it's not the problem.
ラベイがいなくなってから存分に休憩をとり、セレンがようやく部屋から出たのは太陽が西の空を真っ赤に染めている頃だった。
大きく伸びをしながら薄暗くなった廊下を歩き、点々とある蝋燭に火をつけている兵士達と軽く挨拶をする。イオのところへ書類の取りたてに行かねばならない。
廊下を曲がり、腹が減ったと思いつつ無駄に高い天井を見上げた時、向こうから人が来るのを感じた。曲がり角から現れた金髪が、窓から射し込むオレンジを反射して目に刺さる。
「セレン、ちょうどいいや」
蒼が笑い、イオがセレンに駆け寄ってくる。
「何度も申し上げたと思いますが、たとえ城内であったとしてもお1人で歩き回るのは自重してください」
ついさっき自分が言われたということは棚に上げ、セレンは冷ややかな声音でにっこりとイオに言った。国王陛下はまったく気にする様子も無く、手に持っていた書類をセレンに押しつけると自慢気に胸を反らした。
「どうよ、お前が来る前に終わらせるとか久し振りじゃね?」
「願わくば毎回にしていただきたいものですね」
そこは素直に誉めとけよ、と口を尖らすイオに小さく笑い、セレンは書類を受け取った。
「今伺おうと思っていたところです。もう少し早く来ていただければ無駄足を踏まずに済んだのですが」
「お前本当に口減らねーな」
呆れたような口調のイオにまた笑い、「では」と踵と返すと何故かイオが横に並んだ。
「飯まだだろ。久し振りに一緒に食わない?」
アンバーも誘ってさ、と楽しげなイオに、セレンは「いいですね」と返した。
「じゃ、先に料理番に言ってくるか」
事後承諾かと呆れるセレンの横、イオが頭の後ろで手を組んだ。どうやら彼の中では一緒に行く流れになっているらしい。
広間へ続く階段に足を掛けた瞬間、セレンはイオを突き飛ばした。形容しがたい声を上げ、イオが反対側の手すりにしがみ付く。壮年の兵士が、イオを突き飛ばしたと同時に屈んだセレンの頭の上を剣で突いた。
「何すんだお前」
イオが怒鳴りつけ、近くにいた兵士が駆け寄ってくる。その手が剣の柄にかかった。
「逃げろ!」
怒鳴りつけた瞬間、振り返ったイオの背後に高々と剣が振りあげられた。飛び出し、間一髪の所でイオごと廊下に倒れこむ。手すりに金属がぶつかり、甲高く不快な音を立てた。
セレンは跳ね上がって身体を起こし、こちらに向き直った兵士の手を蹴り上げる。宙に舞った剣を掴み、セレンはその剣の腹で兵士の顔を張り倒した。
階段を落ちていく兵士を確認する間もなく、横からまた剣が突き出される。警備兵達がわらわらと駆け寄ってきて、イオを保護するのが目の端に見えた。
突き出された剣を体を捻ることでかわし、横一線に振り抜かれる剣を後ろに引いて避けようとする。けれど足は宙を踏み、セレンの体勢が崩れた。その隙を逃さず、壮年の兵士がセレンに向かって剣を真っ直ぐ突き出した。
とっさに掴んだ手すりの上に飛び乗り、右手の剣の腹で半ば宙に乗り出していた兵士の後頭部を叩く。勢いをつけて兵士は階下に落ちていき、先に落ちた仲間を確保していた兵士の集団がわらわらと散った。
「ご無事ですか、セレナイト様」
手すりから廊下に降り立ったところで、駆け寄ってきた兵士に剣を渡し、セレンは小さく息をついた。
幸いなことに服はどこも破けておらず、怪我も見当たらない。イオは、と振り向いたところで周りを包囲している兵士に怒鳴り散らしている金髪が目に入った。
「いーから、怪我ねーっつってんだろ! それよりあいつは」
「どうやらご無事のようですね。何よりです」
イオが兵士を振り払い、セレンに駆け寄ってきた。怪我は、と身体を叩いてくるイオに苦笑し、「する筈がないでしょう」と返す。
「だから申し上げましたのに。お1人で歩き回らないでくださいと」
「っとにお前は…お前のそういうとこすっげー嫌い」
安堵の息をもらすイオから、セレンは階下の集団に目を移した。2人共取り押さえられていたが、抵抗する気はないようだった。セレンの視線を追ってイオが2人を見下ろす。あいつら、とイオの口が動いた。
「シトロンとミーテですね」
「ジャカレーにくっついてた奴らだ」
呆然としているイオを横目に、セレンは階段を降りる。兵士が止めでもするかのように動き掛けたが、手を一払いして黙らせた。一番下まで降り、床に押さえつけられている2人を見下ろす。シトロンは身動き一つせず、それより少し若いミーテは僅かにセレンを睨み上げた。
「自分たちの行いがどういうものであるか、当然わかっているだろうな」
挑発的にセレンを睨みあげ、直後シトロンの身体がびくりと跳ねて急にのた打ち回り始めた。ミーテが同じ事をする前に、セレンはその顔を横様に蹴り飛ばす。顎を蹴ったからしばらくは力を込めることができないだろう。暴れているシトロンを押さえこもうとしている兵士達に、「無駄です」とセレンは静かに言った。
「舌を切ったのでしょう。じきに死にます」
その場の空気が一瞬固まった。「何事だ」とラベイが走ってくる。ラベイはセレンとイオを見て一礼し、1人と1つを見て愕然とした表情になった。
「第6分隊のシトロンとミーテではないか」
「シトロンはもう手の施し様がありません。ミーテが同じ事をしないように轡でも噛ませておいてください」
