日記log.



交差点
交差点02
交差点04
平行線01
平行線02
交差点05
平行線03
交差点06
交差点07




case01.


 量も値段もついでに場所もお手軽なファストフード店。テスト前ここに集まるのは、最早恒例のこととなっていた。
 岸田は生物の問題から顔をあげ、向かいで数学の問題集と教科書とを見比べて形容しがたい唸り声をあげている元井の横で黙々と英単語を書き取っている高野の前にあるポテトに手を伸ばした。高野は気に止める様子もなくみっちりとアルファベットが敷き詰められたルーズリーフを満足げに眼前にかざしている。もうやだ、と元井が教科書を投げ出した。その拍子に岸田のシャーペンがころころとテーブルを転がった。
「もー無理もー限界、何故なにゆえに俺らこんな天気のいい日に部活にも出れずに根暗作業延々としてなきゃなんねーんだよ」
「うるせーな、文句言う暇あんなら手伝えよ」
「なんでお前を手伝わなきゃいけねんだよ、んな暇あったら自分のやるっつの」
 元井と高野がいつものように言い争いを始める。岸田はホットコーヒー―と言っても砂糖6本ミルク5個を入れたそれを高野はコーヒーと認めようとしないのだが―を飲み、冷めた為に増した苦味に顔をしかめた。もう一本砂糖を入れればよかった。
 元井が文句を垂れるのをやめ、テーブルに顎を乗せて口を尖らす。
「つか水樹、お前なんでそんな余裕な訳?」
「いやいやこれが余裕に見えますか余裕無さすぎてなんかもう達観してるんですが」
「それはアウトだろ、つか俺のポテトなんでこんな減ってんの?」
 岸田の言葉に高野が突っ込み、それからじろりと元井を睨んだ。俺じゃねーよと元井が顔の前で慌てたように手を振った。
「いや俺も食ったけど俺だけじゃないって。水樹のが食ってたし」
「ちょっと元井くん人の所為にしないでください」
「人の所為も何もお前だから、何その“俺関係ありません”的な態度」
「どっちでもいいけどポテト買ってこいよLサイズ」
 ケチャップつきで、と高野が短いポテトを摘まみながら言った。岸田と元井は顔を見合わせ、そのまま無言でジャンケンをした。

***

 店内はちらほらと人がいる程度、カウンターには誰も並んでいなかった。満面の笑みを浮かべているお姉さんに「ポテトLサイズ、ケチャップもください」と告げる。スマイルくださいと付け加えようかと、岸田はトレイを取り出したお姉さんをぼんやりと眺めた。
 席に戻ると元井が不審な動きをしていた。具体的に言えば岸田のコーヒーに高野の爽健美茶を混入している感じだ。岸田に気付いた様子はなく、高野が携帯を弄りながら岸田をちらと見上げただけだった。岸田は無言のまま元井の背後に立ち、ポテトを手で押さえてからトレイを軽く勢いをつけてその頭に置いた。
「けど、結構余裕だよな、お前」
 新しいコーヒーを買いに行く元井の後ろを目で追っていると、高野が携帯を閉じながら言った。「まぁ」と岸田は答える。
「数学、関数はできるんだよね」
「へー。他は」
「聞くな」
 軽く目を反らしながら言えば高野が笑う。カウンターに視線をやると、ちょうどこちらを振り向いた元井と目が合った。
「ほらよ、どうせなら砂糖水でも飲めばいいのに」
 そんな軽口を叩きながら、戻ってきた元井が岸田の前にコーヒーを置いた。もちろん砂糖とミルクもだ。一樹、と高野が新しいルーズリーフを出しながら元井をに声を掛けた。
「もういいぞ。どこだ?」
 っしゃ、と元井が嬉々として問題集を開く。砂糖とミルクをコーヒーに流し込みながら、岸田はぼんやりとその光景を眺めた。高野が自習に飽きると元井の勉強―数学に限ってだが―を手伝うのもいつものことだ。
 あげたてのポテトは固い。岸田は少し時間の経った、しなっとしたポテトの方が好きなのだが、二人とも岸田に同意する気はないらしい。固いと歯に挟まりそうになるから嫌だと言っているのに。
 一番長いポテトを引き抜き、岸田は元井が何分で音をあげるか測ることにした。今までの最短記録、07分42秒を塗り替えられるだろうかと期待しながら。




'08/01/08
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 久々の、完全なる休日。学校なし、部活なし、バイトなし、晴樹は昨日から友達んトコにお泊まりだし父さんは香川に出張中。
 だから今日は昼まで寝ようと決めていたのに。
 そんな樹の計画は08時27分、マナーモードにし忘れた携帯の鳴動によって打ち壊された。


case02.



