Under the moonlight.
宴の後、中庭へ行くとペペルはまだいなかった。人を呼んでおいてと思った矢先、背後から近付く下手な忍び足に気付く。振り向くと中庭の端にペペルが姿を現したところだった。
「やはりあなたは月明かりの下が良く似合う。夢ならば覚めぬことをと願ってしまいますね」
似非臭い満面の笑みに反吐が出そうだったが、セレンはなんとか口端で微笑むことができた。遠慮無しに近付いてくるペペルが手を伸ばせば触れられる位置にまで来た時、セレンは静かに身を引いて距離を取った。ペペルの笑みが僅かに強張る。
「月の精だと言うのであれば、触れた途端に消えると言うのも面白いですね」
セレンの言葉に、ペペルが「これはこれは」と楽しそうに笑った。
「そんなことを言われてしまっては、消えてしまうのが恐ろしくてその髪に触れることすら戸惑われるではありませんか」
セレンの牽制は通じたようで、ペペルはそれ以上距離を縮めようとしなかった。
グレーネ内部は今、水面下で2勢力に分かれていると聞く。1つは保守派、これまで通りヘリオットに組するという側と、遠方の小国より近くの大国に協力すべきだというウィスタリア側だ。国王を始め上部層が保守派な為に、表向きはヘリオットに友好的という形を取っているらしいが。
このペペルは、スイから聞いた話ではウィスタリア側らしい。それがヘリオットに名代として来たということは、スパイという可能性もなくはない。勿論上部層はヘリオット側だから、ペペルがウィスタリア側というのは悟られていないのだろう。もしくはウィスタリア側が上部層に食いこんできたか、だ。
「浮気者に身を任せるほど安くはありません。今宵だけでも片手に余るほどの女性にお声を掛けていらしましたね」
「恥ずかしいところを見られてしまいました。けれどあまりにつれない方をお誘いするのには有効ですよ」
セレンが嫉妬したとでもいうのだろうかこの男は。自分が女受け良いと自覚しきっている様が、癇に障るのを通り越して滑稽だった。
こいつはセレンを女と思い込んでいる。それを上手く使わなければ、自分はスイの笑いの種になるためだけに女装したことになってしまう。最低でもグレーネがどれだけウィスタリアに組しているのかは聞き出したい。
けれどさっき受け流されたばかりの話をもう一度持ち出すのは難しい。せめて今後も使えるような脈を取っておきたいところだ。
セレンが思索していると、ペペルがどこから出したのか花を一輪差し出してきた。白かと思うほどに淡い黄色の、小振りな花だ。
「この通りあなたは誘いを受けてくださった。それだけでも興味のない女性に声を掛けた甲斐があったというものです」
「そんな言葉を他の女性が耳にしたら、明日まで私の命はないでしょう」
ここは受け取るのが礼儀だろうと手を伸ばすと、その手を丸ごと掴まれた。ぐっと距離が縮まる。
「私はね、セレン様。美しいものが好きなのですよ。美しいものを手に入れるためならどんなことでもする。どんなことでも」
ペペルの両眼に仮面をつけたセレンが映りこんでいる。狂気染みた眼。いつの間にか腰を押さえつけられていた。いくらペペルの見目が良いと言っても、男と密着して喜ぶ趣味はセレンにない。
もし自分が男と知ったらこの男はどんな顔をするのだろう、とセレンは半ば自棄になりながら思った。
「ペペル様」
「グレーネ内部は今やほとんどウィスタリア側に傾いている。実を言うと私もウィスタリア側です。あなたをこの目で見た瞬間に自分の浅慮を後悔しましたがね。カイアナイト王も美しかったがあれは手が届きそうにない。私としては、あなたがこんな小国を捨てて共にウィスタリアへ来てくださりはしないかと願っております」
ぎらぎらとした眼は危機感よりも恐怖を起こさせる。こんなことを平気で言えるということは、ウィスタリアの兵力は既にヘリオットを上回っているという自信があるのだろう。
もし冷戦が解かれウィスタリアとヘリオットが争った時、真っ先にウィスタリアと戦うことになるのはグレーネだ。そこでヘリオットを裏切ったとして、ウィスタリアが敗れるようなことがあればその後のグレーネの立場は崩壊する。
そうならない自信があるからこその言葉なのだ。
「ペペル様」
一旦距離を置こうとしたが、逆に腕を絡め取られてしまう。黒が明瞭だとしても流石に一国の名代に手を上げるのは不味いだろう。
セレンが躊躇している間に、ペペルはセレンの後ろ頭を掴んで仰け反らせた。首があらわになる。感触からすると喉仏は辛うじて布に隠れているようだが、急所が丸出しだ。
「既成事実でも作ってしまえば後は楽なのですけどね」
呟かれた言葉が脳に伝わらない。咄嗟に足を踏みつけるのと、遠くからセレンを呼ぶ声がするのはほぼ同時だった。
「セレン、てめーどこにいやがる」
アンバーの声が近付いてきた。ペペルは顔を顰めて足の甲を擦っていたが、すぐにセレンを見上げて口の端を吊り上げた。
「良い友人をお持ちのようだ。噂も本当なのではと疑ってしまいますよ。女人の格好は私ではなく、彼の為なのでは、とね」
セレンが言い返す言葉を選ぶ間に、ペペルは立ち上がり「また後日」と消えていった。反対側から入れ替わるようにアンバーが足音も荒く入ってくる。
「こんなとこに隠れやがって。暇だろ。相手しろ」
いつにも増して語気の荒いアンバーの機嫌を損ねた原因は、勿論あの姫君だろう。正直言ってセレンは暇ではないし、ペペルの呼び出しの所為で無駄にした時間を取り戻す必要もある。アンバーの苛立ちを解消する手伝いなどしている時間はない。普段なら宥めて後日に回させるところだ。
