I don't like him but.







 部屋の入り口に着き、セレンは扉の前に積まれた紙の山を呆気に取られて眺めていた。
「おやセレン、お帰り。イオの坊主には会えたかの」
「はい。……あの、これはどうしたんですか」
 紙の山の中から覗いているフォッシルの頭を目で追いながら、セレンはそう尋ねた。頭はやがて紙の山の端へ移動し、ようやく本体がその腕一杯に紙を抱えて姿を現した。
「新しい資料じゃよ。まったくこんなに溜めおって、少しは片付ける身にもなって欲しいものじゃ」
 珍しく鼻息を荒くして言うフォッシルを唖然としたまま眺め、セレンは我に返ってその腕の資料を受けとった。
「おおありがとう。ここに持ってくるのは若いのが手伝ってくれたのじゃが、運ぶだけ運んでさっさと帰って行きよった。向こうで仕分けしておいてよかった、こんな寒いところで延々種類と順番を整理するなんて、考えただけでも手足が縮むわい」
 セレンの腕にどんどん資料を積みながらフォッシルが愚痴を垂れた。
「年寄りをなんだと思っているんだか、ジャカレーの小僧っこめ、少しは人を割いても良いじゃろうに」
「あの、先生、あんまり積むと崩れます」
 顔が隠れるまで積み上げられ、それでも尚資料を積もうとするフォッシルに慌ててセレンがそういうと、フォッシルは初めて気付いたかのようにようやく手を止めた。 「おう、すまんかったの」
 積み上げられたそれを床に置き、セレンは改めてフォッシルに尋ねた。
「それじゃ、今日はこれを取りに行ってたんですか」
「政務の資料やら何やら全てを保管するのもわしの仕事じゃからのう。あれほどこまめに運ぶよう頼んだのにあやつらときたらまったく……」
 また愚痴を言い始めたフォッシルを宥めながら、セレンは内心鉢合わせなくて良かったとほっとした。あのまま部屋にいたら城の者にセレンの存在がばれてしまうところだった。
「それでセレン、すまんのじゃがこれの片付けを手伝ってはくれんかのう。種類ごと、順番にまとめてある筈じゃから、その通りに棚に入れれば良い。おう、その前に夕飯じゃったの」
「大丈夫です、少し休んでください」
 セレンは資料を取り上げると、フォッシルを私室へ急かした。セレンが寝泊まりしている小部屋の他に、書庫にはもう一つ本来の生活空間用の部屋があった。小部屋はそもそも執務室だ。一段上がったところにあるこの私室には、ちゃんと窓も暖炉もついていた。
 暖炉の火を熾し、フォッシルをその前の椅子に座らせてセレンは資料の山の前に戻った。
 まずどこから手をつければいいのか。手近な山から束をひとつ取ってぱらぱらと捲りながら、セレンはそれを棚ごとに分けることにした。

