,AND SUN GOLD.
「そだ、セレン」
「ん」
机にへばりついたまま言うイオにセレンは顔すら上げない。ページをめくり、頬杖をつく手を変えただけだった。
5日、経った。セレンがここで目覚めてから。未だルピは戻って来ず、“Artos”からの知らせもない。足の腫れは大分引いてきた。まだ痛みはあるが。
イオはいつも朝早くから出掛けていき、午後もほとんどは何処かへ行ってしまう。それについて聞き出すつもりはなかったし、イオも話すつもりはないようだった。
つまり、セレンは何もすることがない。日長1日この部屋で、1人いなければならないのだ。そこでセレンはその間、ナイフの手入れをしたり身体をほぐしたり、それでなければこうして本を読んでいた。興味なし、といったセレンの様子に、イオがむくれ面をした。
「お前よく飽きねーな。俺、んな豆字見ただけで頭痛くなってくんだけど」
「へー」
「普段から本とか読んでたのか?」
「あー」
「…聞いてないだろ」
「おう」
イオが大きくわざと聞こえるようにため息をついた。セレンはようやく本から顔を上げた。この2日、イオは何かを焦り始めている。そして何故かセレンに絡んでくることが増えた。
「お前な、せめて人と話すときくらい本から目ぇ離せ?興味津々とまではいかなくても『どうした』の一言くらい言えないのか」
「…で」
セレンは本を閉じてその上で頬杖をついた。折角尋ねてやったというのに、イオはいじけて机に突っ伏したままだった。セレンはため息をついて窓の外に目をやる。夕暮れの空に桃色の雲がぽつりぽつりと浮かんでいた。
「…今日さー、歩いてたらお前の名前呼ばれたんだよね」
イオを見る。机に顎を乗せ、机に積まれた本の表紙を撫でていた。
名前。セレンを“セレン”と呼ぶものは少ない。大抵の者は“あの蛇の”と呼ぶ。名前を呼ぶのは“Artos”の、ごく近しい者くらいだろう。自然限られてくる。
「『セレン?』って。振り向いたら超可愛い女の子でさ、すぐ違うって気付いたっぽくてなんか言う前に逃げちゃったんだけど」
逃げた、ということはイリスか。イオはいつもフードを被って出掛けているから間違えたのだろう。自分を探していたのだろうか。イオがどこを歩いていたのか知らないが。
「そうか」
敢えてそっけなくそう言うと、イオはいたずらっぽく目を輝かした。
「な、知ってる子?茶色のふわっふわした髪でさ」
「さぁな」
やはりイリスだと、セレンは自分より少し背の低い気弱な少女を思い浮かべた。別の本に手を伸ばし、適当なところで開く。イオがつまらなそうな顔に戻った。立ち上がる。
「飯持ってくる」
「あぁ」
また顔を上げないまま答えると、イオはもう諦めたのか何も言わずに部屋を出ていった。気配の去るのを待ってから、本を閉じて立ち上がる。そして真っ直ぐイオの部屋に入った。
前に見た地図も紙切れも、何処かへ仕舞いこまれてしまった。寝室も勿論探したが見つからなかった。わかっているのは、イオが何かを探しているということ、そしてそれが見つからずに焦っているのだということ。
【ヘビ】が何を示しているのかはわからない。セレンの頭に浮かぶのはスネイクの手下達でしかなかった。裏路地の名前にはスカンダロンの地域に含まれるものも入っていた。ただ、線が引かれていたからもう調べ終わったということだろう。目的のものはなかったのだ。中には“Artos”がある通りの名もあったが、まだ調べていなかったのか印はついていなかった。
他にイオの探し物の手がかりになりそうなものと言えば、後はこの本人は読まないと言っていた本棚だった。ほとんど読まない、と言っていた割りに埃はあまりついてなく、セレンが寝室に入った後に本を落とし、慌てて拾うといった物音が度々聞こえた。嘘を吐くのは別に構わない。だが、興味はあった。
椅子を本棚まで引っ張っていき、上にのぼる。何箇所かに埃の引き摺られた跡があった。跡のある場所の本の題をざっと眺める。最初に読んだあの本もあった。いくつかは前から頻繁に棚から出されていたものだったが、中に一冊見慣れないのを見つけた。慎重に引き出し、その場で開く。植物図鑑だった。何箇所か角の部分が折られている。
折られているページを拾って流し読みをしていく。どれもこれも毒性のあるもの、またはそれらに対する解毒効果を持つものばかりだ。
