それはある春の雨夜のこと。
初めて見た時は何て可愛いげのないガキだと思ったものだった。頭っからフードをひっ被って、周りに見ることができるのは形を変えない口元と、袖や裾から覗くひょろっこい手足だけ。外界に全くの無関心を装っているのに、確かにそこには手負いの獣然とした警戒心があった。
あれでも人に慣れてきたんだ、とカーフに聞かされた時は、だからルチルはその『慣れる前』とやらを見てみたくなった。
今“Artos”にいる連中のうち、大半はスネイクがどこからか“拾って”きた奴だ。スイもテクトもタータも、前のスネイクが連れてきたのだとルチルは聞いている。今のスネイクは売られてきたらしい。ルチル自身は、悪友だと思っていたスイに散々知らずに利用されていて、その挙げ句彼自身から『うちの頭がお前も欲しいってさ』と伝えられ、初めて“Artos”が“蛇”の塒だと知った。
とにかくそんな所だったから、訳有りでない輩の方が“Artos”では珍しかったし、故にその子供を見た時のルチルの感想は、その場に限れば取り立てるようなものでもなかった。
“蛇”が従うのは“蛇”の頭と己にのみ。それさえ遵守していれば、別に他の“蛇”と馴れ合う必要も義務もない。テクトなど“Artos”にいるところをルチルはど見たことがないが、ルチル自身は絡まれれば応じるし自ら絡むことも少なくない。特に懐いてくれているカーフは可愛がってさえいた。
そのカーフがやたらと自分にその子供を構わせたがっていたのも、ルチルがセレンを気に留める一端を担っていたのだろう。
その日ルチルはたまたま“Artos”に帰ってきていて、たまたま子供が暖炉の脇に踞っていた。冷たい雨の降る初春のことだった。ブーツに包まれていた筈の爪先まで凍えるようで、ルチルは湿った服を脱ぎつつ調理場から酒をくすね、居間に向かった。
時刻は日が昇ろうとする頃で、居間の灯りは暖炉以外全て落とされていた。ぱっと見では無人のようだったが、ルチルは唯一の灯りの脇に例の子供が踞っていることに気が付いた。
こちらに背を向け確かにそこに座っているのに、一切の気配が感じられない状況は、不気味さよりも不思議さをルチルに与えた。だからルチルは、タオルを頭に被ったまま子供の方に歩いて行った。
「早起きだな。それとも寝てないのか?」
子供から見える位置に腰を降ろす。近付く途中にも身動ぎひとつしなかったところを見ると、子供は自分が居間に入ってきた時からルチルの存在に気付いていたのだろう。反応は期待していなかったので、ルチルは酒を脇に置き、タオルで髪の湿気を吸った。
「……あんたを待ってた」
だから、横から聞こえてきた小さな声に、思わず手の動きを止めた。
相変わらず口元しか見えないし、その口元も顎を抱えた膝に乗せている所為でほとんど隠れてしまっている。小さな子供は聞いた年より幼く見えた。
「俺を?」
酒に手を伸ばしつつ問えば、僅かな間を置き子供が頷く。小枝の様に細っこい指に力が込められたのが見えた。
「……最近、いなかったから」
「あー……確かに」
思い返せばこの6日間、スネイクのところには顔を出したが“Artos”には寄っていなかった。それと同時に、この子供の中に自分という存在が残っていたことを嬉しく思う。小さな子は嫌いではないのだ。
「なんだ、寂しかったのか?」
冗談混じりにそう言ったのに、子供は小さく頷いた。その所為で逆にルチルの動きが止まる。凝視されているのに気付いたのか、子供がやや早口で言った。
「前、また外国の話してくれるって、それで……楽しみ、だったから」
照れているのがあからさまなほど、子供の声が小さくなっていく。同時に体も縮こまっていく様子に、ルチルは思わず噴き出した。
「そりゃ嬉しいね。てっきり嫌われてるもんだと思ってたからな」
ルチルの軽口で、子供の頭が勢い良く横に振られる。腕を伸ばすと子供は肩を強張らせたが、その頭を軽く撫でてやればくすぐったそうに首を縮めた。
「心配しなくても、約束はちゃーんと守る。“蛇”は約束を破らないんだ」
一瞬きょとんとした顔に、はにかむような笑みが浮かべられる。素直に可愛らしいと思う。だからルチルは「残念」と言った。
「その顔、本物ならもっと可愛いだろうになあ」
瞬間、子供の顔から表情が消えた。先程の柔らかな空気とはうって変わり、刺すような警戒心が噴き出してくる。
その変わり様にルチルは笑った。
「言っておくけどな、そんなのに騙される奴はここにはいないぞ。気付いてたから無愛想で通してたんだと思ってたのに」
そうは言ったものの、ルチルも危うく騙されるところだった。子供の表情、雰囲気が作り物だとわかったのは、単に今までの観察があったからだ。
作り物、とわかったものの、ならばこの子供の本心はと問われて返す答えをルチルは持たない。ただ、この子供はいくら人目がないからと言って“他人”――“自分ではない人”に感情を顕にしないだろう。今は、まだ。
さあどう出るか。観察半分面白半分で待ったルチルの耳に聞こえてきたのは、意外なことに舌打ちだった。
「……だからやりにくいんだ。ここの連中は」
かかえていた膝の片方を投げ出し、子供がフードの下からルチルを見た。外見と雰囲気がまるで噛み合わない。子供が、自嘲でもするかのように息を短く吐き出した。
「カーフが、あんたを随分推すからさ。少しノってやろうかと思っただけだ。巻き込んで悪かったな」
「へえ? 嘘は感心しないな」
「ああ、別に悪いとは思っていない」
立ち上がった子供が悪びれた様子もせずにそう言った。可愛くねーのと言ってやれば、嘘は駄目なんだろうと澄まして返してくる。
今回の“拾いモノ”はいつも以上に厄介だ。ガキの癖にちっともガキらしくない。
けれども不快に思わないのは、この子供の行動が防衛反応からきているものとわかっているからだろう。この子供も、“拾いモノ”の例に漏れず“訳有り”なのだ。
居間を出ようとする小さな後ろ姿を見送りながら、ルチルはつらつらとそんなことを思う。無意識のうちに酒あおった時、子供がぴたりと足を止めた。そのまま首だけこちらに向く。フードが引っ張られ、頬の大部分が炎の薄明かりに照らされた。
「やっぱり悪いって思ったのか?」
「まさか」
ただ。子供の口端が、きゅっとつり上がる。
「話、楽しみにしてたのは本当」
放たれた言葉に瞬きをひとつ。扉の隙間をすり抜けようとした背中に、ルチルはこう言葉を返した。
「そっちの顔のがよっぽどカワイイな」
暗がりに消えた影からは、やはり足音も気配もない。けれどルチルははっきりとわかっていた。今あの子供は苦々しい表情を浮かべているのだろうと。
初めて見た時はなんて可愛げのないガキだろうと思ったが、今は次に顔を合わせる時が楽しみで堪らない。
口端をつり上げるだけの皮肉めいた笑み。無表情でさえあの子供の感情を表していると知った。きっとあの子供は、これからもっと“Artos”に吸収されていく。“蛇”の一部として。自分と同じように。
「……セレナイト、か」
もう雨は止んだだろうか。酒をぐいとあおりつつ、ルチルは込み上げる笑いに目を細めた。
'10/03/25
ルチルとセレンの話。
ルチル19歳セレン8歳くらいなイメージ。この頃のルチルはもう軍にいる。スイも城勤め。
ちょこちょこ修正していかなきゃなあ。