You are the one of us.
女の子たちの間で流行っていたおまじない。願い事を紙に書いて秘密の場所に隠し、毎晩誰にも見られないように星に向かってお祈りする。そうすると願い事が叶う、なんて、どこにでも良くあるようなおまじない。
ちょっと気が向いた、だからやってみた。それだけだった。叶ったらいいなとは思っていても、叶う筈がないことを頭でわかっていた。
だからイリスは、眼前に広がる光景を信じることができなかった。
「せ、れん?」
信じられない、と思いつつ、イリスの口が名を紡ぐ。小さな声だったけれど、勝手口に立つ人影は、「久し振り」とぎこちなく微笑んだ。
もうおまじないだなんだとは関係なしに続けていた、眠る前の習慣。たまたま呟いた言葉に、庭の端にある勝手口が開いた。まるで夢の中にいるような、現実味のない雰囲気。ずっとずっと待っていた人が、同じ場所にいた。
「ほんとにセレン?」
一歩踏み出し、そこでとどまる。フードを深く被り、いつもなら見える口許でさえも薄暗い庭では良く見えない。けれど間違える筈がない。間違えようもない。人影は扉を閉めて、ゆっくりとイリスの方に歩いてきた。近付いてくるほどに、棟の中から射す灯りに影がはっきりとしてくる。穏やかな口元、羨ましいほどの白い肌、いつもの茶色い、着古されたフードマント。
手を伸ばせば触れられる位置まで来て、セレンが立ち止まってフードを外し、イリスを見下ろした。光を受けて長い銀髪がきらきらと輝く。切れ上がった、女の子みたいに長い睫毛の赤い瞳。
そう、セレンだ。背は伸びたようだが間違いなく。ここにいる筈のない人がここにいた。
「なんで、どうして、どうして?」
いる筈がない。彼はお城、ヘリオットの中心にいる筈なのだ。
現状が飲みこめなくて、イリスはいつも通りを探そうと辺りを見回した。暗い庭、白いツボミが点々とついた木々、いつもと同じなのに一ヶ所だけ違う。
現実に頭が追い付かなくなり、イリスはその場にうずくまった。一歩後ずさろうとしたセレンの裾を掴み、確かにそこにいることを確認する。
「ほんとのほんとにセレン? ねぇ、本当に? どうしてここにいるの?」
セレンがイリスの前に同じようにしゃがんだ。右の膝をつくのも、いつでも動けるように軸をずらさないのも、前に垂れてくる髪を後ろに払う仕草も全部全部、イリスが覚えているのと同じだった。セレンだ。セレンが目の前にいた。
依然として状況が掴めずにいると、イリスの目の前に紙切れが差し出された。見慣れた字。自分の字で、"セレンに会いたい"と書かれた紙切れ。
「ルピがさ、これ持ってきたんだ。イリスの字だろ」
おまじないの為に、外れるレンガの裏に隠しておいた願い事の紙だ。自分でも驚く程の早さで差し出された紙を奪い取る。誰にも見られてない筈だったのに。
顔が熱くなり、必死に言い訳をしたが、自分でも何を言っているのかよくわからなく、セレンの困ったようなだけが唯一理解できた。
ルピの奴、どうしてあれを見つけた上ご丁寧にセレンに届けたのか。書かれた文字を読んで、手紙だとでも思ったのだろうか、イリスの覚えている限り、ルピは字が読めなかったのだけど。
「ご、ごめん」
「違うの、本当に! ただのおまじないなんだから、ルピが勝手に持ってっちゃっただけなの!」
顔が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。また謝るセレンに弁解もできず、イリスはセレンの足元を見つめた。
別に呼び出す気なんてなかったのだ。会いたいとは思っていたが実際に会えるなんて思ってなかったし、ただ無事でいてくれればそれで良かった。いつもいつも無理をするのが癖になっていたセレンが、せめて元気でいてくれれば良かったのだ。
ルチルがたまに帰ってきてセレンの様子を教えてくれたり、マティがセレンの少食を嘆いているのを聞くしかできない自分には、毎晩彼の無事を祈ることしかできなかったから。
「わかったから、そのおまじないって何?」
「教えない」
教えられる訳がない。まだ頬が熱い。自分の所為だとはわかっていたが、気まずい雰囲気が流れた。
「あのさ、服、ありがとう」
