the matter causes matters
いよいよ誕生祭の最終日がやってきた。順を追って帰国する来賓をまだしばらくはもてなさなければならないが、それも1週間とかからない。どちらにせよセレン自身は客の相手をしないのだから、客同士が諍いを起こさぬようにと神経を張る必要がなくなる。それすらも、今のところはイオが色々気を配っているお蔭で各国同士の来賓は上手く行っていて、つまるところ目覚めと共に清々しい気分になれる筈だったのに、セレンの心は昨夜から重く沈んでいた。
それも全てはただ1人の浅慮な振舞いの所為だと、セレンはベッドの上で大きく肩を落とした。
昨夜のパーティは酷かった。いや、初めのうちこそウィンリードの楽隊が奏でる素晴らしい演奏に皆楽しげだったのだ。なのに案の定とでも言うべきか、エトピリカがやらかした。あの時のソーレの蒼白な顔は忘れられない。
エトピリカが自らラシャの近くへ行った時点で止めるべきだったのだ。彼女は広間中に聞こえたのではないかと思うほどの高い声で、ウィンリードの音楽を侮辱した。その上、言外に昼間のラシャの衣装がイローネでは芸人が身につけるような服であること、身分ある人間はあのようなはしたない真似をしない、他の身分ある人間を貶めるということまで言った。
セレンはラシャが腕を振りかぶった瞬間に、内心やってしまえと思ったが、その手がエトピリカの頬を打つことはなく、エトピリカに何かを強い調子で言い放って蒼白な顔のまま広間を立ち去った。直後怒りに顔を染めたエトピリカをソーレが捕まえ、周りに非礼を詫びながら広間を後にした。セレンはすぐにイオを探したが、とっくにラシャを追って行ったらしく、すっかり冷めてしまった場をセレンが解散させて終わったのだ。
あの後セレンはアンバーと共にイオの執務室に控えていたのだが、暫くの後にソーレが1人で現れて再度深く頭を下げてきた。曰く、エトピリカは甘やかされて育った為に何をしても許されると思っているような節がある、本来なら本人に頭を下げさせるべきなのだが今はまだ興奮状態にあり、代わりに自分が謝罪に来た、年に一度の大切な式典なのに台無しにした罪は何をしても許されるようなものではないが、陛下の寛大な措置を願う、と。
セレンはイオに伝える旨を言い、ソーレを下がらせた。アンバーが何か言いたそうだったが、ここはセレンに任せるべきだと判断してくれたらしく、そのまま黙ってソーレを見送った。
夜半を過ぎた頃、セレンがアンバーを帰らせた頃にようやくイオが帰ってきた。珍しく意気消沈した様子に不安になったが、ラシャは気にしていない、場を台無しにしてしまい申し訳ないと謝ったそうだ。
「けど目が赤かった。泣いてたんだ」
顔を押さえて項垂れるイオを残し、セレンは自室に下がった。イオの責任ではない。けれどそんな言葉で彼を慰めることなどできないし、慰めを望んでいないこともわかっていた。
何もできなかったのは、セレンも同じだった。
何もできなかった。けれど、何かが起こる前に手を打てた筈だった。エトピリカがラシャを良く思っていないことは、昼の時点でわかっていたのだ。何故エトピリカに理由を聞き出すようソーレに頼まなかったのだろう。何故アンバーに、パーティーの間はずっとエトピリカの相手をするよう言わなかったのだろう。何故イオにラシャから離れないように言っておかなかったのだろう。いくらエトピリカでさえ、ラシャの近くにイオの姿があればあのような言動は慎んだかもしれなかったのに。
終わったことをいくら悔やんでも無駄だということは、薬草の匂いが漂う小屋でスネイクから貰った数少ない慰めの言葉だ。悔やむくらいなら次に活かせと。
そんなことはわかっている。けれど理解と行動は別物だ。セレンはベッドから足を下ろし、薄暗い部屋の中で服を着ながら顔を顰めた。
問題は、どうやってラシャの、ウィンリードの面目を取り戻すかだ。来賓の前で侮辱された事実はどうあっても消えないし、エトピリカにとっても事態は良いとは言えない。2人共、各々の国を代表して来ているのだ。片や国の誇る文化を侮辱され、片やその言動の重みを理解していないと見える。ウィンリードとイローネに直接の国交はないが、だからこそヘリオットがこの問題にどう対応するかで他国の立つ瀬が変わるのだ。
エトピリカが悪いことは明瞭だからと言ってウィンリードの肩を持てば、自業自得とはいえイローネの立場がなくなる。けれど昔馴染みだからと言ってイローネを庇えば、マルーンに続く道を閉ざされるだけでなく他国からも白い目で見られることは分かりきっていた。ただでさえイローネにはソーレという、遠薄とはいえ王族の血縁がいるのだ。身内贔屓と思われては堪ったものではない。いっそ放っておきたいが、ヘリオット国内で起きた問題を放置したとなればイオの立場がなくなってしまう。
最良の案がセレンの頭に浮かんでいない訳ではない。けれど、それを現実に持ち出せるかどうかはまた別の話だった。
***
昨夜終えきれなかった仕事を片付けた後、セレンは城内見回りの前にイオの部屋へ向かった。中へ声を掛けようとする警備兵を制し、セレンは自ら扉を叩く。スイの声が返事をし、セレンは中に入った。
執務室の机の上は、当然綺麗なままだ。そこに持ってきた判を待つだけの書類を乗せ、セレンはスイを振り返る。陛下はと尋ねると、スイは隣の部屋を目で示した。
「まだ寝室にいらっしゃいます。先程声をお掛けしましたが、もう少しお休みになりたいそうです」