 11時32分。樹はベッドの上で携帯を閉じ、寝返りをうつと床に座って丸テーブルの前で死んでいる真帆を見下ろした。
「もー無理もーダメ、あたしのキャパは三角形の性質で限界だから中3で使い果たしたから」
「あんたそれが人の睡眠ぶち壊しといて言う台詞か。やんないなら出てけ」
 てかさ、と真帆が起き上がり恨めしそうに樹を見上げた。
「なんでいっちゃんそんな余裕な訳?期末考査なんだよ?小テストとは訳が違うんだよ?これによってあたしらの青春時代はもう半分過ぎたことになるんだよ?」
「だからなんだよこっちは眠いの我慢して馬鹿に付き合ってやってんだよ私の青春もとい高校生活のうち半分はあんたによって潰されてんだよ」
「なのになんで勉強する素振りすらない訳おかしくない?学生の本分は勉強なんだよ?」
 噛み合わない会話に樹は深くため息をつき、起き上がってベッドに片胡座をかいた。畳んでない方の足は床に下ろしている。
「いい?私は昨日も22時までフルでバイト入れてたんですよ。帰ってきて風呂入ったらもう今日でそれでも数U数Bグラマーのワーク終わらせてやっと寝たのが今朝05時46分それから3時間経たない内に起こされて半泣きで“全然わかんないあたし夏休みなくなっちゃう”とか言われてキレずに招いた私は偉いと思いませんか」
 ほとんど息継ぎせずに淡々と樹がそう言うと、真帆は一瞬怯んだ様子だったが「でも」と唇を尖らせた。
「それって質問の答えになってないじゃん」
「私はあんたと違って直前になってばたばたするような愚か者じゃないの。一年ちょい付き合っててそれすらわからないのかってか一緒にいてまったく学ぼうとしないのはどういうこと?」
 むぅ、と真帆が黙った。樹は再び大きくため息をつき、立ち上がって壁に掛けていた薄手のジップジャケットに手を伸ばした。真帆が、え、と不安一杯の顔で樹を見上げる。じいちゃん家の犬みたい、と樹はジャケットに腕を通しながら思った。じいちゃんが“待て”って言ったまま隠れると、犬はいつもこんな顔をする。
「待って樹ちゃんあたしちゃんと勉強するから見捨てないで」
「飯買いに行くんだよ。あんたの所為で朝飯抜きだからね」
 う、と真帆が言葉に詰まったのを横目に、樹は通学鞄から財布を取り出す。がたがたと真帆が立ち上がるのを感じた。
「あたしも行」
「駄目。あんたは私が帰って来る前にそのワーク終わらせるの。わからない問題は飛ばしてもいいけど答え写すのは禁止。どこがわからないのかを横に書いておくこと」
 そんなん無理、と悲鳴をあげる真帆を樹は冷たい表情で見下ろした。立ち上がろうとしたまま中腰の真帆は本気で泣きそうな表情だ。けれど樹はそれ以上何も言わずに部屋を出て行った。


***


 13時08分。ドアを勢い良く開けるとべそをかいた真帆がびくりと座ったまま跳ねた。
「いっちゃ…ごめんね、あたしまだワーク終わんなくって、全然わかんなくって、ごめんね、あたし馬鹿でメーワクかけてばっかでいっつもいっつも」
 涙をぽろぽろと流しながら言う真帆に、樹は一瞬動きを止めた後盛大に噴き出した。呆気にとられた様子の真帆に近づき、その頭に手を置く。そのまま二度三度、優しく頭をたたいた。
「ほんっと馬鹿だなぁ君は。あんたがこんな短い時間で終わる訳ないでしょ。頑張ったね、それでもこんなに終わるなんて」
 樹が噴き出した途端目を真ん丸にした真帆は、樹がよしよしと頭を撫でるとようやく出ていく直前の樹の冷たい視線が嘘だったと気付いたようだった。
「ヒドイよいっちゃん、あたしホントにいっちゃんが怒っちゃったのかと思って必死に頑張ったんだよ!?」
「初めから必死にやってくれたらあんなことしないっての」
 いまだ笑いの収まらない樹に、真帆が怒って拳を振り上げる。その手を避けて、樹はコンビニの袋を真帆の前にぶら下げた。
「頑張ったからちょっと休憩、ね」
 むくれっ面の真帆は袋を一瞥しそっぽを向いたが、その先にまで袋を移動させると数秒の後に噴き出した。
「何買ってきたの、遅かったね」
「あんま早く帰っても脅しの効果ないからねー、ちょっと立ち読みしてた」
 袋を漁る真帆を頬杖をついて眺めながら、樹は小さく笑みを浮かべた。
 袋の中身は真帆の好きな、シュークリームに牛乳プリン。ちょっと意地悪しすぎたお詫び。