居心地が悪いのは向こうも同じだったのだろう、セレンがぽつりと言った。
「……いいよ、勝手に作ったんだもん。信じられない、このぼろぼろの服のまんまお城に出ようとしてたなんて」
緩んだ空気にほっとし、イリスは掴んだままだった裾を軽く引っ張った。それでもいつものように話すことができすに早口になる。
「ねぇ、大きさ大丈夫だった? 少し大きめに作ったんだけど」
「今じゃぴったりだ」
その声に少しだけ誇らしげな色が混じっていて、イリスは顔をあげた。相変わらず羨ましい程綺麗な顔立ちをしているが、記憶にあるよりも大人っぽく、男の子らしくなった気がする。もうディアナのおもちゃになっていた、ちっぽけな子供ではない。
「……背、伸びたよね。きっとすぐに小さくなっちゃう。また新しいの作るね」
カーフもまた一段と格好良くなったし、どうして男の子はすぐに大きくなってしまうのだろう。中身は相変わらず子供のままだから、かかる手間が増えるだけなのに。
セレンが居心地悪そうに身じろぎし、空を見上げた。まだまだ夜が明けるには時間があるだろう。
「そんなに忙しいの? お城の仕事って」
小さく問いかけると、セレンが驚いたように顔を戻した。逆にイリスは俯く。
「全然帰ってこないよね。皆寂しがってるよ」
ちらりと見ると、セレンが申し訳なさそうな表情になって視線を落としていた。
「ごめん」
「元気なのは知ってるからいいけどね、会えないと寂しいよ。今まで一緒だったもん」
完全にセレンが俯き、さらさらと垂れる銀髪の中に表情が隠れてしまった。
違う。こんなことを言いたいんじゃない。困らせたい訳じゃない。一番帰ってきたがっているのは、皆に会いたがっているのはセレンだということを知っているのに。
「最後に会ったの年末だよ? その後は会えなかったし、それからずっと来てないし。私の誕生日だって」
けれど勝手に口が動いてしまう。責めたくないのに、口からでるのは非難するような言葉ばかりだ。
気まずい沈黙が流れ、イリスは唇を噛み締めた。
折角会えたのに。
長い長い沈黙の後、イリスはいまだ俯いたままのセレンに言った。
「もうすぐセレンの誕生日だよね。その時は絶対に帰ってきて」
言いながら立ち上がり、顔を上げようとしたセレンの頭を押さえつける。今の顔は、誰にも絶対見られたくない。
「絶対だよ。約束だよ」
去年の誕生日は楽しかった。皆で大騒ぎして、笑って。途中からいつものようにただの飲み会になって、セレンとイリスは他の酒が飲めない人たちとスネイクの横に避難した。
セレンが頭を押さえられたまま真面目な声で答える。
「約束する」
「ちゃんと私に会うんだよ。じゃないと帰ってきたって認めない」
釘を刺すと、セレンが声を出して笑った。
彼は約束を破らない。けれどちゃんと守ってくれることも少ない。例えば"蛇"の仕事を受けた時、彼が「一週間で帰る」と言ったら5日で"Artos"に帰ってきているのに、怪我をしていたら治るまで誰にも会わないのだ。誰にも会わず、術師の家に隠れてしまう。
そういうことを平気でするのだ。
「わかった」
すっかり緩んだ空気に、イリスは口元を緩めた。
「その時には、新しい服をプレゼントするね」
けれど手は離さずに、イリスはセレンに言った。後一月弱、その頃にはもうあの服は暑すぎるだろう。
「じゃ、その時に俺もイリスに誕生日プレゼント渡す」
セレンが言った言葉に、イリスは一瞬動きを止めた。
「いいよ」
いらない、そう続ける。
ただでさえ彼は忙しいのだ。その時間を割いて、誕生日に帰ってきてくれるのだ。セレンの誕生日に。さっき口走ったのだって、プレゼントが欲しかった訳じゃない。そんなことに、時間を使って欲しくない。
あげようとしたセレンの頭を強く押さえつけ、イリスはゆっくり言った。
「セレンが帰ってきてくれるだけで充分だから」
本心から、そう言った。一緒にいられるだけで、それで皆で大騒ぎして笑い合えればいい。
セレンが悪い方にばかり考えてしまう癖があるのは知っている。皆はセレンが初めて"Artos"にきて、「ありがとう」を言えた時から、ずっと家族として仲間として接しているのに、セレンはなかなか受け入れようとしない。自分が人に好かれる、なんて考えもしていないのだ。だからカーフやディアナ達とでさえ、仲良くなるまで時間がかかった。