***

 21時を告げる鐘が、目の前の小部屋の中から聞こえてきた。分けつつも一通り目を通していたお陰で、まだ半分ほどしか仕分けが終わってないのにかなり時間が経っていたらしい。腹が空腹を訴えている。ひとまずセレンはフォッシルの私室を覗いた。
 ゆらゆらと心許無く揺れる暖炉の灯りの前、フォッシルは座らせたのと同じ格好のまま眠っていた。薪をくべ足し、ベッドから毛布を持ってきてフォッシルに被せる。腹は空いていたが動けないというほどではなかったので、セレンはまた作業に戻った。
 作業は単調だったが、資料を読むことができるのでまだましだった。所々の走り書きや字の癖、時々混じるメモ書きも面白い。それよりも、芯から冷え込むような寒さに閉口した。冬が深まり、書庫は一日ごとに寒さを増していっていた。
 ようやく全てを分け終わるころには、灯りにと点けておいた蝋燭が殆ど溶けていた。凝り固まった身体を伸ばし、セレンはランプを出して灯を入れる。ちらと目の端に映った時計は、日付が変わったことを示していた。
 けれど後は運ぶだけだ。分けられた山にランプをかざし、セレンは小山のひとつを腕に抱えた。身体の向きを変え、あるべき場所へ仕舞おうと歩き出した矢先、いい匂いがセレンの鼻をくすぐった。何かと思って目を向けた途端、金の両眼と視線が合った。
 驚いてセレンは息を飲んだ。相手も何故か驚いたようで、その手に乗った盆の上で皿とカップが音を立てる。アンバーが慌てた様子で、カップの中身が零れてないかと確かめた。
 昼のこともあいまって気まずい沈黙の後、しぶしぶセレンが口を開いた。
「……何してんだよ」
 答えの代わりに盆を突き出される。セレンはパンと紅茶。それと眉を顰めたまま顔を背けているアンバーとを見比べた。じろりと睨まれ身構えるもアンバーはすぐに目を逸らし、セレンは腕に抱えていた資料を取り上げられ代わりに盆を押しつけられた。意味がわからなすぎて反応できず、セレンはそのまま盆を受け取る。盆とアンバーとを交互に見て、ようやくセレンは声を出すことができた。
「どういうつもりだ」
「食え」
 会話にならない。怒鳴りつけたくなったが、手元からのぼる食べ物の匂いは魅力的過ぎた。アンバーが持ってきた、というのが癪だったが背に腹は変えられない。盆を低い山の上に置き、資料を奪い返してセレンは床に腰を下ろした。アンバーは少し離れた場所、本棚に寄りかかって腕組みをしながらセレンを見下ろしている。気にしないように努め、セレンは紅茶のカップを手に取った。手の平と同じほどのぬくもりしかないそれは、いれられてからかなりの時間が経っていることを示していた。温いそれを一口飲み、冷めたパンを千切って口に入れる。本当ならもっと勢い良く食べたかったのだが、量が量だったし何よりアンバーの前でそれをやる、というのが嫌だった。
「…悪かったな」
 パンを食べ終え、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干している時、とつとアンバーが言った。相変わらず顔は逸らしたままだった。
「昼間は、言い過ぎた」
 空になったカップを盆に戻し、口を袖で拭う。立ちあがり、手で尻を払いながらセレンは言った。
「別にいい。こっちも馬鹿なことをべらべらと垂れ流したからな」
 それから真っ直ぐアンバーに向き直った。アンバーは既にセレンの方に顔を向けている。
「飯、ありがとう」
 言うと、アンバーが視線を外して首の後ろに手をやりながら「おう」と答えた。相変わらずぶっきらぼうな声音だが、なんとなく照れているのだろうとセレンは思った。
「お前、強いよな」
 不意に言われた言葉に、セレンは戸惑いつつも「まあまあな」と返した。確かに大抵の連中には負けないとは思うが、まだまだカーフには敵わなかったし、アンバーに対し今まで三度得物を向けたうち、初めの一度は明らかにセレンの負け、二度目のイオに頼まれてアンバーを迎えに行った時はセレンに分があったが不意打ちで、三度目、王に薬を持って行った時はあのまま戦っていたら負けていただろう。つまりアンバーの方が強い。けれどアンバーはそんなセレンの戸惑いなどお構いなしに続けた。
「誰かに習ったのか」
「ああ」
 当たり障りの無い返答をする。不意打ちとはいえ一度動きを止められたのだ、自分に自信があったのならその出所が尚更気になるのだろう。
 もしかしたら、というよりそうなのだろうが、ふと思う。アンバーはこの不機嫌そうな態度が平常なのだろうか。セレンの脳裏に以前見た、飯代を払わないとごねていた兵士と店主を前にしたアンバーの姿が浮かんだ。それならばイオの“俺は慣れている”という台詞も納得がいく。確かにずっといれば慣れるだろうが、セレンのようにただでさえ良い感情を持っていない相手に対しては最悪の態度だ。そう考えると同時に、イオが信頼している相手なのだから芯から悪い奴ではないだろうという根拠の無い考えも浮かんでいた。あまりにもくだらな過ぎるので、そう考える自分ごと認めたくはなかったのだが。
「今度、ちゃんと戦いたい」
「機会があれば、な」
 正直ご免だとも思ったが、そう返すとアンバーは小さく笑ったように見えた。揺れるランプの明かりの所為かもしれない。
「まだやるのか」
 視線で山を示しながら問われ、セレンは「いや」と短く首を振った。
「明日にする」
 そうか、とアンバーが呟くように言い、棚から離れてセレンにつかつかと歩み寄った。近くに来られると昼間はそうも思わなかったが、その大きさに圧倒される。優に頭一つ以上高いのではないか。
 反射的に身構えたセレンを他所に、アンバーは空の盆を取っただけだった。「じゃあな」とまだ呆気に取られているセレンに言い残し、アンバーは本棚の陰に消えていった。





'08/01/01


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