「あの、そのままでやるんですか?」
 そのまま、とはセレンのフードマント姿に向けた言葉だろう。セレンは頷き、剣をくるりと回した。
「今日は涼しいので」
 ディアはもとより、見物に集まってきた兵士達も気分を害したようだった。当然だろう、ソーレの時には脱いだマントを今は着たままということは、ディアを舐めきっていると言ってるのと同じだからだ。
 ラベイも面白くなさそうな顔つきになりながら、それでも「では」と手を上げた。
「どちらかが負けを認めるか、戦闘不能の状態になればそこで試合終了。セレン殿もご存知ですね」
 頷いて見せると、ラベイは一呼吸置いてから手を振り下ろした。試合開始だ。
 自尊心を傷つけられたディアが、合図と同時にセレンに向かって飛び出してきた。セレンがソーレにしたように。ディアは確か、見物していた兵士の中にいた筈だ。もしあの動きを真似ようとしているのならばと、セレンは一歩前に出て紙一重の位置でディアの剣をかわした。勢いのついているディアの身体がセレンの右を駆け抜けようとするが、セレンはディアの足元に自分の足を引っ掛けた。ディアの体勢が崩れる。セレンは彼が体勢を直す前に、剣の柄をディアの背中に叩きつけた。ディアの身体が傾いで転ぶ。左に転がろうとしたディアの頭、すぐ横にセレンは自分の剣を刺し、ディアの剣を右足で踏みつけ左の膝をその背中に押し付けた。ディアの身体は完全に地に伏していた。
 すぐにセレンは立ちあがって剣を地面から抜き、土埃を払ったが、その間誰も、ディアも見物していた兵士達もラベイですら何も言わなかった。
「今のは戦闘不能の状態に、当然入りますね」
 口を開けたままのラベイに確認するように言ってやれば、慌てた様子でラベイが頷いた。ディアがゆっくりと身体を起こし、信じられないという顔でセレンを振り返る。その顔にセレンは剣を向けた。
「今のは無しにしておきましょう。もう一度、やりますか」
「たりめーだ」
 セレンの問いに答えたのは、いつの間に来たのやら長弓を肩に提げたアンバーだった。ラベイがアンバーに敬礼したが、アンバーはそれに応えずディアを睨みつける。
「いつまで転がってんだ。さっさと立て」
 はい、とディアが弾かれるように立ちあがり、直立不動の姿勢をとった。
「なんで自分が負けたかわかるか」
 厳しい声に、ディアの身体が竦むのが見て取れた。アンバーは問うたものの、答えを求めたわけではないようで、すぐに言葉を続けた。
「最初からな、お前は引っ掛けられてたんだ。こいつが上着を脱がねーから、お前は頭に血が昇った。こいつの見た目がひょろいから、お前は無意識に油断した。お前はこいつがソーレと戦うのを見ていたのに、吹っ飛ばされてた所しか強く覚えていなかったから、自分も同じように吹っ飛ばしてやろうと思ったんだ。違うか?」
 その通りですと、ディアが小さいながらもはっきり答える。アンバーの教育は行き届いているようだ。ディアだけではない。見物していた兵士達も、まるで自分が叱責を受けているかのように直立の姿勢を取っている。
「今お前が負けたのは、お前が真面目にやらなかったからだ。恥じろ。そんで今度は全力で向かえ。お前も」
 と、ここへ来てから初めてアンバーがセレンに視線を向けた。
「真面目にやれ。剣持ったら、勝負すんなら、常に全力でやれ。それが礼儀だ」
 静かに燃える金の両眼が、あの日のソーレとの対峙のことを言っているのだと物語る。わかったと小さく頷くと、アンバーはついと顔を背けた。
「さっさと構えろ。また今みたいな情けねー負け方したらただじゃおかねーからな」
 歯切れの良い返事が響き、ディアが今度は欠片も隙なく構えた。セレンも今度はフードマントを脱ぎ、近くの兵士に渡す。髪を一括りにして構えると、アンバーがセレンを一瞥した。
「てめーもあっさり負けんなよ」
「誰に言っている」
 仮面の具合を確かめて、セレンは柄をしっかと握った。

「そう言えばアンバー殿、何故こちらに? 交替にはまだ早かったのではありませんか」
 2度目の試合、健闘したけれどもまた足元から崩されて負けたディアを叱咤していたアンバーに、ラベイが今気付いたとでも言うように問い掛けた。腕を捲くって埃を払っていたセレンも、つられてアンバーを見る。アンバーがディアの襟を放し、セレンを指差した。
「こいつ探しに来たんだよ。剣より弓矢の方が向いてんじゃねーかと思って」
 指差されたセレンは、一気に脱力するのを感じた。自分があれ程頭を悩ませていたというのにこの男は、思いつきで怒りを忘れていたらしい。
「剣苦手だって言ってたろ。弓矢もやってみたらどうだ」
「そのような時間があればの話ですがね」
 ため息と共に返してやれば、アンバーは聞こえたのか聞こえなかったのかラベイを指して、「俺よりラベイのが上手いんだ」とのたまった。
「で、第7分隊のルチルってのが多分一番上手い。弓矢は第7に得意な奴が多いな。これから第7分隊が長弓練習だから、一緒に行ったらどうだ」
 思わぬところで知った名前を聞き、僅かに心動かされたが、セレンは笑顔で断った。
「私はアンバー殿に用があって来たのです。第2兵宿舎についての件でお話したいことがありまして、城までご足労願います。できればラベイ殿にも同席いただきたいのですが、都合はつきますか」
 いじけた様子のアンバーは捨て置き、セレンはラベイを振り向いた。肯定で返したラベイに頷き、セレンは踵を返して城へと続く小道に進んだ。



'09/03/31


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