the time has come.
この国、ヘリオットの冬は短い。年が明けてすぐに春の気配があちらこちらで感じられるようになった。ルピも脱皮を済ませ、日に日に暖か味を増しつつある日向ぼっこを楽しんでいるように見える。
何故か“Artos”の蛇、つまりディアナやカーフには計画の大半が知られていた。もっとも、蛇にかかれば調べてわからないこと、ばれないことなど無いに等しいのだけれど。大方あの地下道での話の後あたりからカーフが調べたのだろうとセレンは見ていた。
しかしそれについてはさほど気に病むようなことではない。計画を知る人間が増えるのは由々しき事態ではあるが、カーフ達がセレンに害が及ぶような真似は決してしないとセレン自身が知っている。イリスも、知る人間が増えたことで挙動不審になることはなくなったようだ。
それよりもセレンは、ジャカレーの行動に注意を払うようにしていた。建国式は秋だが、ジャカレーの状態如何で早まる可能性がある。イオとアンバーが徐々に城内の仲間を増やしている最中ではあるが、セレンがそれに関わることはできない。セレンが城にいると知っているのは、城内ではイオとアンバー、フォッシルとカイアナイトのみの筈だ。確信が持てないのは、どこに“蛇”が潜んでいるのかがわからない為だった。
定期的に“Artos”に薬を取りに帰ることで、1人では調べきれなかったような情報まである程度は入ってくる。それでもやはり、城内の情報はイオやアンバーからの方が早かった。
ジャカレーがついに彼自身の計画を成そうとしていることも、だからセレンはアンバーから聞いた。
「イオが捕まった?」
息せき切って書庫へと飛んできたアンバーからそれを聞いた時、セレンは自分の耳を疑った。壁に手をついて呼吸を整えていたアンバーがセレンの言葉に頷く。髪も着衣も乱れたアンバーの様子は、何も全速力で走ってきた所為ではないだろう。恐らく止めようとしたに違いない。
「検隊の、あのクソ野郎が言ったんだ。嫌疑がどうのこうの言って、クソ共があいつを西塔に閉じ込めた」
検隊のクソ野郎とはイオの影のことで、クソ共はイオを捕えた兵士達のことだろう。セレンが立ち尽くしていると、アンバーが拳で壁を殴りつけた。
「何が嫌疑だクソが、てめぇらの親玉が大元だろうが」
「落ち着けアンバー」
感情をあらわにするアンバーを見て、セレンの頭は何故か冷静になっていた。
王族や為政者への不満や暴言と言った反乱に繋がるような種を取り締まるのが、ジャカレーがディアノイアに着任してから設置された検隊の仕事だ。まさかイオが検隊の目前で『自分が王になってジャカレーを追い出す』などと言う筈が無い。いくらジャカレー直轄の検隊と言えども、仮にも王族であるイオを正当な理由無しに拘束する訳が無い。となるとつまり、ジャカレーはその“正当な理由”を見つけたのだろう。
「検隊がどんな名目であいつを連れて行ったのか、聞いたんだろ」
アンバーが舌打ちをしてセレンから目をそらし、宙を睨んだ。
「俺が見た時にゃ西塔に入ってくところだったんだ。聞きゃあ、あいつに王暗殺の疑いがあるんだと。それ以外は知らねぇよ」
正直言って、セレンはその理由にあまり驚かなかった。むしろそのぐらいでなければ“馬鹿王子”を拘束する理由にならない。問題はどう嫌疑を晴らすかよりも、何故ジャカレーが“今”そんなことをしたのかということだ。
「お前はなんとも……ないな」
「あ?」
単純に言えば邪魔だから。それ以外にジャカレーがイオを拘束する理由はない。ジャカレーは何かしようとしている。その何かは、つまり国を名実共に乗っ取ることだろう。今のジャカレーは何をするか予測がつきにくい。心神喪失状態になっていたとしたら今までのボロが出ていないのはおかしい。ということは考える頭はある。だからイオを捕えても、今一番邪魔になるだろうアンバーは捕えない。城の内外からの人望が厚いアンバーに手出しをすれば、ジャカレーは逆に動きにくくなるに決まっている。イオの“王暗殺計画”にアンバーが関わっている、という疑いは掛けられてもおかしくはないが、人気のあるアンバーが人気のないジャカレーに捕えられたとなれば事実がどうであれ国民は黙っていないだろう。ただでさえ不満は募っているのだ。
だからアンバーが捕えられる、という心配は今のところ必要ない。イオの嫌疑も、晴らそうとすればいつでも晴らすことができる。
