MOON WHITE AND OCEAN BLUE.2






 人の気配で目を覚ました。部屋はすっかり暗くなっていて、あれから時の経ったことを示している。軽い、隠しきれていない足音。知った気配に緊張を少し緩め、セレンがフードを被り直せば、程なく扉が開いてイオが顔を覗かせた。同時に射し込む光に、イオの金髪がきらきらと輝いている。
「こっち来いよ。飯持ってきた」
 に、と笑うイオを少しの間眩しさに目を細めて見つめ、セレンは明かりの漏れる方へと近付いた。
「遅くなってごめんな。ちょっと逃げらんなくてさ。暇だった?」
「別に」
 答えながら、セレンは打って変わって明るい部屋をぐるりと見まわした。
 先の寝室と同じ、赤い絨毯に白い壁。トレイと数冊の本が乗った木の丸テーブルに揃いの肱掛椅子。暖炉に火は入っていなかったが、その前にあるソファはやはり上質のもの。壁に所々掛けられた燭台が、部屋を明るく照らしていた。
「適当に持ってきたんだけど、駄目なのとかある?」
 イオは椅子に先に腰掛け、トレイを指した。セレンはイオから一番離れた位置、向かい側に腰掛け、イオが持ってきたらしいトレイを見た。適当に持ってきたという言葉通り、スープにパン、肉、果物と、とりあえず食べ物の種類は豊富だ。セレンは手近な果物に手を伸ばし、齧り付く前にイオを見た。
「どした?」
「いや」
 そのまま果物を齧り、窺うようにしてイオを眺める。イオはもう気にしていない様子で、パンに手を伸ばしていた。
 気に、ならないのであろうか。ただ黙々と料理を口に運びながら、セレンはイオを観察していた。普通、嫌なものだと思う。自分のように顔を隠していたら。もっともセレンが隠したいのは顔ではないのだけれど。ましてや食事中だ、フードを被ったまま、というのが礼儀に反することくらいわかっている。“取れ”と言われるよりはずっとましだったのだが、こいつはフードの下を見た筈だ。何故何も言わないのだろう。気遣って? そもそも気にすらしていないようにさえ見える。
 わからない。
「肉食わねぇの? 嫌い?」
「煩ぇ」
 言って、今度はパンを大きく齧った。
 何故王族があんなところにいたのか。何故あんなことを言ったのか。何故何も言わないのか。わからないことだらけなのが、無性に苛立った。
 人に言いつつ自分で肉を食べているイオにスープをかけたらどうなるんだろう、とぼんやり考えながらパンを呑みこむ。考えながら、何を馬鹿なことを、とセレンは小さくかぶりを振った。とりあえず、今はこちらからは何も言わない方がいい。こいつ、イオは、自分が気付いている、ということに気付いていないのだろうから。
「な、セレン。お前家に連絡とかしなくて平気?」
「別に。赤ん坊じゃあるまいし、一々心配なんかしねぇよ。帰りさえすりゃな」
 どうせルピがすぐに来る。そうすれば誰かを迎えに寄越すよう伝えることだってできる。予定より遅い帰還に、多少手荒い歓迎は受けることになるだろうが。
 セレンのそっけない返答に、イオが「ふうん」と相槌を打った。
「いつ帰る?」
 スプーンを止め、セレンはイオを見た。何を考えての言葉だろう。
「……帰れるようになったら、だ」
 そう答えると、イオは何故か笑った。
「じゃ、それまではここにいるんだ」
 何を考えている。全く読めないイオの言動に、セレンは眉根を寄せた。王族とはいえ子供だ、同年代の自分を遊び相手だとでも思っているのだろうか。次期王は随分(ないがし)ろにされていると聞く。だからこそ、あのような場所にも出ることができたのだろう。
「もう食わねぇの?」
「……充分だ。お前こそ、どれだけ食べるつもりだ」
「や、人が食ってるの見ると食いたくなるし。それに、1人で食うのってつまんないじゃん」
 そう言って笑うイオを、セレンはただただ眺めることしかできない。さてと、とイオが立ち上がった。
「俺もう寝るわ。あ、お前そっちで寝てていいぞ、向こうが俺の部屋だし」
 イオが指した先には、やはり扉。セレンがいた部屋の1つ向こうだった。その向かいの壁には、恐らく部屋の外に通じているであろう両開きの扉がある。
「用あったら勝手に入ってきていいけど、部屋の外は行くなよ。見つかったらヤバいからさ」
 欠伸混じりにそう言って、イオはセレンの答えも聞かずに部屋に入っていった。セレンはその後姿を見送り、扉が閉まると息をついた。
 何を考えているのか、全く読めない。仲間内でも、機微を読むのに長けているとよく言われていたし、自負していた。なのに、たかが15の子供が何を考えているのか判らないだなんて。あの蒼い目を見ると、頭がぼうっとしてくるのだ。あれは見間違いなどではない。確かに一瞬、イオの眼が紫色になった。はっきりとわかったのはその1色だが、彼が少し動くたび、その色合いは微妙に変わっていた。
 右手を広げて目を落とす。落ち着きたい時、考え事をしたい時の癖だ。きっちりと巻かれた包帯。慣れているのだろうか、ふと思う。キツ過ぎず、けれど弛まず、いくら慎重にやっても慣れていないとここまで綺麗に巻くことはできないだろう。
 セレンは王族なんてただの人形だとしか思っていなかった。現国王カイアナイトだって、人づてに容姿は聞いたが実際に姿を見たことはない。その前の王は、顔色が酷く悪かった、という崩御の数ヶ月前の姿しか覚えていない。毒を盛られていたと一目でわかった。盛ったのはジャカレーだ。あの時既にディアノイアの地位に就いていた。先代のディアノイアが死に、その後についたのだと聞いた。
 “ディアノイア”は、“ケイル”王の剣と並び国を支える三本柱のひとつだ。王を中心に、ディアノイアとケイルがそれぞれ同じだけの権力を持ち、そのバランスを保って国は続いてきた。代々の王が即位する時に2人を選び、先代にそれぞれが認められ、即位と同時にそれぞれの職に就くのが決まりだった。ディアノイアが政治を、ケイルが武力を受け持ち、時には仲違いすることもあったという。それでもその体制が続いてきたのは、他国の独裁から学んでいたからだろう。はじまりは、自らの独裁を恐れた二代目だという。
 ただ、先代ディアノイアは次のディアノイアを当時の秘書ジャカレーにすると遺言を残して急逝された。元々が高齢だったから致し方ないとも言えるが、ジャカレーが何かしたのではないかとも言われている。ジャカレーがディアノイアになってから、国は暗雲がたちこめるようになったのだ。
 だから王中心と言っても名前だけで、本来の目的はとうに失われている。現国王がまだ王子だった時聡明だと聞いていただけに、即位してすぐ病気を理由に一切をジャカレーに任せた時は余計に失望した。本来は歯止めにならねばならなかったケイルでさえ、現国王が即位する時にジャカレーが手の者を就かせてしまった。前ケイルは初めのうちこそ、その発言力を駆使してジャカレーを抑えようとしていたようだが、今ではすっかり息を潜めている。確か息子が入城していた筈だが、彼にとっては人質も同然なのだろう。
 彼は、イオは何を思っていたのだろう。
 母は早くに死に、父を殺され、最後の肉親である兄さえも失おうとしている。気付いて、いないのだろうか。いたのなら、とうに何かしらの行動を起こしている筈だ。それとも、気付いていながら何もしていないのであろうか。ジャカレーを恐れて。
 なんとなく、違うとは思う。先の会話、ほんの二言三言交わしただけだったが、イオは気付かぬ程の馬鹿ではないと思った。だからといって、恐れて行動に移さないような臆病者とも思えなかった。ならば、諦めているのだろうか。だからこそ何もしないのだろうか。ただ日々をふらふらと無意味に過ごし、故に馬鹿だと言われているのだろうか。
 イオの眠る扉を見つめる。そうは思いたくなかった。諦めた目には、見えなかった。たったの数度言葉を交わしただけだというのに、それでもあの不思議な感覚が未だ身体の奥に残っている。
 “何か”はわからない。でも、妙な確信はある。あいつはただの馬鹿ではない。いくら無能、馬鹿と言われていようと。ふと思い出す。スネイクの口から、直接アイオライトについての言葉を聞いたことがあっただろうか。ない、と思う。“Artos”で聞いたのだって、噂話を持ち帰った奴のだ。何故自分はそれを信じていたのだろう。
 スネイクが何も言わなかった、からではなかったか。