まさか。思い当たる節があり、セレンはページをめくって毒の特徴を見比べた。生息環境や季節に違いはあれど、共通しているのは遅効性で―これには載っていなかったがセレンは知っていた―微量でも定期的に摂取させれば徐々に確実に死に至る、暗殺によく使われる種類ばかりだということ。他の遅効性のには印がつけられていなかった。ならばこの、暗殺によく使われる種類をわざわざ選んでいるということになる。その中にはカイアナイトに使われている毒の原料も入ってた。
知って、いる。知っているのだ。カイアナイト、兄が暗殺されようということを、イオは。
ならばイオが探しているのは十中八九スネイクの居場所だ。“術師”の異名を持つスネイクの居場所。蛇はスネイクに繋がる鍵。毎朝彼はスネイクを探して街に出ていたのだ。きっとその途中でセレンが落ちるのに出くわしたのだろう。
セレンは本を元に戻し、椅子を机のそばに戻して腰掛けた。燭台の灯りが揺らめく。
たとえイオが“Artos”、スネイクに1番近い場所を見つけたとしても、スネイクに会うのはまず不可能だ。“Artos”は一見ただの居酒屋だし、スネイクは店には出ない。それに、そもそも“Artos”は情報屋だ。“術師”の棲家ではない。万が一奇跡が起きてイオがスネイクに会えたとしても、スネイクはイオの頼みを聞くだろうか。
そろそろイオが戻ってくるだろうと、セレンは立ち上がった。同時に、明らかにイオではない荒々しい声が響くのと、隣りの部屋の扉が開かれる音を聞いた。
「イオ、てめェどこにいやがる!」
聞き覚えのない怒号。セレンは素早く気配を消し、扉の半開きだったイオの寝室に身を隠した。声はまだ若い。苛々とした様子がありありとわかる足音。部屋の中央で少し止まった後、真っ直ぐにイオの私室に近付いてくる。
「おい、いねェのか」
乱暴に扉が開かれる。素早く移動し、厚いカーテンの後ろに隠れる。息を詰め、気配に神経を集中させる。足音の主は浴室の扉を乱暴に叩いた後、寝室の扉を迷うことなく開けた。途端一気に気配が尖った。刹那、真っ直ぐ主はセレンに飛びかかってきた。
弾けるようにその場から飛びのき、左足を軸にして相手に向き直る。荒々しい金の瞳が見えたのも束の間、すぐに少年は剣を抜いて振りかぶった。
それを避けつつ懐に手を突っ込み、振り向きざまにナイフを投げる。1本は避けられ、1本は剣で弾かれた。イオのベッドに刺さる。その隙にセレンは出口へと走ったが、サイドテーブルに載っていた水差しを足元に投げられ動きを止められる。向き直り、ナイフを構えた時にはもう相手は目前に迫っていた。突き出された剣を身体を捻ってかわし、鍔をナイフで止める。もう1本ナイフを出して首筋に当てようとすると、相手は首を軽く捻るだけでかわしてそのままぐいと剣ごと押しきろうとした。後ろに下がり間を取ろうとしたのと同時に力を込められ、崩れそうになる体勢を直そうとつい右足に体重をかけてしまった。途端がくりと身体が下がり、連動して全身に痛みが走る。相手はその隙を逃さずに足を蹴り払うと、セレンにのしかかり動きを封じた。床に叩きつけられた痛みでまた息が詰まる。動きの止まったセレンの首に冷たい金属が押し当てられた。ばさりとフードが外れる。相手の息を呑むのが聞こえた。その一瞬の隙に抜け出そうとしたが、肩口も足もしっかりと床に押し付けられている。
真上に相手の顔がある。荒々しい赤の髪に、まだ幼さの残る精悍な顔つき。濃い金色の両眼が驚きに見開かれ、その中にセレンが映っていた。
「お前…!」
「馬鹿やめろアンバー!」
少年がそう言ったのと、イオの怒鳴る声の聞こえるのはほぼ同時だった。隣りの部屋からイオが飛びこんできて、セレンの上に乗っていた少年をどける。今のセレンの顔はきっとこの少年―アンバーと同じだろう。深く息を吸いながら起きあがるセレンを助けながら、イオが少年を見上げた。
「お前な、こいつ怪我してんだぞ?つーか何勝手に入ってんだよ」
「てめーこそ何考えてやがる。何者だこいつ」
いまだ剣を構え喧嘩腰で話すアンバーに、イオはため息をついた。セレンは立ちあがってフードを被り直し、ナイフを構えつつ2人を見比べる。アンバーの身なりからすると兵士だろう。まだセレンやイオと大して変わらぬ年のようだが、大きく筋肉のよく引き締まった体躯はもっと上の年に見えた。
「あのな、とりあえず落ち着いて、それ仕舞え。セレンも」
一瞬アンバーと睨み合う。イオがまた「仕舞え」と念を押すように言い、先にアンバーが剣を仕舞った。床に落ちていたセレンのナイフを拾い、こちらに放る。受け取り、セレンもおとなしくナイフを仕舞った。イオは2人の顔を見比べ、とりあえずは落ち着いたのを見るとセレンの背を押した。
「向こう、椅子あるから。な?」
