She is similar to him.







 客賓が城内にいる間、もてなしはイオとアンバーが、その他雑務はセレンが済ますと役割分担を決めていた。勿論二人は不公平だと文句を言ったが、セレンがイオの机に積もる書類やアンバーの部屋から運んできた紙の山を示すと揃って口を閉ざした。そもそも今までだって、セレンが書類関係の仕事を一手に引き受けていたようなものだ。議会では他の者も呼んで話し合ったが、内容をまとめるのは大抵セレンだったし、提出されたまとめに目を通し、二人の負担が減るように、それらを厳選したり順序を変えたりなどと気を配っていたことは彼らも知っている。
 もっとも、それらをやるのは自分の負担を減らす為でもあったのだが。二人に任せていては、一目を通せば済む書類が紙束の一番上にくるのがいつになるのか知れたものではない。
 なので客賓を迎える準備が始まってからこの方、セレンは実に効率的に仕事をこなすことができていた。
 今朝アンバー達と別れた後、セレンは執務室に引っ込み、フードマントを椅子の背に掛けたまま一人で仕事をしていた。初めは気に入らなかった仮面だが、いざつけ始めてしまえばこの季節こんなに快適なものはない。
 昼過ぎ、セレンはようやくペンを置いて大きく伸びをする。給仕が置いていったサンドイッチを頬張り、セレンは午後に何をしようかと首を巡らし外を眺めた。
 フォッシルの所にでも行こうかと考えた時ノックが聞こえ、返事をする前に扉が開かれた。
「やっぱり。こんな天気良いのに引き篭もってるから不健康なんだよ」
 正装とはいかないまでも普段着よりはきちんとした格好のイオが、「どうぞ」とも言っていないのに勝手に中に入ってくる。その後ろにエトピリカとアンバー、それに困った顔のソーレがいるのを見てセレンは小さくため息をついた。仕方なく立ち上がって一礼し、「何か御用でしょうか、陛下」と問いかける。
 迷惑そうな声音は伝わったと思うのだが、イオはまったく気にした様子がない。
「なんだ、今飯かよ。今から下でウィンリードの楽隊が演奏してくれるって、聞いてないのか」
「彼らは今夜のダンスパーティで演奏してくださると伺っております」
 セレンの言葉でイオが何かに思い当たったような顔になり、言ってなかったなと手を打つ。
「昨日ラシャ様が、ウィンリードの伝統舞踊を見せてくださるって言ってくれたんだ。ダンスパーティには向かないけど、俺に似合う曲だろうからって」
 いつのまにそんなに打ち解けていたのだろうか見当もつかないが、良い兆候だ。ということは後ろの連中はイオに誘われたのだろう。
「他の来賓方にはお伝えになられましたでしょうか」
「ああ。お前もくるだろ」
 当然のように言われ、後ろでソーレがイオとセレンをやはり困ったように見比べ、セレンはまだ一切れしか食べていないサンドイッチを見てため息をつく。それから無理矢理笑みを浮かべ、「お気遣いいただき有り難く存じます」と一礼した。