 一度だけ、尋ねたことがある。次の王もどうせジャカレーの言いなりなんだろうか、と。その時スネイクは何も言わなかった。
 彼の手下は多くの情報を持ち帰っているだろうに、その時は何も言わなかった。口数の少ない、むしろ気が向いたときにしか喋らない彼に、自分はいつものことだと思って話を止めた。その後幾度も彼だって噂は耳にしただろうに、何も言わなかった。だから勝手に皆、スネイクがそれを認めているものだと思いこんでいたのだ。

 ならば、ならばイオは何を考えている? まさか水面下で、何かを企んでいるのだろうか。噂にもならないようにひっそりと。
 何を。わからない。また出発点に戻ってしまう。埒があかない。スネイクなら何か知っているだろう。彼の手下は何処にでも潜む。もしかしたら今この瞬間にも自分を観察しているのかもしれない。だとしたら姿を見せてくれてもいいのにとセレンは部屋を見回したが、すぐに馬鹿らしいとため息をついた。彼が何を考えているかなんて、誰にもわからない。彼の考えを読もうとすること自体が無意味なことだ。
 早くルピが戻らないだろうか。そんなに自分を探すのに戸惑っているのだろうか。時計を見れば、既に日付の変わろうとする時間だった。何時寝たのかは覚えていないが、足を滑らせたのは夜だった。少なくとも1日は経ったのだろう。となると雨もあったし、ルピが自分を見つけるまでしばらくかかる。
 セレンは立ち上がり、今日のところは眠ることにした。どうせ考えていても意味はないし、することもない。まだ時間はある。イオは自分を遊び相手代わりにするつもりだろうし、充分に話を聞く為の時間はとれるのだ。少しでも面白いことを掴めば、遅れた帰還に対するお咎めも減るだろう。
 イオの眠る部屋を見、セレンは寝室へと入っていった。



'07/6/7 修正


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