'08/01/08
樹は いつき。だからいっちゃん。
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「次肉ー」
 カートの少し先を歩く樹が、メモを片手に晴樹を振り向いた。

case04.

 休日、の定義が高野家では世間一般と大分隔たりがある。土日祝日は高野家ではまったく意味をなさず、樹にバイトがない日のみが休日とされる。つまりほとんどない。今日だって樹は早朝バイトに出ていたから、土曜日とは言え高野家では休日ではない。
 カゴを2つ乗せたカートを押しながら、晴樹は精肉売り場へと歩く樹の後を追った。
 今は土曜日の10時32分。スーパーの朝市はそこそこ賑やかといったところだ。既にカートの1つは飲み物類で埋まってしまっている。これら重いものはすべて晴樹が持つことになるのだろうと、少しうんざりした気持ちになる。けれどそれにちょっとでも文句を言えば、小さい頃は重いものを持たせてもらえなくて駄々をこねていた癖に、と樹に鼻で笑われる上、そんなにひょろいんだから持てるわけなかったよねごめんねーと嘲笑される羽目になるのだけど。
 メモを片手に歩く樹はすいすいと人の合間を抜けていくのだが、まっすぐ目的地に行くことはない。今だってレトルト食品の並ぶ棚へ入り込んで行ってしまった。
 カートを人にぶつけないようにして追い付くと、樹はキャラクターカレーの前でしゃがんでじっとそれらを見比べていた。他人の振りをしようかと思ったがその前に手招きされる。しぶしぶカートを押し、樹にぶつかって止まると痛いと文句をつけられた。
「ったく人にぶつけんなって散々言ったろがぼけ」
「いーからさっさと済ませろよ、俺今日用事あんだよ」
 言い返すとカートをぐいと押し返された。そのまま立ち上がるのかと思いきや、樹は一向に動こうとはしない。不審に思い晴樹がカート越しに見下ろすと、樹はまだカレーを手にしゃがんでいた。
 高2の、平均よりもやや身長の高い女がキャラクターカレーを両手に真剣な表情でしゃがみこんでいるというのは、中々不気味な光景だった。
「…何してんだよ」
「父さんどれがいいかなって」
「どれも嫌だと思うけど」
 これが姉だと思うとそれだけで肩が重くなる。当て付けについたため息も、樹にはなんの効果もなかったようだ。
「だってまた一週間今度は青森出張だよ?青森っつったら林檎、林檎っつったらカレーでしょ」
「だからってなんで飯用にレトルトカレー持たせようとしてんだよ」
「だって父さんカレー好きじゃん」
 そういう問題ではないと思ったが、昔から樹に口で勝った試しがない。これ以上まともに会話をしようとしても無駄だろうと、晴樹はカートの向きを変えて樹の横に屈んだ。
「一週間あんなら迷うことねーだろ、五種類しかねーんだから」
「馬鹿それじゃ栄養偏るでしょ。せめて2食に絞んなきゃ」
 真剣な表情でカレーを選ぶ樹に、ボンとククレでいいじゃないかと言う勇気は晴樹に無かった。
「せめてその、明らか対象が女の子なのは外してやれよ」
「だよねー、変な誤解されたら父さん困るしね」
 棚に戻されたパッケージに未練がましい視線を送る樹は見えないことにする。手に持っていたカレーの2つともが女の子向けだったことも見なかったことに決めた。残る敵は戦隊ヒーローとライダー物、それにポケモンだ。
「よしじゃーこの3つにしよう」
 あっけらかんと言い放ち立ち上がってパッケージをカゴに入れた樹を、晴樹は口を開けたまま見上げた。早くしな、と急かす樹に、立ち上がりながら春樹は「2個っつったじゃん」と反論する。
「2個でも3個でも変わらないっての。ほらさっさと動け」
「そもそも出張なんだからホテルだろ、たまには外食させてやれよ」
「出張だからこそ少しでも手作り感を味わわせたいんだろが」
「んなもんコンビニの手握りおむすびで充分だろ、つかレトルトで手作りって何考えてんだ」
「あれ握ってねーだろよ確実機械だよ嘘ついてるよ何騙されてんだよ」
 言葉と共にカートを引っ張られ、晴樹はカゴにカレーを3つ乗せたまましぶしぶ樹の後に従った。