セレンは訝しげな表情のアンバーを無視し、フードを被って軽く身支度を整えた。イオはやっていない。何故なら暗殺者は別にいるから。その証拠を出せば一瞬にして疑いは晴れる。ということはつまり証拠を手に入れてこなければならない。1から探すとなると面倒だが、その必要はなかった。
「……また蛇か」
アンバーが嫌悪感を隠そうともしない声音で、横を通り過ぎるセレンを見ずに言った。
「その蛇のお陰で今の王は生きているし、次の王も助かるんだ」
セレンがそう言うとアンバーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「明日までに戻る」
そう言い残し、セレンは振り返ることなく前だけを見て駆け出した。
***
「早かったな」
“Artos”につくと、スネイクは彼の部屋で暖炉の前に座りマダムの腹を撫でていた。まるでセレンが来るのを知っていたかのように。意外なことに、何故か部屋にはカーフとディアナ、それにイリスがいた。
全力で駆けた為に乱れた息を整え、セレンは部屋の入り口に立ったままスネイクを見る。セレンが口を開くより先に、カーフがセレンを見上げた。
「捕まったんだってな。どうするんだ」
「街にはどのくらい広まっているんだ」
カーフ達“蛇”が、イオが拘束されたことを知っているのはむしろ当然のことだ。それよりもセレンは、民間にイオが王殺しの咎で拘束されていることがどれだけ広まっているのかが気になった。ここへ来たのはジャカレーの陰謀を明らかにする証拠を手に入れる為だったが、民間への広まり方如何でこれからの手の打ち様が変わってくる。
セレンの問いにはディアナが答えた。
「まだあんまりだけど時間の問題ね。明日になればその話題で持ち切りよ」
それに、とディアナがアーモンド型の目をセレンに向けた。
「あっちこっちで検隊の連中が、まさかあのアイオライトが、なんてこれ見よがしに話してるんだから」
予想内の展開に、セレンは一々反応するような真似はしない。王族が捕えられた、なんて特大の話の種を誰も放っておく訳がないし、ジャカレーにしたって『これこれこういう罪の為に捕えたんです私は国の為を思って行動しています』という言い訳になる。元が根も葉もないものだから、街で出回っている噂とセレンがアンバーから聞いたのとは若干の違いは出ているのだろうが。
一番良いのはアンバーに無実の証明をさせることだ、とセレンは思った。アンバーの言葉なら皆に信じられやすいし、今後の役に立つだろう。後は王に手伝わせればいい。そのままジャカレーの企てを表へ晒し、一気に即位へ運べばイオへの国民が持つ印象はずっと良くなるだろう。アンバーをケイルとするなら尚更彼に一役買わせなければならない。
見せ場には大袈裟なほどの演出が必要だ。見せ場は即位、演出はジャカレー追放。格好の舞台だ。けれど何故今のタイミングでジャカレーが行動を始めたのかがわからない以上、迂闊に行動すべきではないとも思った。
セレンが視線を向けると、スネイクは視線には気付いているのだろうが顔を向けずに言った。
「後一月で王は死ぬ筈だった」
だからか、とセレンの中でつかえが取れた。王の身体は良くなっている、とイオは言っていたが、実際には現状を維持しているだけだから傍目には王は死に向かって着実に進んでいるように見える。王は死に掛けの演技が格段に上手く、王付きの医師、つまりジャカレーに金を積まれた医師達はもう手の施しようがないと言って首を振り、財布を振ってその重さを楽しんでいるのが城内では公然の秘密となっていた。
後一月で最大の邪魔者が消えるのだから、ジャカレーが最後の仕上げに入るのも納得が行く。前王に兄弟はなく、イオ無き時に王位継承権を持つのはブルト家、カシュー家、それにジャカレーのいるシンア家ということになるからだ。しかもカシュー家の男は、一昨年城に仕えていた1人息子が病死し、今では今年86歳になる現家長しか居らず、ブルト家つまりアンバーの家は王位継承権を放棄し代々王家に仕えることを公言している。
86歳でも王位を継げることは継げるが、いつ老衰で死んでもおかしくはないし、ジャカレーもそう考えるだろう。言いかえればいつ死んでも不自然ではないのだ。
今しなければならないこと、ジャカレーがこれ以上妙な行動をする前にすべきこと。その場に棒立ちになり、数秒目を閉じで思考を巡らせたセレンは、ゆっくりと目を開けて自分に集まる視線に笑みを返した。
'08/03/02
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