セレンはスイに頷き、その横を通って私室に足を踏み入れると寝室の前に立った。執務室でならともかく、ここなら誰に聞かれる心配もない。厚い扉は執務室にすら声を漏らさないだろう。
「起きてるんだろ。入るぞ」
返事は待たず、セレンは取ってを捻った。予想通り鍵は掛かっておらず、僅かな軋みを立てて扉が開く。カーテンも開かれていない寝室の真ん中、ベッドの上でイオが昨夜の正装のまま膝に顔を埋めていた。その姿にセレンは顔を顰め、やや強く「おい」と声を掛ける。
「しっかりしろ。お前の所為じゃないのはわかってるだろ」
ああと呻くような返事に、セレンは聞こえるようにため息をついた。
「こんなことくらいで落ち込んでんじゃねぇよ。たかが女の嫉妬だろ」
事実セレンは失望していた。兄が殺されかけている時、埃まみれになりながらも道を探してもがいていたイオが、気になる女が泣いていたというだけでここまで情けなくなってしまうとは。
だから、イオが急に身体を開いてベッドに寝転がったのには驚いた。
「そこなんだよ」
頭の下で手を枕にし、仰向けになったイオが天井を見上げたままいつも通りの明るい声で言う。
「俺だってエトピリカがアンバーのこと好きなのくらいわかる。だから、なんであいつがラシャ様に突っかかったのかがわかんないんだよな」
それからイオが身体を起こし、頭痛を感じ始めたセレンを見た。セレンは押し寄せる疲れと共に部屋を横切り、カーテンを勢い良く開く。急に明るくなった為に目が眩んだが、セレンは気にせずイオに向き直った。
「お前、ずっとそんなこと考えてたのか。それも一晩中」
「どうやってエトピリカに謝らせるかもな」
イオの返事にセレンは大きくため息をつき、「アンバーの所為だ」と吐き捨てた。
「あの馬鹿がエトピリカ様の前でラシャ様を庇うような真似したからあんなことになったんだ」
そんなことしてたっけ、とイオが首を傾げた時、セレンの袖口からルピが首を突き出した。
「あ、そいつ」
「ルピ。こいつが見てたんだ」
ラシャとエトピリカを引き離す為にアンバーがソーレ達と中庭に行った後のことだ。当然の如くエトピリカはラシャへの文句を延々と垂れ流していたらしい。そこへアンバーが、自分はあの舞いが綺麗だと思った、自国の文化を誇って何が悪いというようなことを言ったそうだ。
「そもそもお前、昨日の昼アンバーにソーレを誘いに行かせただろう。好きな男が別の女を見たがってる、なんて普通いい気はしないもんだ」
セレンが事の次第を話すにつれてイオの顔が疲れていく。
「おまけに昨日のパーティー、俺がラシャ様と踊ったのは知ってんだろ。あの後アンバーが来て、2人で話してたんだ。イローネ姫弁解してたみてーだけど、遠目からじゃアンバーとラシャ様が楽しそうに話してるように見えたろうな」
あの馬鹿、とイオが呻くように言ったのが聞こえた。
「俺、アンバーにラシャ様には近付かないよう言っといたのに」
どうやら昨夜はセレンより、イオに先見の明があったらしい。結局は無駄に終わったようだったが。
「次はお前がエトピリカに張りついてることだな。それより」
声音を真面目なそれに変え、セレンはイオの気を引いた。
「思いついたのか、あの女に謝らせる方法」
一晩考えて何もない、なんてのは無しだぞと釘を刺すと、イオがきょとんとした後に大きく笑みを浮かべた。
「多分お前が考えたのと同じだぜ」
セレンにとって嫌な予感しかしない笑みでそう言われたということは、十中八九セレンが思いついたのと同じ策なのだろう。
その後に降りかかるだろうアンバーの怒りを考えれば、決して取りたいと思えない策だったが。
***
最後のパーティーも伝統通りダンスが主体だが、その前にヘリオットの戦士達が客賓への礼と余興を兼ねて剣舞を披露する事になっている。その為アンバーは朝から兵宿舎に篭りっきりで、セレンはアンバーの知らぬ間に事を進めることができた。事前に手筈を伝えていおいたソーレはともかく、セレンが話し終えた後のエトピリカは形容し難い表情を浮かべてセレンとソーレを交互に見比べていた。
「それは本当なの?」
ようやく口を開いたエトピリカがソーレに確認を取る。ソーレの視線がちらとセレンを向いたが、セレンが小さく頷くと腹を括ったのか「はい」と答えた。
「アンバー殿のような態度を取る男は、大概そうです」
ソーレの言葉に、半ば呆然とした様子でエトピリカが「そうなの」と呟く。しばらく言葉を失っていた様子だったが、セレンが声を掛けようとすると不意に顔を上げた。
「私が悪いんだわ。何もかも」
どうしましょう、とやや取り乱した様子でエトピリカがソーレに縋る。その様子を見て、セレンは上手くいったと口の端を軽くあげた。
突然の姫の行動にソーレは軽く驚いた様子だったが、すぐに落ち着きを取り戻してきっぱりと言った。
「何をすべきかはお分かりでしょう。エトピリカ様は国の代表としてあまりにも軽率過ぎました。けれど今ならまだその過ちを償うことができます」
でも、と躊躇するエトピリカにソーレが畳み掛ける。
「大衆の面前で、人を貶めることはできても自らの過ちを認められないと仰るのですか。それでイローネに生まれ育ったと、エトピリカ様は仰ることができますか」
ソーレの言葉はエトピリカの自尊心に突き刺さったようだった。暫くの後に顔を上げたエトピリカの口元はきつく結ばれていたが、鷲羽色の目を見ればそれは明白だった。
'09/03/16
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