よっぽど正直に真っ直ぐに言わないと伝わらない、朴念仁とはまさに彼のためにある言葉だろう。
「絶対帰ってくる」
手を離すと、セレンがイリスを見上げて微笑んだ。
約束だ、と言うセレンを見下ろし、やっぱり綺麗だなあと感心する。お城の人の中にも、かなりたくさんの人がセレンは女の子だと思っていると聞いた。フードの下を見たことがない筈なのに、穏やかな物腰やさり気無い気遣いが勘違いをさせるのだ。
きっと顔を見せたとしても、その疑いを晴らすのは難しいのだろうけど。
見慣れたイリスからしたら、いくら綺麗と言ったってセレンは紛れもない男の子なのだが、久し振りに見た今は女の子のようだと思ってしまうくらいなのだ。
欠伸を噛み殺すセレンを見て、その子供っぽい仕草に笑みが浮かぶ。
「そろそろお城に戻った方がいいよ。あんまり寝てないんでしょ?」
たまにふらりと帰ってくるルチルやルピの愚痴を散々聞かされている。無茶が癖になっているこの人は、言われてもちゃんと聞かないのだろう。
イリスの言葉に、セレンが口元を緩めて立ち上がった。イリスの頭に手が乗せられる。
「行ってくる」
ふわりと心が暖かくなった。「またな」でも「帰る」でもなく、「行ってくる」と言う言葉は、また確かにここへ帰ってくるという証拠。"Artos"を家だと思っている証拠だ。
城に戻る、という表現をした自分に悲しくなったが、それよりも嬉しさが上回った。きっと自分は最高の笑顔を浮かべていることだろう。
「いってらっしゃい」
そう言うと、セレンは嬉しそうに大きく頷いた。
フードを被って扉の向こうに消えたセレンを見送り、イリスはようやく息をついた。
「でかしたイリス!」
言葉と同時に後ろから抱きつかれ、情けない悲鳴をあげる。黒く豊かな髪がかかり、背中に柔らかな膨らみを感じた。
「ディアナったら」
急に止めてよ、と首を捻ると、がしがしと頭を撫でられる。さっき感じた優しい手つきとは正反対だ。
「あいつ来るんでしょ? 誕生日。こりゃ腕の見せ所だね、今から準備しなきゃ」
「聞いてたの?」
どこから聞かれていたのだろう。自分はずっと棟に背を向けていたから顔を見られることはなかった筈だが、おまじないのことももしかしたら聞かれてしまったかも知れない。
血の気が引くような思いで棟に目をやると、にやにやと笑っている皆の顔が並んでいた。あまりのことに恥ずかしさを通り越し、イリスは気が遠くなった。
というかロゼやビスカがいるのはまだわかるとして、どうして女棟にカーフやラピラズがいるのか。
「あーあ、言いたいこといっぱいあったのになー」
「つかあいつ鈍くなったな、前あいつんトコ行った時は気付かれたぞ」
口々に勝手なことを言う皆に、イリスは呆れてものが言えない。抱きついたままのディアナが男衆に向かって「ほーら」と手を振った。
「用が済んだらさっさと失せな、野郎ども。神聖なる女棟に臭いがついたらたまんないっての」
「よく言うよ、呼んだの自分の癖して」
言い返してくるカーフは、けれどおとなしくラピとラズに「行くぞ」と声をかけた。
「口うるさいの伝染ったらたまんねーっての」
「あーあーいいのかなそんなこと言って」
「タータに言いつけちゃおっかなー」
からかうロゼとビスカに「うるせー」と口を曲げ、同じ顔をして笑っているラピとラズに八つ当たりをするカーフにイリスとディアナも笑った。
「……最高の誕生日にしてやろうね」
肩に回されていた腕に力が入る。耳元でディアナが囁いた。
ディアナが、本当は一番セレンに会いたかったのだ。あの人が好きだからこそ、あの人が好きな人たち皆が大好きだから。あの人が大切にしている人を守りたがっているから。
回されている腕を優しく叩き、イリスは見えないように小さく笑う。
ディアナの、こんなに可愛くて女の子らしいところを知っているのは自分だけ。だから嫌いになれないのだ。
「もちろん。絶対びっくりさせてやるんだから」
答えると、後ろでディアナが笑って抱き締める腕が一層強くなった。
'09/03/31
イリス視点。
何で今UPするかというと、ずっと上げるのを忘れていたからです。日記から収録。