Etupirika
「やつれてんな。また無理してんのか?」
「お気になさる暇があるのでしたら少しでもご自分の職務を全うなさってください」
一夜明け、陽の昇る前に城に辿りついたセレンは一睡もしていなかった。勿論疲れの原因は走り続けた所為でなく、一重に盛大過ぎる歓迎の所為だ。
急いだお蔭か宵の口には“Artos”に着くことができ、息を整える間もなく宴会が始まった。参加していたのはほんの2、3時間だったが、合間を見つけてイリスにかなり遅い誕生日プレゼントを贈ることはできたので良しとしよう。
セレンの皮肉は聞き慣れた、とでもいった様子で、イオがペンをインク壷に突っ込んだ。それから怪訝そうにセレンを見上げる。
「また風邪でもひいたのか?」
いえ、と答えると、イオは首を傾げ、ややあってから「そうか」と手を叩いた。
「声変わりだ」
意味がよくわからないセレンに、イオが「声だよ声」と自分の喉を指す。
「道理でなーんか変な筈だ。よかったな、これでお前が女だっつー疑いは晴れるぞ」
セレンの肩を叩くイオの腕をやんわりとどけ、セレンは机の上から紙の山を抱えて部屋を出て行った。
***
廊下で「セレナイト様」と聞き覚えのある声で呼ばれて振り返ると、ワシの模様が施された胸当てがまず目に入った。視線を上げれば赤髪が日差しを受けて輝いている。
「ソーレ殿」
セレンは警備配置について話し込んでいたラベイに一言断り、イローネの騎士、ソーレの元に小走りに歩み寄った。ソーレの後ろには同じ胸当てと、ワシの面をつけた兵士達が並んでいる。その中にひとつ小柄な影を見て、セレンは頭を下げた。
「イローネの第2公主、エトピリカ様ですね。お出迎えもできずに申し訳ございません」
イオの誕生祭まで5日を切った今、各国から続々と祝いの使者がヘリオットに到着している。それらの客賓をもてなすのは当然セレンやイオの役目だったが、他にも山とある作業に追われ、もてなしの殆どをイオに丸投げしている状態になっていた。
深々と頭を下げるセレンに、エトピリカは「お気になさらず」ところころ笑った。
「貴方が宰相、こちらではディアノイアと称されるのかしら、そのセレナイト様ですのね。お話は伺っておりますわ。アンバー様と仲がよろしいとか」
誰からだろう、とセレンはエトピリカの真横に立つソーレを一瞥した。まさかイオでも初対面に近い相手に妙なことを吹き込む筈はない、と思いたい。ソーレが何か言おうとしたのか口を開いたが、セレンは先を制した。
「滞在中はどうぞごゆるりとお楽しみください。足りぬ物があればできうる範囲で対処いたしましょう」
「お気遣いありがとうございます。では失礼致しますわ」
ソーレはなおも何か言いたげだったが、エトピリカが道案内の兵士に従って歩き出してしまってはついていくしかない。セレンはワシの一団を頭をさげたまま見送った。
明日にはリラカの姫君と、レグホーンの王子が到着する予定だ。勿論イローネとレグホーンの滞在場所は別の棟にしてある。さっさと終わってしまえばいいという気持ちとずっと来てくれるなという気持ちの狭間で、セレンは当日の晩餐について話し合う為調理場へと急いだ。
日暮れ、ようやく諸々に一段落をつけることができたセレンは夕涼みに出ていた。藍色の帳が下りた空では星が控えめに瞬いている。綺麗に刈り込まれた植込みはあまり好きではないが、静かな中庭は気持ちを落ち着けるのに持ってこいだった。
水をやられたばかりなのだろう、露をたたえた葉に手を添えてその冷たさに目を細める。“Artos”の中庭も、今ごろはビスカの手入れしている木々が艶やかな緑をいっぱいに広げているはずだ。
人の気配に振り返ると、ルチルが苦笑しながら立っていた。
「お一人で出歩かれるのはお控えくださいと申したばかりでしょうに」
ルチルが一歩分はなれた場所にまで近付いてから、セレンは口の端を吊り上げた。
「あんたにそういう口の利き方されんのは、いつまで経っても慣れないな」
「俺だって背中がこしょばゆくて堪んねっての」
互いに相手にしか聞こえぬような大きさで話し、セレンは指を伝う雫を眺める。ルチルが徐々に暗くなっていく空を見上げた。
「そうだ、誕生日おめでとう」
ふと思い出したような言葉に、セレンは顔を顰める。つい先日のように感じる宴は嬉しく楽しいものであったが、たった数時間とは思えぬほどに濃密だった。濃密過ぎた。
セレンの表情から自身の体験を思い出したのだろう、ルチルが意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺はあの日行けなかったからな。警備当番も回ってこなかったし。13歳だっけ?」
「わかってて言ってるだろう」
15だ、と吐き捨てるように言うと、ルチルは喉で笑った。
