Let's battle!
あの後スイを追い返し、夜が明けるまでの短い仮眠を取って、セレンは城内の見回りに出ていた。客人が来ている間は皆が起き出す前に城内清掃を終わらせるように言いつけてある。掃除係が忙しなく走り回っている横を抜けながら、セレンは兵宿舎へ向かった。
鍛錬場の方からは、いつも通りの朝稽古の声が聞こえてくる。予想はしていたが、勝ち抜き戦の班の中に、一際目立つ赤茶髪が紛れていた。
「朝から精が出ますね」
声を掛けながら円に近付くと、皆が動きを止めてセレンを振り向いた。気にしなくて良いと手振りで示し、セレンはソーレのいる円の縁に立つ。
「勝手な真似をして申し訳ありません」
恐縮した表情に悪戯が見つかった子供の顔が重なり、セレンは自然と微笑んだ。セレンが来たことに気付いたアンバーが、「俺が誘ったんだ」と近付いてくる。
「客をもてなすのも俺らの仕事なんだろ」
「客賓皆様方を平等にもてなして頂きたいものですね」
皮肉に皮肉で返し、セレンはソーレに向き直る。
「1日でも鍛錬を怠れば3日分の遅れが出る。己を磨こうという姿勢には感服いたします」
「そんな、ただ自分、いや、俺は身体を動かさないと落ち着かなくて」
照れて困る顔を見て、セレンは複雑な気持ちになる。昨夜ダンスに誘われた事実は、どうあっても消えないだろう。
互いに黙ったセレン達を見比べ、アンバーが不意に木剣の柄をセレンに向けた。見上げると、「暇なんだろ」と剣を押しつけられる。困惑しているのはセレンだけでなく、ソーレも周りの兵士も同じだ。
アンバーはソーレに目を移し、セレンを指差した。
「いい加減目ェ覚ませ。いくら貧弱だからって、こいつに胸は無ぇし股にゃあるべきもんがぶら下がってる。お前見てると哀れで仕方ない」
アンバー、とソーレが顔を真っ赤にして怒鳴った。昨夜のセレンの姿を見た兵士達も、戸惑った様子でセレンとアンバーを見比べている。
「なんで昨日こいつが女装してたかは知らねーが、間違えようがないだろうが。お前も」
アンバーがセレンに目を移す。
「妙な真似すんな。てめーのお蔭でこっちが迷惑すんだよ」
ずっと周りと同じように困惑していたセレンは、その言葉でようやく合点がいった。ソーレがセレンを女と勘違いしている限り、エトピリカのアンバーに対する熱烈な誘いは止まることがないだろう。
セレンは深くため息をつき、フードマントを脱いで手近の兵士に渡した。念の為につけていた仮面をしっかりと固定し、長い髪も後ろで1つに纏める。驚いたままのソーレに向き直り、セレンはまず頭を下げた。
「誤解を招くような行動をしていたことを深くお詫び致します。昨夜は陛下が他国の姫君と交流しやすいようにとあのような格好をしておりました。決してソーレ殿や他の方々に恥をかかせるつもりではなかったことをご理解ください」
呆然としているソーレに、セレンの良心が僅かに痛んだ。
「では、本当に……男性だと?」
「はい」
真っ直ぐに顔を上げて答えると、ソーレはため息とも呻きともつかぬ声をあげて顔を押さえた。アンバーが腕組みをして荒く息をつく。
暫くそうした後、ソーレはやおら顔を上げて笑い出した。ひとしきり笑った後、セレンに向かって手を差し出す。
「こちらこそ、大変失礼な勘違いをしてしまい申し訳ありません。俺があなたを女性だと思ったのは昨夜よりずっと前のこと、謝らなければならないのはこちらの方です」
印象通りの竹を割ったような気性にほっとし、セレンはその手を握り返した。
「お許しをいただけたようで大変嬉しく思います」
手を離した後、ソーレが天を仰いで手の平を顔に押し付ける。そのまま深呼吸をしたかと思うと、セレンに向き直った。
「これですっきりしましたよ。恋敵が従兄弟だとしたら、到底勝ち目はありませんから」
「どういう意味だよ」
間髪入れずにアンバーがソーレを小突き、取り囲む兵士達から笑いが広がった。セレンも一緒になって笑い、その後木剣をくるりと回しソーレの注意を引く。
「ところでお手合わせいただけるというお話は本当でしょうか。馬術も見事ながら、ソーレ殿の剣技は相当なものとお見受けしました」
笑いの残っていたソーレが、けれどセレンを眺め下ろして困惑した。心の内を読んだのか、アンバーが「やっちまえ」とソーレを押す。
「見た目はひょろひょろしてっけど、セレンの腕は俺が保証する。こいつらなんか相手になんねーぞ」
アンバーが兵士達を指しながら言った言葉にセレンは驚いた。思えばアンバーからセレンを肯定するような言葉を聞くのは数えるほどしかない。
遠慮がちだが疑わしげなソーレの視線に、セレンは笑みで返した。
「剣は得意でありませんが、毎朝アンバー殿には鍛えてもらっています。よろしければ鍛錬にお付き合い願いたいのですが」
ソーレはまだ困惑している風だったが、アンバーが手を叩いて円を作らせると腹を決めたように剣を構えた。セレンも剣を握り直し、アンバーに目で合図する。
「始めッ」