***

 サンドイッチの脇に“後で食べる”と給仕への走り書きを残し、セレンはイオたちについて中庭に出た。昨夜の幻想的な様子とは打って変わり、陽の光を燦々と浴びる緑は実に眩しかった。
 フードマントを持ってきて良かったと、セレンは深くフードを被り直す。即席の日除けも作られてはいたが、あれは来賓の、それも主に姫君用だ。
 暑さは鬱陶しいが、日焼けの後の火傷を思えば我慢できる。悠々と日除けに入っていくエトピリカを見送り、セレンは中央に目を移した。
 ウィンリードの楽器は独特の形状をしていて、打楽器が主だと聞いていたが弦楽器も並べてある。その横では薄い衣を幾重にも纏った踊り手達が静かに佇んでいた。踊り手の一人が顔を上げ、こちらに向かって微笑む。その顔を見てセレンは驚いた。
「ラシャ様自らが舞ってくださるのですか」
「ウィンリードじゃ大切な儀式の時には王族が舞い手を務めるそうだ。ヘリオットじゃ踊りは娯楽だけど、ウィンリードでは神との交流の手段だって言ってたぞ」
 セレンの言葉にイオが答え、地面に敷かれた布に腰を下ろす。その横にアンバーが座り、ソーレはと探せば日除けの横に佇んでいるのを見つけた。セレンはイオの脇に立ったまま、再び中央に顔を戻した。
 丁度良く音楽が始まり、今まで雑談をしていた客賓達も静まり返る。出だしはゆっくり、徐々にテンポが速くなっていく曲調は、どこか懐かしい雰囲気がした。
 ひらひらとなびく薄絹が陽に透けて輝き、統制の取れた滑らかな動きに目を奪われる。どの踊り手も見ていて気持ちの良いほどに上手かったが、見ていれば4人のうちで一番美しい動きをしているのがラシャだと分かる。黒く豊かな髪は光を浴びて青く輝き、均整の取れた身体が伸びやかに動く様は、しなやかな動物を思わせた。
 一瞬ラシャにディアナの面影が重なり、懐かしく感じたのも道理だと1人頷く。ディアナが女連中と踊る時、これによく似た曲を使っていた。
 明るく聞いているだけで気持ちが弾むような曲は、イオらしいといえばイオらしい。曲が終わり踊り手達が優雅に礼をした後、しばらく拍手が鳴り止むことはなかった。
 イオが立ちあがって礼を述べ、それにラシャがまたお辞儀する。昨夜見たすまし顔とは打って変わり、ラシャの顔は喜びに輝いていた。
 この皇女もどうやらイオやアンバーと同じ類の人間らしい。つまり、格式張った儀式が苦手な部類だ。
 中へ戻って行くラシャ達を見送りながら、もう一度盛大な拍手が観客から沸いた。その中で、セレンはエトピリカだけが1人不満気な表情をしているのに気付く。手では拍手をしていたが、眉根は寄せられ口元は固く結ばれている。中庭にざわめきが戻るや否や、さっさと日除けを離れて城の中へ戻るのにソーレが慌てて付き従うのが見えた。
「何見てるんだよ、中入ろうぜ」
 イオに肩を小突かれ、我に返ってセレンは先を行くアンバーに続いた。隣りにイオが並び、セレンの袖を摘み上げる。
「まだ着るんだな、これ」
「肌が弱いので、夏の日差しでは火傷をしてしまうのですよ」
 話しながら城内に入り、フードを下ろせばイオが噴き出した。
「もう化粧はしないのか?」
「今宵のダンスでは私が陛下のお相手する必要もないでしょう」
 にっこり笑って返してやれば、つまんねーのと返される。前を行くアンバーの足が速くなったのは、気のせいではないだろう。
 その場を辞そうとし、このまま先に判を押してもらおうかと考え直した矢先に前からラシャが侍女と共に歩いてくるのが見えた。もう普通の服、と言ってもドレスだが、に着替えている。
「暑かったでしょうに、先程はありがとうございました」
 イオが言うと、ラシャは口元を押さえて笑った。
「ウィンリードに比べれば涼しいものです。お気に召していただけたようで、舞い手達も光栄でしょう」
「彼女達にも改めて礼を伝えておいてください」
 散々姫達と交流するのを嫌がっていた癖に、と半ば呆れたが、セレンはアンバーと顔を見合わせて肩を竦めることで我慢する。その時廊下の反対側から、エトピリカがソーレを伴って歩いてきた。
 ソーレはセレン達を見て立ち止まったが、エトピリカは気にする様子もなく歩いてくる。気疲れしたようなソーレが後に続き、エトピリカはセレン達のすぐ近くに来てようやく立ち止まった。ラシャがエトピリカに気付いて目礼したが、イローネの姫はすまし顔のままそれを無視した。ソーレの顔色が変わる。
「エトピリカ様はウィンリードの舞踊をご覧になったのは初めてだそうですね」
 イオが場の空気を保とうとエトピリカに話し掛ける。セレンは内心で大きくため息をついた。エトピリカがラシャを一瞥し、「ええ」と短く答える。ラシャの侍女が表情を固くした。
「あの暑い中でよく伸びやかに動けるものですわ。それもあんな格好で。私にはとてもじゃないけれどできそうにありませんもの」
 エトピリカ様、とソーレが諌める。ラシャが衣装のひだの間で拳を握り締めたのが見て取れた。
 何故かわからないがエトピリカはラシャを敵視している。2人を離した方が良さそうだと、セレンはアンバーを小突いた。アンバーが一瞬顔を歪めてセレンを見下ろし、小さく悪態をついてエトピリカを振り返る。
「あなたは昔から、私やソーレ殿が走り回っているのを傍で眺めていましたからね。これから私はソーレ殿と手合わせをしたいのですが、よければ昔のように見ていてくださりませんか」
