不完全燃焼だけど苦労性と仕事中毒の話。
得体の知れない輩。全身を隠すフードローブに、性別も年も定かでない声。その小さな体躯にラベイは薄気味悪さと、認めたくはないが畏怖を抱いていた。城の誰もがその素性を一切知らない“それ”は、けれど皆が初めて見たであろうあの場で、カイアナイト前王、アイオライト現王、そしてブルト親子に書庫番という、皆が信用せざるを得ない面々から一切の信頼を受けていた。彼らの目の前で、どうして“それ”を疑うことができようか。
初めの印象は、そういうものだった。
「どうかなさいましたか」
ラベイの胸辺りまでしかない頭が軽く傾げられる。その拍子にフードの下で、淡く色付いた髪が揺れたのが見えた。
「……いえ。それよりセレン様、昨夜も遅くまで灯りが点いていたようですが」
咎めるような声音になるのは仕方がないことであると思う。近頃では口許のみでもこの人の表情を察することができるようになったラベイは、見えない目が決まり悪げに逸らされたのを悟り、セレンの抱える書類の束を取り上げた。
「急ぎのもの、という訳でもないでしょう。夏の間は昼夜逆転の生活も仕方がないと諦めるつもりでしたが、この時間帯も休まずご自身の身体を虐め抜くようでしたら、こちらにも考えがあります」
今度は居心地悪そうな雰囲気が眼下の人から発せられ、「と、言いますと?」などと窺うような言葉を向けてくる。それに対してラベイはしかめ面を返した。
「まず、アンバー殿の自主鍛練に付き合うことを禁じます。トリカを貴方付きの小間使いにするよう陛下にかけあいましょう。それから夜間は一切の書類を執務室に置き、貴方自身を私室へ閉じ込めます」
見えない目が泳ぐのを手にとるように感じながら、ラベイは小さく息を吐いた。
この人が見かけによらず行動的で武術に長けるということは、話でも聞いていたしラベイ自身も目にしたことがある。闘技大会の優勝者を一瞬で押さえつけた時の審判を務めたのは己だ。この人が朝早くにアンバーと何かをしていると聞いた時、だからラベイはそれとなくアンバー本人に事実を確かめている。掃除係のトリカは身分を弁えない言動や行動が目につくが、セレンに対しアイオライトとアンバー以外で明け透けに物を言える、そしてカイアナイト以外でかの人に言うことをきかせることのできる貴重な人材だ。小間使いとは聞こえが良いが、ようは目付役である。更に仕事を取り上げでもしないと、この人はいつ休息を取るのか。
直に問うたことも確かめたこともないが、体躯や晒されている手指から察するに、この人はまだ若い。それが昼夜月日を問わず城に詰め仕事漬けになっているのだ。兵にも若い者は多いが、彼らには休みが定期的に与えられる。遠方警備の担当などは2年、長ければ4年、国の塀内に入ることが叶わない。けれど遠方警備後には1月の休息が与えられる。
そう、この人に足りないのは息抜きなのだ。
「……ふふ」
「何か?」
眉根を寄せて見下ろしていた自分に向かって笑いをもらしたセレンに、ラベイは眉間の皺を深くした。「いえ」と緩んだ口許を見せるセレンに無言で先を促す。
「心配されるというのは、くすぐったいものですね」
それも、貴方から。付け加えられた言葉に瞠目してしまったのは、仕方のないことだろう。然り気無くラベイの腕から書類を取り返したセレンを呆然と眺めていれば、かの人は緩く笑んだまま言葉を継いだ。
「お気遣いなく。どれも私の意志で行っていることです。必要な休息ならば定期的に採らせていただきますよ」
それでは後程。さらりと会釈を残して去って行ったかの人が逃げたのだという事実に気付くのは、両手に余る回数やりとりを重ねてからのことだった。
(今日という今日は逃がしません)
(ああ丁度良いところに。今日は結婚記念日だそうですね、それらは預かりますので早くお帰りください)
(何故それを、いや)
(帰りを待つ方がいる、というのは幸せなことです。娘さんにもお伝えください、お父さんを取ってばかりでごめんなさいと)
'10/08/25
ラベイの扱いを心得たセレンと、感覚的にセレンは保護対象の年齢だと悟っているラベイ。
時期的には誕生式典のすぐ後らへん。
彼、という表現がないのはまだ認めたくないからですラベイが。