「いやいや、相変わらずのちびすけで安心したよ。ああ、当日に祝えなかったけど、俺だってちゃんとプレゼントは用意してたんだぜ?」
どうせろくなものではないだろう、と疑いの目を向けてやると、「そう焦んなよ」といなされた。
「とっておきだからな。今は持ってない。まあ楽しみにしてろよ」
そのままセレンが問い返す隙を与えず、ルチルが敬礼の姿勢を取った。セレンも気配を感じ、反対側から歩いてくるアンバーを振り返る。一見してわかる通り、機嫌はあまりよろしくないらしい。
不機嫌丸出しといった表情のまま、アンバーがルチルに去るよう示す。ルチルはセレンに見向きもせず、一礼すると駆け足で中庭を出ていった。入り口のあたりで待機するのだろう。ルチルの姿が見えなくなった途端、アンバーが腕組みをして植込みを睨みつけた。
「ソーレなんか大っ嫌いだ」
唐突に吐き捨てられた言葉に、セレンは今更驚くようなこともしない。アンバーが不機嫌な状態でセレンに会いに来たということは、大抵が愚痴りに来たか、持て余している苛立ちを手合わせで解消したがっている時だからだ。今回は明らかに前者らしい。
面倒ながらもセレンは思考を巡らせ、イローネの姫君に思い当たった。何故かアンバーの話を持ち出した異国の第二王女。エトピリカといったか。
ぶつぶつとまとまりを得ないアンバーの話を推測で補うと、大体の形が見えてきた。
ソーレは何年かごとにヘリオットのまた従兄弟を訪ねてやってくる。それと同じようにアンバーも、その頻度は年を経るごとに減っていっていたがイローネを訪れていた。そこでエトピリカと知り合った、というより一方的に気に入られたらしい。会えない間、エトピリカはソーレにアンバーの話をねだっていたようで、一番最近の話がとんでもないことに、アンバーに女がいるというものだった。そしてその相手というのが――
「どうしてそうなるんだ」
思わずセレンは呆れた声をあげた。アンバーが苦虫を口一杯に頬張りでもしたかのような顔で頷く。
さっきセレンと話をした後、エトピリカはアンバーの元へ、ソーレも連れて行ったらしい。エトピリカがアンバーに「気になる方がいるのか」と尋ね、アンバーはもちろんいないと答えた。それで済ませればいいものを、エトピリカがソーレに確認を求めたのだ。曰く、さっきの方は紛れも無く男性なのだからアンバー様の想い人にはなりえない、と。ところがソーレがセレンは女性だ、自分は顔を見たと言い張ったのだ。アンバーは当然否定したが、エトピリカの思考はいったいどう巡ったことやら、だったら自分がアンバーの想い人に為り得るかと迫ったらしい。そこでアンバーが拒絶したところ、何故かエトピリカの中ではセレンとアンバーが“よろしい仲”だと認識されてしまったようだった。
「どうしてお前の周りには妙な生き物しか生息していないんだ」
「俺の所為じゃねー」
憤然たる面持ちで吐き捨てたアンバーに、セレンも深いため息をつく。とりあえず、イオの見合い相手が1人減ったということは確実なようだ。
声変わりを終えたお蔭か、妙な顔をされはするもののようやく城内では女扱いをされないようになってきたというのに、どうして顔を見て男の声になった自分を見てまでソーレはセレンを女と言い切れるのか。確かにソーレと会った時は喉を痛めていて、後にイオから本当の女のようだとからかわれた。けれど髪の長い男などそこら中にいるし、ルベイだってこげ茶の髪を編んで背中に垂らしている。
考える程に何故自分だけ、と気分が悪くなってきたが、首を振って下らぬ思いを払ってセレンは腕を組んだ。
「まあ、自分の身は自分で守れよ。他所の姫様に手ェ出したなんてことになったら後が面倒だからな」
「なんで俺があんな姉貴みたいな奴に手ェ出すんだよ」
露骨に顔を歪めたアンバーに、そういえばアンバーの姉については話を聞くばかりで実物を見たことがないと思い当たる。一度は見てみたいものだが、どうにも噂を聞く限り実行に移す勇気はない。
「とにかく、2人っきりにならねーように気をつけろ。お前にそのつもりがなくても何言われるかわかったもんじゃねぇからな」
お前だってわかってんだろ、とつい先日の“キス”事件を思い出させると、アンバーは更に顔を歪ませ、それでも「わかった」と頷いた。セレン自身はイオくらいしか直接からかってくる相手がいなかったので居心地の悪い思いをするだけで済んだが、アンバーの場合は相当酷い目に遭ったと聞いている。そんな思いをするのは二度とごめんだろう。勿論セレンだって願い下げだ。
「早く終わんねーかな」
切実な声音で呟かれたその言葉に、セレンは深く同意した。
'08/12/16
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