 いっそ面白いほどにエトピリカの表情が一転した。「喜んで」と今にもアンバーの腕に飛びつきそうな勢いで答え、イオ達に「ごきげんよう」と形ばかりの挨拶をする。3人で歩いていく間際、アンバーが「覚えてろ」とセレンに言ったのは聞こえなかったことにした。
 イオがラシャを振り返り、「申し訳ありません」と頭を下げる。ラシャが拳をほどいて笑いながら答えた。
「陛下が謝られるようなことではありません。エトピリカ様は暑さが苦手なようですね。そちらの方は随分寒がりのようですけれど」
 ラシャが大人だったことにセレンは内心胸を撫で下ろし、「ラシャ様」と笑みを返した。
「ご挨拶遅れてしまい申し訳ございません。私はヘリオットのディアノイア、セレナイトと申します。どうぞセレンとお呼びください」
「こうしてお話する機会がなかったのですから仕方ありません。お話は陛下から伺っておりますわ」
 くすくすと笑いながら言われては、何を言われたのか不安になっても仕方ないだろう。向こうからは分からないのを良いことにセレンはイオを睨みつけ、ラシャに視線を戻した。
「陛下には異性のご友人があまりおられないので、ラシャ様がお近付きになってくださり臣下として嬉しく思います」
「セレン」
 イオが余計なことを言うなとでもばかりにセレンの肩を引く。ラシャがまた笑った。笑うとつりがちな目が緩み、すまし顔より余程魅力的な顔になる。
「セレナイト様がいらっしゃっては、大抵の女性は気後れしてしまいます。男性というのが勿体無いほどですもの」
 誉められているのだろうが嬉しくはない言葉に、どういう顔をしたものか迷う。侍女が笑いを堪えているのに気付き、セレンは肩を落とした。
「ラシャ様のような美しい方に誉めていただけるのならば光栄ですね」
 冗談めかして言ってやれば、イオもラシャも声を立てて笑った。「失礼」とラシャが口を押さえたが、何故かイオが「お気になさらず」と返す。
「何故皆セレンを女性と間違えるのか、私やアンバーにはまったく理解できません。こんなにヘリオットらしい強さを備えているというのに」
 イオの言葉にラシャが不思議そうな顔をした。イオが「お話したでしょう」と、ラシャを見ながらセレンの肩に手を乗せた。
「確かにアンバーは、我が国の誇る強さを体現していると言っても過言ではありません。屈強な肉体、強い意志、だからあの若さでも皆がついて行く。ヘリオットでの強さとは、肉体の強さのみをいうのではありません。目には見えにくいですが、この者も確かに強さを持っていると私は思います」
 アンバーもそうですよ、とイオが付け加え、セレンを見る。「陛下」とセレンは微笑み掛けた。
「いつになく饒舌でいらっしゃるのは、ラシャ様がおられるからなのでしょうか。それとも溜まった執務を押しつけているという罪悪感からのお言葉でしょうか」
 お前なあ、とイオが乗せたままだった手でセレンの肩を押す。「陛下は私を買被り過ぎです」と、セレンは一歩退きラシャを見た。br> 「この国では、強さこそが至上の物という考えが幼子にまで浸透しており、男子の殆どが、兵士に志願し国を守るという夢を見て喧嘩に励む姿があちこちに見られます。なので私のような貧弱な者は、いつも肩身の狭い思いをしていました」
 イオが「どうだか」と小声で呟く。セレンは無視して先を続けた。
「そんな私をどうして陛下が取り立ててくださったのが、今でも疑問に思うことがあります。けれどヘリオットでいう強さが肉体のみを言うのではないとするのなら、陛下は間違いなくその“強さ”を備えていらっしゃると思います」
 イオの耳が赤くなり、やや乱暴にセレンを小突いた。けれどラシャは深く頷き、セレンからイオに視線を移す。
「私もそう思います。この数日でわかりました。国王だから、という理由では説明がつかないほどに、城の誰もがアイオライト様という1人の人間を大切に思っていらっしゃいます。私と年もそう変わらないというのに、国王という地位の重さに圧されているご様子もありません。それは確かに強さであると、私も思います」
 似ている、とセレンはラシャとイオを見比べた。真っ直ぐに相手を見ながら、飾ることなく考えを、思いを相手に伝えようとするところが2人共似ているのだろう。
 そして個として人を見るところも、とセレンは真っ赤になっているイオを斜め後ろから眺める。それからラシャの方を見て、何か言いたげな侍女と視線が合った。なんとはなしに向こうの考えていることがわかり、セレンは侍女と頷いた。
「陛下、私はまだ仕事がありますので失礼させて頂きます」
 まだ赤い顔で振り向いたイオが何か言う前に、セレンはラシャに顔を移し、「素晴らしい舞いを披露いただきありがとうございました」と一礼する。
「昨夜は陛下と踊られていましたが、今宵は私とも踊っていただきたいですね」
 驚いたような顔をした後、ラシャがすぐに「喜んで」と答えたのを確認してからセレンはもう一度礼をして踵を返した。イオが何か言いたげだったが相手をする必要もないだろう。
 廊下の端まで来た頃、ラシャの侍女が2人を残して廊下の反対側へ歩く足音を聞きながら、セレンはまだサンドイッチは残っているだろうかと執務室へ向かった。


'09/03/01


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