アンバーの号令と共に、セレンは前に飛び出した。ソーレの目前にまで迫り、胴を薙ぎ払うと見せ掛けて上に跳ぶ。慌てた様子で構え直された剣ごとソーレの胸を蹴り、セレンは宙で1回転してから着地した。普段は自分から攻めるような真似はしないが、遠慮気味だったソーレの気を引き締めさせるのには充分だったようだ。驚きつつも本気になったのが見て取れる。
「何押されてんだ、弱くなったのか。実戦練習ってんならこいつ以上の相手はいねーぞ」
アンバーがソーレに激を飛ばす。セレンは幼い頃から剣を学んでいた訳ではないから、型を気にすることがない。木剣だというのを良いことに、アンバーとの練習では平気で足も手も使っていた。
いつのまにか他の班の連中も観戦し始めている。セレンは普通に剣を構えた。セレンの戦い方は正規のものではないから、あまり見せびらかしたいものでもない。下手をしたら身元がばれる可能性もある。
ソーレの右足に重心が移りつつあるのに気付き、セレンはバネを溜めて攻撃に備えた。
弾かれるようにソーレの身体が飛び出し、セレンの足元に剣が振り下ろされる。いくら木剣でも、この勢いで直撃したら足が腫れあがってしまう。上か横か、一瞬の迷いの後にセレンは前に飛び出した。
真っ直ぐソーレの首に向かって木剣を伸ばす。途中で弾かれることも予想済みだったため、剣が手から離れることはなかった。それでも衝撃は重かったし、胴を払うという次の手に移ることができなくなってセレンは一旦距離を取る。けれど手の痺れを確認する間も与えず、ソーレが上段から剣を振り落としてきた。
セレンの腕力では受け止めることはおろか受け流すこともできない。咄嗟に左に転がることで避け、セレンは木剣の腹でソーレの膝裏を打つ。本来なら足の裏で打ち、そのまま肩口を掴んで相手の体重を利用しつつ地に引き摺り倒す所だが、今はソーレの体勢を崩すだけで充分だ。セレンはソーレの背後を取った。
そのまま横一線に木剣を払おうとした矢先、右側からソーレの剣が迫ってくるのが見えた。咄嗟に後ろに下がると、木剣はセレンの髪を打ち払いながら目前を通り過ぎていく。ソーレの身体が開いた。
セレンはその隙を逃さず前に飛び出す。ソーレの技術は卓越しているし、恵まれた体格から繰り出される一撃をセレンが受けるのは到底不可能だ。だが小柄な体格は素早さを産む。セレンは勢いを利用してソーレの右手首を打った。
ソーレの顔が苦痛に歪む。けれどその手から柄が離れることはなく、逆にセレンを剣ごと薙ぎ払った。身体が宙を飛び、地面に二度三度もんどり打つ。
「それまでッ」
腕を使い体勢を直したところでアンバーの制止が入り、セレンは大きく息を吐いてから構えを解いた。涼しい早朝だと言うのに、長い髪が首や顔に張りついてくる。
「なんで止めるんだよ」
不満そうなソーレがアンバーに文句を言う。セレンは服についた土埃を払い、張り付く髪を剥がした。
「なんでじゃねーよ。お前の勝ちだろうが」
「だったら俺の右手が打たれた時点で終わりだろ」
「あいつの力じゃ精々防具が歪む程度だ。つーか勝った癖に文句言うなよ」
「そうじゃない、折角良いところだったのに水差すような真似するなって言ってるんだ」
「勝負ついたところのどこが良いところだってんだよ」
口喧嘩を始めた2人を、セレンは唖然として傍観する。ソーレがアンバーと似ているのは外見だけで、中身は真逆の落ち着いた大人という印象を持っていたのだが、負けず嫌いなのはどうやら血だったらしい。兵士達が「また始まった」と苦笑した。
「だから騎士なんてやめろっつったんだよ、名誉なんか役に立たねーだろが」
「そういうお前だってケイルになったせいで闘技大会出れないって文句言ってたじゃないか」
「俺は自分の鍛錬もしっかりしてるからいいんだよ」
「俺が自己鍛錬を蔑ろにしてるって言いたいのか」
そんなこと言ってないだろ、とまたアンバーが食って掛かったところで、セレンは手を打ち二人の注意を引いた。
「遠慮せずに言い合える相手がいることは喜ばしいことですが、少しは周りを気にしてください。皆馬の世話をしに行ってしまいましたよ」
セレンの言葉に2人が同じ顔をして周囲を振り返る。アンバーが「あいつら」と舌打ちし、ソーレが恐縮したように謝った。
「恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません。それにしても、セレン様が剣を習われているとは知りませんでした」
「ディアノイアは文官ですからね。それでもヘリオットの男子である以上、強さには憧れるのですよ」
アンバーに剣を返し、セレンはフードマントを羽織る。流石にまだ暑いので、フードは被らずにおいた。アンバーがセレンの言葉に鼻を鳴らし、ソーレの肩を押した。
「さっさと馬場行かねーと時間無くなんぞ」
不意をつかれたようにソーレが応じ、セレンに一礼して歩き出す。アンバーがセレンを一瞥して、口の動きだけで「下手糞」と言った。そしてすぐに踵を返してソーレに続く。セレンは二人を腕組みしながら見送った。
'09/01/19
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