***

 夕方、晴樹が自室からリビングに降りていくと、樹が和室の雨戸硝子戸を全開にして畳の上に倒れていた。どうやら寝ているようだ。傍に落ちている雑巾と、縁側に置いてあるバケツを見る限り、掃除の途中で力尽きたのだろう。
 そういえば昨夜、樹の友人が泣きながら電話を掛けてきていた。いつ切ったのかは知らないが、2時頃水を飲みに起きた時はまだ話し声がしていた。ということは仮眠も取らずにバイトへ行ったのか。
 晴樹は雑巾を拾い、樹の横を通り過ぎてバケツを取ると硝子戸を閉めた。いくら5月とは言え窓を開け放したまま寝るのは身体に悪い。
 バイトを2つも掛け持ちしてまで樹が何を手に入れたがっているのか、晴樹は知らない。晴樹もバイトはするが日払いのものを小遣い稼ぎにする程度だ。もっとも、そこまで興味はないので聞かないままなのだが。
 和室を後にしようとした時、はる、と呼ぶ声が聞こえた。振り返ると樹が倒れたまま頭だけ持ち上げている。
「寝るなら部屋で寝ろよ、邪魔」
「うるっせーな寝てねーよちょっと休んでただけだし」
 寝起きでここまでの悪態がよくもぽんぽん叩けるものだと、晴樹は呆れる前に感心してしまう。むくりと樹が身体を起こし、胡座をかいて頭をガシガシとかいた。
「何時」
「5時過ぎ」
 晴樹が答えると樹はそのまま立ち上がり、晴樹の横を通って洗面所へ消えていった。いつの間にか自分が樹の身長を追い越していたことに気付き、晴樹はなんとも言い難い気持ちになる。
 水音が聞こえる。樹が顔でも洗っているのだろう。晴樹は部屋を反対側へ横切り、硝子戸を開けてバケツの水を勢いよく庭へ撒いた。



'08/03/20
短編やっぱ難しいな
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平行線


 久々の休みにちょっとぶらついたらすぐこれだ、何か悪いものでもついているのだろうかと、港はうんざりした顔を隠すこともなく満面の笑みと共に駆け寄ってくる峰崎を見た。
「何お前珍しーな、今日はバイト休みか」
「定休日だ」
 隣に当然のように並んで歩き出す峰崎にもはや何を言う気もなく、港はおとなしく質問に答えた。そっか、と納得したように一人頷いた峰崎は一瞬の間を置いて「じゃあさ」と港を見下ろす。
「暇だろ。長島ん家行こうぜ」
「…は」
「タルト作ったんだって、桃の。昨日なーんか甘い匂いがしてさー、お前甘いもん好きだろ」
 長島から時々甘い匂いがするのは知っていた。自分の食事すら満足にとっている様子がない長島が、まさか菓子を作るなんて思いもよらなかったけれど。
 港の沈黙は都合良く解釈されたようで、峰崎はさっさと先を歩き始める。港にしてもこれから特に用事がある訳でもなく、長島の手作りに興味が沸いたしで、おとなしく後について行くことにした。