アンバーを振り向きつつイオが言い、3人は寝室を出た。
椅子に浅く腰掛け、斜め向かいに座るアンバーを窺った。アンバーは腕組みをしてイオを睨みつけている。隣りから椅子と夕食とを運んできて、イオが2人の向かいに座った。
「ったく、部屋勝手に入んなっつったのに何してんだよ」
「てめーがいねぇのが悪ぃんだろ。それより誰だこいつ」
金の眼が胡散臭そうにセレンを睨んだ。睨み返しながらセレンも言った。
「イオ、説明しろ」
「わーったから落ち着けって。なんでそんなギスギスするかなぁもう」
頭をかきながらイオが困ったように言う。先にセレンの方を向いた。
「こいつはアンバー。俺の友達な。アンバー、こいつはセレン」
「イオ」
アンバーが“説明になってない”とでも言うように低い声で言った。セレンも、何も言わなかったが同じようにイオを見る。アンバーの名に聞き覚えはあったが、イオの口から説明を聞きたかった。イオが観念したようにため息をつく。
「1週間前、怪我してるのを拾ったんだよ。雨降ってたし、放っとけねぇだろが」
「1週間?」
言葉に反応したセレンに、イオが思い出したように言う。
「そ、1週間。お前2日間寝っぱなしだったんだからな」
気付かなかった。そんなに長く寝ていたなんて。だがそうするとルピは何をしている?
唇を噛むセレンに反し、アンバーは「イオ」と鋭く言った。
「お前、何しに街に行ってんだよ。時間ねぇんだぞ」
「わーってるよ、いちいち怒んなって。ちゃんとやってる。セレン、こいつは、あー、友達。怒りっぽいだけで悪気はない。うん」
セレンは2人を見比べた。腕組みをしたままそっぽを向いているアンバーと、ずっと困った顔をしているイオ。イオに対するアンバーの態度からすると、おそらくただの兵士というだけではない。言葉の端々から感じられるのは、この少年もイオの企みに1枚噛んでいるのだろうということ。
口を開き掛けたその時、暗い窓に映る白い影が目の端に映った。チロリと覗く赤い舌。
「ルピ!」
急いで窓辺に寄り窓を開ける。隙間から滑りこんでくるルピを腕に絡ませ、顔の近くに持ち上げた。2人が驚いた顔をしてこっちを見ている。ルピは久々の再会に、嬉しそうに顔を擦り付けてきた。
「セレンそれ何?」
興味津々、といった様子で聞くイオに何も言わず、セレンはルピを腕に絡ませたまま席に戻った。アンバーが気味悪げにルピを見ている。視線に気付いてルピが牙を剥いた。驚きでアンバーの身体が軽く跳ねる。
「すげぇ、白い蛇か。お前と同じだな。目も赤だ」
イオを無視し、セレンはルピの言葉に耳を傾けた。
《イリス 見た ルピ 見た。 こいつ セレン 一緒?》
頷く。ルピは続ける。
《主 心配 ない。 カーフ ディアナ 心配。 イリス いっぱい。 セレン 帰る》
また頷く。セレンはイオを見た。
「もう帰る。世話んなったな」
「え?」
「外まで連れてってくれ。見つからないように」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんでいきなり?」
驚き慌てるイオをよそに,セレンは立ち上がった。アンバーを一瞥し、イオを急かす。
「前に言ったろ。俺は帰れるようになったら帰る。もう歩けるし、こいつが来ればここにいる必要はない。そいつも俺がいない方がいいんだろ」
「そんな急に…」
複雑な表情をしているイオに、アンバーが吐き捨てるように言う。
「いいじゃねぇか、本人が帰りたがってんだろ。こんなどこの誰ともわからねぇ怪しい奴、置いとく方が危ねぇよ」
「アンバー!…わかった。ちょっと待ってろ」
制すようにアンバーに言った後、イオはしぶしぶといった様子で立ち上がるとおそらく上着を取るために寝室に入っていった。 部屋にはセレンとアンバー、それにルピ。アンバーが息をついた。
「お前、あいつから何か聞いたか」
「…例えば?」
アンバーがセレンを睨む。
「あの馬鹿がどうだか知らねぇが、俺はお前を信用しない」
フードまですっぽりと被ったイオが部屋から出てきた。立ち上がりかけたアンバーが苛立ちを隠そうともせずイオに突っかかった。
「俺も行く」
イオは何か言い掛けたが,アンバーの表情を見て口をつぐんだ。黙ってセレンに合図し、隣りの部屋に出る。アンバーが先に廊下に出て人のいないのを確認し、3人はこっそりと部屋の外に出た。
'07/07/21 11/04 修正
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