boring crusher
フードマントを剥ぎ取るようにして脱ぎ、冷たい板張りの床に倒れこむ。まだ時間的には明けと夜の境目と言った頃で充分に涼しい筈なのに、セレンもアンバーも汗だくだった。アンバーは少し離れた位置に、けれど同じように倒れている。背中から伝わる木の冷たさが気持ち良い。
ヘリオットの気候は、確かに他所に比べれば変化に乏しい。けれどそれはあくまで他所から見たものであり、住んでる当人たちからしたら充分に四季を感じることができる。7月に入った今、セレンはよほどのことがない限り日が高く昇った後は例え兵宿舎へであっても城の外、日が当たる場所へは行かなかった。
大分息が整った頃、アンバーに目をやればシャツを脱ぎ散らかして逞しい上半身を直に床につけていた。
「お前、少しは恥ってもんをだな」
「うるせぇ。てめーが毎朝押し掛けてくっからだろうが」
髪をかきあげながらアンバーが身体を起こし、倒れたままのセレンを見下ろす。
「つーかてめー暑いんだよ。なんでんな暑苦しいもん着てんだ、見てるだけで苛々する」
長い髪はひとつに括っているとはいえ、セレンはいつもの格好からフードマントを脱いだだけの姿だった。流石に前はくつろげているが、上を脱いでそれでも暑そうにしているアンバーから見たら苛々を通り越して気味が悪いのだろう。事実セレンの汗は既に引いている。
「作りが違うんだよ、身体の」
セレンも起き上がり、散らばったナイフを回収した。ぶつぶつと文句を言っているアンバーも立ちあがってセレンのフードマントを投げてくる。受け取り、セレンは散らばった服を集めているアンバーを眺めた。
あらぬ誤解を解く機会もないまま、ソーレは帰ってしまった。勝手な噂で老人だ女だと言われる分にはまだ流すことができたが、顔をしっかり見たというのに女と言われたのはかなりこたえた。
自分から進んで、といっても“蛇”の仕事の一環としてだが女装したことはある。けれどその時はディアナの手による化粧があった。
思い出すたびにもやもやとした気分が込み上げてくるため忘れようと努めていたが、不運なことにセレンは嫌な記憶をなかなか忘れることができない性質だった。
そろそろ兵宿舎は起床の時刻だ。セレンがここにいるとおかしいだろう。頭からフードマントを被り、セレンはじゃあなと鍛錬場を後にした。いっそ見せつけてやろうかとも思ったが、近頃兵士達の朝稽古を見ているだけでも妙な視線を感じるようになっていた。あの、馬場での一件以来特に敵意がはっきりとしてきている。
さっさと襲いかかってきてくれれば楽なのに、とセレンは城への道中ひとりため息をついた。よりによってこの忙しい時期に面倒事が増えるのは願い下げだった。
8月、つまり来月は国王アイオライトの誕生月だ。各国から誕生日の式典に参加したいとの申し出が矢継早に飛びこんでくる時期、セレンは精力的に活動していた。無論射し込む日差しも強くない、真昼間以外の時間帯だったが、城の者もセレンがやるべきこと以上のことをしているとわかっているから、それに対して文句を言うことはない。
朝議の後、仮眠を取ろうと部屋に戻る途中、すれ違った給仕に水差しを替えてくれるように頼み、セレンはカーテンの無い廊下に燦々と降り注ぐ太陽光に恨みの視線を向けた。
クーベに言ったことはほぼ事実だ。肌が弱く、ちょっと強い日差しを浴びただけで赤く火傷したような状態になる。だから糞暑い最中でも薄着ができないし、全身を覆うフードマントは手放せない。
くらみかけた視界を擦り、早く横になろうとセレンは足を早めた。
***
鍵を掛け、窓を全開にして薄いカーテンを引き日差しを遮った私室、セレンはフードマントも上着も脱ぎ捨てた薄着の状態で書類に目を通していた。我慢できるとは言え暑いのには変わりない。今は14時を過ぎた頃で、外は一番暑い盛りだろう。日差しを遮った室内には時折風が舞い込んで来て、快適とまでは言えないが充分に涼しかった。
少し眠り、目が覚めたら書類の回収と配布とに出よう、そう思ったとき執務室をノックする音が聞こえた。
「セレナイト殿、いらっしゃいますか」
ラベイの声だ。寝ようとソファに寝そべった途端の事だったので正直出たくなかったが、セレンはフードマントを頭から被ると私室を出た。
「どうぞ」
言いながら扉を開き、ラベイを中に招く。セレンの格好を見てラベイが苦笑した。
「相変わらずですね。暑さに倒れてしまうのではないかと、見ているこちらの方が心配ですよ」
「ご心配及びません。こう見えてこれはなかなか通気性が良いのです。ところで何かご用ですか」