***

「港だ」
 オートロックマンションの入り口、峰崎が慣れた様子で部屋番号を押すと、映像がインターフォンに出たのか長島のそんな声が聞こえた。
「途中で会ってさ、連れてきた」
 峰崎の言葉に返事はなく、ただ入り口を塞いでいたガラスの鍵付き自動扉が開いた。
 考えて見ればこの入り口まで送ったことはあったが中に入るのは初めてだと、港は峰崎の後について歩きながら思う。外観に違わず廊下も小綺麗で、エレベーターも広かった。14のボタンを押す峰崎を見てから、港は壁に寄りかかった。
「もしかしてお前、来るの初めてだったりするのか」
「下まで来たことはあったけどな。中は初めてだ」
 答えてやれば、峰崎は「そっか」と横についていた手すりに腰かけた。
「初めて来た時さ、俺超びびったんだ。超でけーし高そうだし、中も広いぜ、景色めちゃくちゃ良いし」
 身振り手振りを交えて話す峰崎は、最初出会って知り合い始めた頃こそうざったいものだったが、今では身体を動かさないと話せないのだと納得している。
 エレベーターを降りると、真っ白な壁に真っ白のドアが並んでいた。ドアノブだけが鈍い金色だ。いくつも並ぶそれらのうちのひとつの前に立ち、峰崎がチャイムを鳴らす。なんとなくいい匂いがする。表札のようなものはどのドアにも見当たらなかった。
 かちゃ、と鍵の外れる音がしてドアが開く。同時に甘くいい匂いが強くなった。
「いらっしゃい」
 長島の口調はいつもと変わらず淡々としていて、歓迎しているのかしていないのかがはっきりしない。けれどとりあえずのところ厭がられてはいないのはわかっているので、港は玄関をくぐった。


'08/05/19
 '08/07/01収録
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平行線02


「たとえばさ」
 長島の家、長島の部屋。港は床に座って読んでいた雑誌から、ヘッドホンをしたままベッドの上で膝を抱えている部屋の主へと視線を動かした。
 明らかな問いかけの口調にも関わらず、長島は港を見ていなかった。ただ宙を見つめている。実際は何も見ていないのだろう。  たとえば、と長島が繰り返した。
「私があの時転校してなかったら、きっと私は桜高には行かなかったの」
 港は何も言わず、目を雑誌に戻した。文字が映像として網膜に映るが、脳がその処理をしようとしない。ただ耳から入る信号だけを受け入れることに決めたようだった。
「あのまま中学あがってたら、峰崎と同じ中学だった。私、誰も行かないところ選んだの。だから、峰崎じゃなくても、誰かが桜高選んでたら行かなかった」
 淡々と言う長島のヘッドホンから、長島の好きな、そして港の好きな曲がこぼれている。先へ翔べと歌っている。カモメと歌っているからには、海のイメージが湧く筈なのだが、なぜか白けた早朝の空が思い出される曲。
「峰崎が私を覚えてる、なんて思わなかった。小学校の一年間だけ、同じクラスだっただけだから」
 あいつが俺のこと覚えてたってわかった時、驚いたんだ。ろくに喋ったこともなかったのに。
 いつか聞いた言葉が耳によみがえる。
「また会う、なんて思ってなかったの」
 まさかまた会えるなんて思ってなくて、入学式の後腕掴んじゃってさ。
「会いたい、なんてことも思わなかった」
 でもそうしないといなくなっちゃいそうだったんだ。
「桜高に入らなかったら、港にも会わなかったね」
 初めて長島が港を見下ろした。僅かに緩んだ口元。
「そうだな」
 雑誌に目を戻してからそう頷き、港はページをめくった。


' 09/03/07
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case05.


 先々週の火曜日、木曜日、先週の火曜日、それから今週の火曜日。
 朝のファストフード店、由也は毎回ホットケーキセットをホットコーヒーで頼んだ。カウンターで品が準備されるのをぼうっとした頭で眺めながら、由也はミルク2つにシュガーが3本、トレイに置かれているのに気付いた。
「お待たせいたしました」
 朝だというのに明るい声でトレイを寄越したお姉さんに会釈し、由也は違和感がなんなのかわからぬままに席へ戻った。
 そして木曜日の今日、いつもの時間にいつものメニューを頼んだ由也は、いつもの席に着いてから、ミルクとシュガーが1つずつしかついていないことに気付いた。
 それで飲めない訳ではないが、どうせ無料でついてくるものならばいつものように2つと3本がいい。閑静、とはこういう状態を言うのだろうと覚醒しきらない頭で思いながら、由也はカウンターに向かった。
「すいません」
 トレイを拭いていたお姉さんが「はい」と由也を振り向くと、手を休めて「どうなさいましたか」と寄ってきた。長い髪を頭の後ろで団子にしている。
「ミルクとシュガーを……」
「はい、お1つずつで宜しいですか」
 シュガーは2本と答えながら、由也は先日の違和感の正体に気付いた。
 今まで由也の見てきたお姉さんは、短い髪をピンで止めていて、このお姉さんのようにがっつり化粧はしてなかった。そして違和感の正体、あのお姉さんは、由也が言う前にミルクとシュガーを2つと3本用意していたのだ。火曜日が初めてではない。思い返してみれば、3回目に由也が来た時はもう、言う前に2つと3本が用意されていた。
「あの」
 ミルクとシュガーを手渡され、笑顔で「ごゆっくりどうぞ」と言われた時、由也は思わず訊ねた。
「いつもの人は……」
 きょとんとした顔のお姉さんに、内心しまったと思ったが、幸いお姉さんはすぐに答えてくれた。
「タカノさんですか?  あの子は今日はお休みですよ」
 そうですか、と会釈し、由也は自分の席へ戻った。