淡々と言ったセレンを、ラベイが薄気味悪い物でも見るかのような目で見た。けれどすぐに視線を外し、手近の兵士に「連れていけ」と命じる。ミーテは轡を噛まされた後も、視線だけで殺すつもりであるかのような目でセレンを睨み続けていた。シトロンの死体も同じように運ばれていく。シトロンは独り身だから、王族に剣を向けた報いとして国外に打ち棄てられ、鳥葬されることになるだろう。
ミーテの場合はよくて国外追放、けれどあの表情を見ると終身刑となりそうだとセレンは思った。
「お2人ともお怪我はございませんか」
「俺はなんとも、セレンも」
ないんだよな、と確かめるようなイオの視線に頷き、セレンはラベイに向き直った。
「どうやら件の視線の正体は彼等だったようですね。もっとも彼等は陛下をまず狙いましたから、私達を亡き者にしようと企んだのでしょう」
面倒な時期に面倒なことが起きた、とセレンは心中でため息をついた。まあ煩わしい視線がなくなったことで、少しは気が楽になるのだろう。
ラベイが「しかし」とセレンを疑わしげな目で見た。
「何故、などと野暮なことはまさかお尋ねにならないでしょうね。彼等は先代のディアノイアに心酔していたようですし、いつかは起こることでした」
「いえ、そんなことは」
言いつつも、ラベイはセレンとミーテが連れていかれた方向を交互に見比べた。言いたいことがわかり、セレンはため息をついた。
シトロンは先日の闘技大会、準々決勝まで勝ち残った。昨年は準決勝まで残っていた。ミーテもなかなか健闘していたし、つまりは2人共それなりの実力者である。それをセレン1人でいなした、というのが信じられないのだろう。
セレンはラベイに笑いかけた。
「何か言いたいことでも?」
「まさか、何も」
真っ赤になったラベイを他所に、セレンはイオに向き直った。
「食事はまたの機会にしましょう。私はアンバー殿の元へ行き、彼等の処分を話し合わなければなりませんので」
「何言ってんだよ、俺も行くぞ」
「なりません」
きっぱりと言うと、イオが眉を顰めた。気にせずセレンは続ける。
「何度も申しましたでしょう。お1人で歩き回らぬようにと。今回はたまたま運が良かっただけで、あと少しで陛下はお命を落とされていたのです。ミーテに話を聞きたいとおっしゃるのであれば、明日の朝にしてください」
「そんなのお前だって同じだろ、大体本当に怪我してないのかも疑わしいし」
「あの程度の輩に怪我などする筈がないでしょう。とにかく今夜は大人しくしていてください。ラベイ殿、今後しばらくは陛下の周りの警備を増やし、決してお1人にしないようにサーフにお伝え願えますか」
自分に出せる限りの冷たい声音で淡々と言うと、ラベイは畏まった様子で頷き、第7分隊隊長の元へ行くのだろう、一礼してから駆けて行った。イオはまだ不満気な顔をしていたが、まだ残ってた近くの兵士達に連れていくよう命じる。それからセレンはラベイの向かった方へ歩き出した。
「お供いたします」
慌てた様子で駆け寄ってきた兵士に断ろうとして、さっきの自分の発言を思い出す。またイオに口ごたえのネタを与えることになりかねない。
「お願いします」
けれどセレンは振り向くことなく、すっかり暗くなった外へと出た。後ろから兵士が灯りを持って駆け寄ってきて、セレンの前に立って歩く。意外と小柄な影に思い出した。彼は闘技大会の折、アンバーが特別に目をかけていた少年だ。名はディアと言ったか。
緊張しているのが後姿からでもわかる。こんな開けた、たかだか城から兵舎への道中に襲いかかってくるような者がいるとでも思っているのだろうか。
結局何事もないまま兵舎に着くかと思われたが、セレン達が門の中に入った途端、アンバーと出くわした。アンバーが労うかのようにディアの肩を叩き、セレンを見下ろした。
「ラベイから聞いた。ミーテは縛って牢に入れてある。見張りもつけた」
「ありがとうございました。陛下が明朝彼に話をお聞きになりたいそうです」
ひとつ頷き、アンバーがその場に畏まって立っていたディアに「行っていいぞ」と手を振る。ディアはよく通る声で返事をして、兵舎の中へ走っていった。
「腕鈍ってねーみてーでよかったじゃねーか」
「馬鹿言うな、剣抜かれるまで気付かなかった」
言い返すと、アンバーはセレンを上から下まで眺めた。
「まあ良かったんじゃねーの。これでお前が女だっつー疑いは晴れるだろうし、あの妙な噂も消えんだろうし」
自分で言ったくせに、アンバーはげんなりとした表情になる。セレンとアンバーが“宜しい仲”という噂は表立ってこそいないものの、今だ蔓延していた。
「だといいけどな」
適当に相槌を打ち、セレンは「明日の朝にあの馬鹿連れてくる」と言い残してその場を後にしようとした。何故かアンバーが横に並ぶ。
「また妙な噂が立つぞ」
「誰が好き好んでやるか。お前が妙なことされた所為でラベイがぶち切れてんだよ」
しばらくはお前に第7分隊がひっついて歩くぞ、とアンバーがそっぽを向いたまま言った。
「俺はいらねーっつったのに、あいつ聞きやしねぇ。イオとお前を1人で歩かせるなだとよ。あいつお前があいつら倒すとこ見てなかったのか」
「ラベイは後から来たからな。まあ剣は慣れてねーし、動き鈍かったしでどっちにしろ見られたもんじゃなかったけど」
暗い夜道を2人で歩く。アンバーはソーレのように、セレンの歩幅に合わせて歩くなどという紳士的な真似はしない。すぐに城の前に着いた。入り口の兵にセレンを引き渡して兵舎へ帰っていくアンバーを、セレンはじっと見送った。
'08/11/01
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