夏服のラベイを羨ましく思いながらセレンが言うと、ラベイは手に持っていた紙束を軽く振った。
「新入兵の名簿と、こちらは先ほど預かったイローネからの便りです。どうやら国王誕生日の式典にご出席なさるそうですよ」
意外だと軽く声を上げ、セレンは紙束を受け取った。式典には既に各国が出席の申し出を出していたが、その中には勿論グリーやレグホーンもあった。イローネとはあまり仲が宜しくない国々だ。だから祝いの品だけが届くのではないかと思っていたのだが、どうやら王女が出席してくださるらしい。
ざっと目を通しながら、露骨に嫌そうな顔をするだろう金髪を思い浮かべる。リラカは妹姫が来訪するらしいし、それ以外も姫がいるところはこぞって送ってこようとしている。
目的は勿論類稀な若い国王だ。誕生日が近付けば近付くほど、イオは体力を何処かへ吸い取られているようになっていた。
「どうもありがとうございます」
礼を言うと、ラベイは「いえ」と笑った。
「もののついでなので。ところでセレナイト様」
急にラベイが声を落とし、真剣な表情になる。
「近頃妙なことはありませんでしたか」
真っ先に不快な視線が浮かぶ。「妙な、と言われますと?」と返すと、ラベイは辺りの気配を探ってから一層声を低くして言った。
「杞憂に越したことはないのですが…今朝の朝議の後、セレナイト様が部屋に戻られるのをじっと見ている者がいたような気がしたので」
一瞬だったので確信は持てないのですが、何事かあった後では遅いので、とラベイが言い添える。
確かに視線は感じた。けれどほんの一瞬だった。よく気付いたなとラベイを見直す。伊達に分隊長を務めている訳ではないらしい。
「そうですか。ご忠告ありがとうございます」
「やはり小間遣いのようなものを1人置いた方が良いのではありませんか」
ラベイが「前々から申し上げてはおりますが」と苦い顔をした。セレンの執務室周りに普段いるのは、扉の前の警備兵1人だけだ。初めはセレンにも秘書兼小間遣いの兵士がつく予定だったのだが、セレンが拒否した為にこのような状態が続いている。常に他人が傍についているなんて、考えただけでも息が詰まるようだった。
「今のままで充分ですよ。陛下の姿を見ていると、どうにも尻込みしてしまいまして」
冗談交じりで返してやれば、「笑い事ではありません」と厳しい顔をされた。
「ご自分の立場を良く考えてください。城内であっても出歩くならば兵士を1人連れるとか、今までのようにお1人でふらふらと出歩かれては第7分隊の気が休まる暇もありません」
警備担当ならいつでも気を張っていて当然じゃないか、と睡眠を邪魔された恨みもあって投げ遣りなことを思う。そんなことを言っては説教どころでは済まない気もしたが。
ラベイの言っていることが理解できない訳ではないが、最盛期とまではいかないもののそれなりの実力は戻っているし、何をそんなに心配する必要があるのかとセレンはいい加減うんざりしてきていた。顔を合わせる度に小言を言われては堪ったものではない。
というか自分の担当事項でもないのに良くここまで熱心になれるものだ。
「どうかされましたか」
「いえ、第一印象というのはあてにならないものだなあと」
つい本音が出てしまい、ため息を吐かれる。「とにかく」とラベイが頭を押さえたままセレンを見下ろした。
「何かあってからは遅いのです。気をつけてください」
「そうですね。まあ、城内をそんな不審な輩が徘徊しているなんてこと、万が一にもある筈がありませんが」
にっこりと返してやれば、ラベイが苦い表情を浮かべた。城を不審者がうろついている、ということは警備が杜撰だと晒しているようなものだ。そして事実だということをセレンは身を持って知っている。今回のは兵士が犯人だから警備云々は関係無いのだが。
「……伝えておきましょう」
苦い表情のまま一礼して去っていくラベイをセレンはにこやかに見送った。本来ならそういったことを把握し指示を出すべきなのはアンバーなのだが、彼は事務仕事のほとんどをラベイに押しつけている上、セレンに護衛は必要無いということをよく知っている。例えラベイがアンバーに言いつけたとしても一蹴されるのが関の山だ。
元々の性格もあるのだろうが、ラベイは第1分隊隊長という肩書き故に、他の分隊からも色々相談を受けているらしい。相談というより、もっぱら愚痴という印象だったが。
これでうるさいのがいなくなったと、セレンは睡眠を貪ることにした。
'08/11/01
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