***

「いらっしゃいませ」
 翌週の火曜、同じ時間に店へ来た由也は、カウンターに立っているのがいつものお姉さんだったのにほっとした。ちらりと確認したところ、ネームプレートには高野とシールが貼られている。
「ホットケーキセット、店内で」
 お飲み物はどれになさいますか、とメニューを示され、いつものように「ホットコーヒー」と答えると、お姉さん――高野さんは「以上で宜しいですか」と言いながら、ミルクとシュガーをトレイに置いた。
「お会計440円でございます」
 500円玉を出しながら、由也は高野さんの顔を窺った。化粧っ気は薄いがすっぴんという訳でもなく、前回のお姉さんよりよほど“お姉さん”らしい。
「こちらが60円のお返しです」
 少々お待ちくださいと言われ、おとなしく一歩右にずれる。高野さんはコーヒーを作りにカウンターを離れていった。他に並んでいる客はなく、店内にもいつもの2、3人しかいない。
「ホットケーキセットお待たせいたしました」
 ごゆっくりお過ごしくださいと言う高野さんに、由也は思いきって話しかけた。
「あの」
「はい」
 お辞儀していた体を起こした高野さんは、由也の言葉を待っていた。
「あの、覚えるもんなんですか?  ミルクとシュガーって」
 高野さんは一瞬不思議そうな顔をした後、小さく笑いながら「そうですね」と答えた。
「朝はお客様少ないですし、2個と3本だと印象に残りますから」
 それに、いつもホットケーキセットですよね。
 どこにでもいていつでも無料で売ってる笑顔なのに、何故か高野さんの笑顔は強く頭に残った。


'09/02/22   もう何話目なのかもわからない。
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平行線03.


 長島、と呼ばれた気がして顔を上げ、机1つ分離れた位置に人が立っていたのに気付いて長島はヘッドホンを外した。峰崎が提げていたコンビニ袋をがさつかせながら長島の横の机に腰かけ、長島を見下ろしてどんだけデカい音で流してんだと笑った。耳悪くなるぞと机上のヘッドホンを指差され、長島は出てないと答える。入ってきたに気付かなかったのかと、袋を漁りながら峰崎が言ったが、長島の返事を求めた訳ではないらしく、ほいと軽い言葉と共に缶コーヒーを渡された。峰崎自身はあんまんを出してかぶりついている。
 長島は受け取った缶を、けれど開けずにそのまま持っていた。温かい缶が冷えきった指に、じんわりとぬくもりを伝えてくれる。峰崎が何も言わずに肉まんを取り出していた。何してたんだとの問いかけに、長島は振り向かない。振り向かずにただ缶を見つめる。静かな空気を壊したくなくて、小さな声で何もと答えた。
 何をしていた訳ではない。強いて言えば音楽を聞いていた。籠中の鳥の歌を。最後には飛び立てと、籠を出された鳥の歌。閉じ込められていたのに、急に放り出されて飛べるものかと思っていた歌。
 ふうんと峰崎が相槌を打ち、貸せとでも言うように長島に手を伸ばした。長島はおとなしく、手を暖めていた缶を渡す。ぬくもりが離れ、持つ前よりも空気の冷たさを感じた。
 プルタブが軽い音を立てて開けられて、缶コーヒーが返される。口の開いてしまった缶を先程と同じように持ち、長島は細い湯気を眺めた。
 開けられないと、いつまで経っても飲もうとしない長島を見て思ったらしい。
 遠くの方からテニス部の掛け声が聞こえてきた。窓を開ければよりはっきり聞こえるだろう。赤く薄くなっていく空に目を移し、帰らないのかと訊ねた。もうちょい、と峰崎が返し、そうと目を湯気に戻す。そっと持ち上げて一口含むと、缶コーヒー独特の薄い香りと僅かな辛味が舌を刺した。