けれどセレンは二つ返事でそれを受け入れた。
***
「いやあお疲れさん。いいもん見させてもらったよ」
「それはどこを見ての言葉だ。返答次第じゃお前の目が永久に見開いたままにしてくれる」
執務室隣りのセレンの私室。向かいのソファに座って楽しそうに笑うスイに、セレンはいつでもナイフを出せるようにして唸った。
あの後アンバーと組み手をして当然負け、得物を出してまで続けて結局勝負がつかずに別れたのがつい先程のこと。部屋に戻ってシャワーを浴び、出てきたら何故か鍵を扉にも窓にもしっかりと掛けた筈の私室にスイが座っていたのだ。
セレンの物騒な言葉に、スイが元々細い目を更に細めて笑う。「落ち着けよ」と宥められ、その仕草にまた苛立つが、件のへらへらとした顔に毒気を抜かれてしまった。
せめてものあてつけに、今まで髪を拭いていたタオルを投げつけてやる。あっさりと払われたタオルはそのまま床に落ちた。
「今回の仕事、どう考えても俺向きじゃないだろう」
「喜んで引き受けたくせに」
間髪入れずに返された言葉に言い返せず、セレンはスイを睨みつけた。仮面は2人の間にあるテーブルに置かれている。暫らく睨みつけた後、セレンは諦めて視線を外した。
「そもそも女好きってんならディアナを使えばよかったじゃねーか。あれなら性質悪い野郎の扱いも散々慣れてんだろ」
“Artos”で酔っ払い共をあしらい慣れてるんだから、と言うと、スイはひらひらと手を振った。
「いやね、それもありかなとは思ったけど、彼女の場合は道を作ることから始めなきゃならねーから面倒だったんだよね。その点お前は最初から調度良い位置に立ってたし、奴もお前に興味持ってたしで仕掛けやすかったんだよ」
「要するにお前が楽したかっただけだろう。大体俺は今回何もしてないぞ。奴の呼び出しを受けたら勝手にべらべら喋り出したんだ。しかも野郎、完全に俺をおちょくりやがって」
自分で言っていてあの怒りがまた蘇り、セレンは拳を握り締めた。それを見たスイが「まあまあ」と胡座を崩した。
「最初からそっちには期待なんてしてねーし、苦手っつー割には頑張った方なんじゃねーの?」
確かに自分の役目を果たしたとは言えないが、そんな言い方をされるのは気分がいいものではない。課された仕事をできなかったのは、例え本当に期待がされてなかったとしても自分自身が許せない。
仕事なのだ、苦手だなんだという言い訳は通らない。そこまで考え、違和感に気付いた。相も変らぬ胡散臭い笑顔を見る。
そっち、とスイは言った。となるとスイの行動に、目的が2つ以上あったということになる。
「これから先その目を見開いたままで生きるかその胡散臭い面が2度とできないようになるか選べ」
「やだな急に物騒になって。ていうかお前にそんなことできんの?」
代わり映えのしない笑顔を浮かべつづけるスイから目を離さず、セレンは「目的はなんだ」と尋ねる。一瞬真顔になった後、すぐにスイが笑顔を戻して口を開いた。
「ようするにね、彼は繋がりが欲しかったんだ。北は寒いから蛇が動けない。足つきの蛇を送ろうにも情報が伝わるのには時間が掛かるし何より危険だ。色々な意味でね」
彼、という呼び方は気に入らないが、当然スネイクのことを指しているのだろう。大体の先は読めたが、セレンは黙って続きを促した。
「ペペルがウィスタリアと通じているのは本当だし、それが彼の国ではほとんど知られてないのも本当。だからお前が持ってきた話は全くもって目新しくもなんともないのも本当。そして彼の国の情報は入りにくい」
わかってはいたが改めて言われると悔しいし腹が立つ。けれど今はそれにこだわっても仕方がない。セレンは話に集中した。
「そこで本題。ペペルの妙な性癖は使い所だ。実際ウィスタリアも奴の性癖を利用したらしい。だからお前なんだよ」
「それがわかんねえんだよ。あいつ俺が男だってわかってたんだぞ。つーか仮面は俺が男だって分からせる為のもんっつった癖に結局女装させやがって糞野郎」
「それはまあ乗せられやすい自分を恨みなよ。それに最終的に自分も面白がったでしょ」
言葉に詰まる。確かに最終的には面白そうだと思わされ、つい女装してイオを誘うことを承諾してしまった。けれどイオをからかうことはできないわ女装も意味ないわ、なのに余計なものは釣れるわで散々だった。
どうやってソーレの誤解を解こうかとため息をつき、そのままスイを睨んでふと気付く。そういえばペペルは「カイアナイトも」と言ってなかったか。まさかペペルの性癖とは。
顔色が変わったのが自分でもわかる。冗談ではない、いくら女に間違われようと、セレン自身に男への興味はない。
セレンの逡巡を他所に、スイが首を傾げた。
「聞いただろ? あいつは珍しくて綺麗なもんを集めたがるんだ。女は勿論、言葉を話す鳥だとか宝石で作った剣だとかな。その点お前は正体不明の辣腕宰相ってんで奴の気を引くのには十分だったって訳。おまけにそんなに綺麗な茶髪、そうそう見れるようなもんでもないし」
ということはイリスだけは決してペペルに近付けてはいけないということだ。
あまりすっきりはしないがとりあえずの回答を得ることができ、セレンは話を元に戻した。
「つまり俺で奴の気を引いて、あわよくば今後も個人的な良いお付き合いを続けさせましょうってことか」
「そういうこと」
セレンは無言で仮面をスイに投げつけた。
'09/02/01
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