'09/03/14 作中の歌はMonkeyMajikのカモメ。一個前の長島と港のやつも。
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case.06


 真帆が髪を下ろしたままにし始めたのは、確か今年の5月の頃だった。それまではいつも頭のてっぺんで団子にしていて、良く似合っていたのを覚えている。別に下ろしているのが似合わないという訳ではなく、寧ろ大人っぽく見えて弟としては何かつまらなく思った。
 彼氏、いや好きな男でもできたのかともやもやして、素っ気ない態度も取った。けれどそっち方面の話は全く聞こえて来なくって、きっとただの気分転換だったのだろうと和樹は安心していたのだけれど。
「……“いっちゃん”?」
「もー超格好良いの! 頭良いし格好良いしちょっと口悪いけど優しいのしかもあたしにだけなんだよ!」
 来週はスポーツ大会だ、と浮かれ気分の姉に運動音痴の癖にと突っ込んだのがついさっき。そこで出てきた“いっちゃん”なる名前に、和樹は舐めていた氷を噛み砕いた。
 季節は夏。夏期休暇まで指折るのみとなったこの時期なぜスポーツ大会なのかと思わない訳でもなかったが、それより問題は“いっちゃん”だ。
 増えたメールも遅い帰りも妙に学校が楽しみに見えていたのも、どうやらその“いっちゃん”が原因だったらしい。黙り込んでいる和樹に構わず、真帆はクッションを抱き締めたまま幸せそうに“いっちゃん”について語っている。
 その話によれば、“いっちゃん”は真帆の隣の席でピアスを計3個空けていてガリマッチョと呼ばれる部類で一見クールだが、真帆にはそれはそれは優しいらしい。2人の時だけ。
 明らかに惚けられて、当然和樹は気分が下がる。
 別にシスコンだとは思っていなかったしどちらかというとまとわりついてくるのは真帆の方だったし、むしろ高校生になって彼氏を作ったとしてもそれは極々普通のことだというのに、この不快感はなんだろう。
「……精々応援頑張れば? お前じゃ戦力にならねーだろうし」
 また氷を食べて噛み砕く。ごりごりとした感覚に、けれど気分はまったく晴れる気配がない。
 和樹の嫌味に、真帆が「えへへー」とだらしなく笑った。
「いっちゃんにもおんなじこと言われたの」
「……あっそ」
 氷を噛み損ねた奥歯ががちりとぶつかった。自分が言うのは良いが、他人に言われると腹が立つ。真帆が嬉しそうなのが理解できない。
 あのね、と真帆がクッションを抱く腕を弛めた。
「『下手に張り切って怪我されるよりも、最初から応援に回られた方がいい』って。和くんも心配してくれたんだよね」

 ありがとね。そう続けた姉にどんだけポジティブ思考なんだと言ってやれば良かったのに、何故か和樹は顔を背けることしかできなかった。


'10/05/10 12:07 発掘したので今更UP。和樹はツンデレ。
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case.07


 晴樹も樹も母親似だ。確かに幼い頃は年子ということもあってか姉弟で良く似ていたと言われたし、事実アルバムやらを見てもそっくりだと思う。服も共有していたものがいくつかあった。
 けれど年を経るごとにやはり男女差というものが出てきて、顔つき体つきは見違えようがなくなり、晴樹が中学を卒業する頃には姉の身長を越していた。それについて「生意気だ」といわれのない非難を浴びたのは記憶に新しい。
 何が言いたいのかと言えば、晴樹と樹はどちらも母親似であるにも関わらず、姉弟は似ていないということだ。全てはそれが原因だ。

「だからっておま、ねーよそりゃねーよ」
 目の前でテーブルを叩きながら笑っている和樹の脛を蹴り上げながら、晴樹は苛々と髪を掻き上げた。斜向かいでは水樹がコーヒー牛乳をすすっている。本人はコーヒーだと言い張っているが、砂糖とミルクを片手で収まらない数入れたそれは既に元の味を失っている。以前味見させてもらった時の甘ったるさを思い出し、晴樹は眉を寄せた。
 和樹が顔を真っ赤にさせて笑っている原因は、晴樹の下校中にある。たまたまバイトに行く途中だった姉と道端で会い他愛のない話をした。姉はすぐにバイトに向かった。晴樹と、共に下校中だった友人らが残された。そこから始まる友人らの勘違いを、偶然和樹と水樹が目撃した。友人らはこともあろうに、樹を晴樹の彼女と取り違えたのだ。やれ何校の女子だいつ知り合った俺にも紹介しろ、姉だと言ってもベタな嘘を吐くなと一蹴され、業を煮やした晴樹が踵を返した正面に和樹らがいたのだ。そして今に至る。
 和樹と水樹は姉を面識があり、故に詳細を聞いた和樹はこうして笑い転げているし、水樹は同情の視線を向けてきている。その同情は和樹に笑われていることに対してではなく、似ていない血縁のせいで起きるごたごたに対してだろう。水樹と水樹の兄は良く似ているが、中身が真逆のせいで自分とは違った面倒があることを晴樹は良く知っている。
 そう考えると和樹のところが一番平和なのだろうな、と生ぬるい視線を向けていると、ようやく笑いの収まったらしい和樹が涙を拭いながら「でもさ」と晴樹を見た。
「樹さん格好良いじゃん、それなら間違われても得した気分に」
「ならねーよ和樹は真帆さんが彼女に間違われたら得した気分になんのかよ」
 言葉を遮り言い放てば、途端に和樹の顔が歪んだ。真帆は樹の同級生で、和樹の姉だ。ほわほわとした雰囲気の可愛らしい人だというのが水樹と晴樹からの見解だったが、実弟にとっては「未だに『コロボックル』を信じてるシアワセな奴」らしい。
「すまん晴樹俺が悪かった」
 言いつつ伸びてきた手からポテトを守っていると、水樹がぽつりと口を開いた。
「つーかさー、そもそも外で会話するってのが信じらんないわ」
 思いもよらない言葉に攻防を一端中止する。「だって」と水樹がカップを置いた。
「うちなんか家ん中でさえ会話ねーし。名前なんか呼ばねーし」
 和樹と顔を見合わせる。確かに自分の家が余所より仲が良いことは自覚していたし、水樹の家の兄弟間の仲が宜しくないことも知っていた。それでも水樹の家の方が一般的であるのは、友人らとの会話の中で窺える。和樹の顔がにやりと笑った。
「何お前、羨ましーの?」
「高校生にもなって『真帆ちゃん』『和くん』なんて呼び合うのを羨ましがるとでも?」
 撃沈した和樹から水樹がこちらに視線を寄越す。確かに水樹が兄と仲良しこよしをしていたら、晴樹は迷い無く回れ右をするだろう。
「ハルんとこはまあ別の意味で特殊だけどさ。一緒に買い物とか」
「それは」
「わかってるよ」
 反論は少し大きな声で遮られた。いつもの水樹らしくない。和樹も水樹の様子がいつもと違うことに気付いたのか、ふざけるのをやめたようだ。
 視線を二組向けられて、水樹が拗ねたように黙り込む。晴樹は再び和樹と顔を見合わせた。
 年子である晴樹や和樹と違い、水樹は兄と5つも離れている。幼い頃は良く遊んでもらったらしいが、年を経るにつれ会話自体がなくなったと聞く。
 なあ、と和樹が頬杖をついた。
「今日晴樹ん家泊まりに行かね? 明日休みだし」
「はあ?」
 声をあげたのは晴樹だったが、「いーじゃん」と一瞥されて終わった。
「樹さん今日うちに泊まるって真帆ちゃん言ってたし、お前ん家誰もいないじゃん」
「いる。俺がいる」
「お前なー、寂しがってる水樹を慰めてあげようとかいう優しい心持ってねーの?」
「誰が寂しがってるって?」
 水樹が和樹を睨んだが、まったく堪えた様子がない。逆に水樹の頭をガシガシとかき回し始めた。
「いーじゃん寂しがったって。なんやかんや言って結局羨ましいんだろ」
「だから違うっつってんだろ本当お前頭おめでたいな」
「お前らうるさいここ店内」
 制止の声は聞こえていなかったらしく、言い争いはますます激しくなっていく。すっかりしなびてしまったポテトを口に放り込み、晴樹は他人の振りを決め込んだ。


'10/09/29 某所で評価してもらったもの。反省こめて原文まま
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