shall we dance?







 夏の長い陽が落ち、ようやく宴が始まった。イオはなんとか長々とした口上を覚えることに成功したようで、途中つかえることも無く、誕生を祝いに来てくれた礼を述べることができていた。
 イオの横に控えていたセレンは、反対側に立っているアンバーと顔を見合わせ心中で胸を撫で下ろす。ここぞというところではしっかり役目を果たすのは知っているが、どうにも普段のだらけた姿を見ていると不安になってしまうのだ。
 広間には客人とイオ、アンバー、セレン、それに何人かの地位のある者が集い、兵士や客人の連れの者は壁際に控えるのが通例で、今回もその例に漏れず、華やかな内側をぐるりと正装した兵士達が囲んでいた。
 イローネの王族近衛、“鷹の爪”の中に見覚えのある赤髪を見つける。ソーレは“鷹の爪”ではないから仮面はつけていないが、国の紋章である鷹を模した鎧をつけて直立不動の姿勢を保っていた。今回ソーレは姫の護衛を兼ねてはいるが、あくまで客人としてヘリオットに来ている為、壁際に控える必要はない。けれどパーティやらの儀礼めいたことが苦手なのはアンバーと同じらしかった。
 イローネの団体とレグホーンの団体の間に第4分隊が陣取っているのを見て安心し、セレンは音楽が始まるまでにできる限りイオから離れようと壇上を降りる。口上の後にしばらく時間が取られ、ダンスの相手を誘う暇を作るのも伝統だった。
 広間を横切っていると、予想はしていたことだが、ある者は物珍しそうに、ある者は気味悪そうにセレンを不躾に眺めまわした。ひとつひとつに笑みを向けてやれば、恥じ入ったように視線を外すもの、会釈を返す者などこれまた人それぞれの反応が返ってくる。
 ぐるりと見渡せば、確かにセレンに目を向ける人が多かったが、やはり若い王の動向に気を配る者も多かった。
 レグホーン王の甥がしばしばリラカの姫に視線を送っているが、エイロピアスとかいったか、栗色の髪を高く結った姫はじっと目を伏せている。その近くにいるグリーの姫も、離れた位置にいるウィンリードの姫も同じだ。
 今回のダンスパーティの主役はアイオライト国王。実際に踊りたい相手が誰であれ、ヘリオット国王にパートナーを申し込まれれば受けるのが礼儀だ。
 壁際にまで逃げ、第1分隊の横で早くイオが適当な姫、できればウィンリードのラシャにダンスを申し込んでくれはしないかと今更スイの提案に乗ったことを後悔していると、イローネの姫、エトピリカが動くのが見えた。その足は真っ直ぐ“鷹の爪”に向かっている。そこではソーレとアンバーが談笑していた。
 エトピリカの茶色の目は熱っぽくアンバーを見つめている。ここまでわかりやすい気持ちもそうないだろう。街中でカーフに向けられる視線を見つけた時の、あの何とも言えないこしょばゆい感覚を思い出すが、一方で一国の姫にしてははしたないとの印象も受けた。
 イローネの次期王はエトピリカの姉に決まっていて、許婚も決まっている。だがエトピリカには許婚もなく、比較的自由な立場にある。現イローネ王の、娘達には恋愛結婚をさせたいという意向もあるらしい。
 案の定嫌な顔をしたアンバーにいい気味だと笑う。その時「やっと見つけた」と肩を掴まれた。血の気が引くとはまさにこのことだろう。
 振り向けば金髪が例の嫌な笑顔を浮かべて立っていた。
「これは陛下、ダンスのお相手は見つかりましたか?」
「たった今見つけたよ」
 こめかみを嫌な汗が伝うのを感じた。気付けば周りの視線はセレン達を興味深そうに取り囲んでいる。無駄な足掻きとわかっていながら、セレンは笑みが引き攣らないように努力しながら「してそのお相手はどちらに」と尋ねた。
 イオが笑顔のままセレンの手をとり、軽く屈んでその甲に口付ける真似をした。手袋をしているから定かではないが、真似で済んでいると思う。今や広間中がイオの一挙一動を見ているのではないかという錯覚もした。視線を上げたイオがにっと笑い、よく通る声で言った。
「今夜咲き誇っている花々は、どうにも私には手が届かぬほど美しい。あまりの美しさに近付くことすら躊躇われてしまう。花に近付く為の勇気を授けてはくれないか」
 客の姫があんまりにも綺麗だから近付くのが恥ずかしい。綺麗な姫と踊る前に練習させてくれ。
 普通客人を蔑ろにしては顰蹙を買うが、イオの年齢も手伝ってこの言い訳は温かく迎え入れられたようだった。何人かの初心な姫は顔を赤くしてくすくすと笑っているし、王子達も笑っているが、そこに嘲るような色はない。覚えがあるのだろう。
 上手く逃げたな、とイオの思考に感心し、「それなら慎んでお受け致しましょう」とセレンは頭を下げ、フードを下ろした。留め具を外してフードマントを脱ぎ、近くにいた兵士に渡す。下ろしたままの髪を後ろに払い、セレンはイオに笑みを向けた。
 呆けたような顔をしていたイオは、すぐに了解したとでも言うように笑い返してくる。フードマントを受け取った兵士も、周りを囲んでいた客人も、ただただ呆気に取られたようにセレンを見ていた。
 真っ白な服はディアノイアの正装の型を基本としていて、襟が高いから喉仏が見える心配はないし、誤魔化し様のない手も手袋が隠してくれていた。曲線に乏しいセレンの身体も、ゆったりとしたシルエットが覆い隠してくれている。それどころか、所々に入れられた白い刺繍が控えめに女性らしさを主張していた。
 本当に器用だな、とセレンは茶色のふわふわとした髪を思い浮かべ改めて感心する。あの後スイの提案に乗ることを承諾した時、イリスが作ったといって出されたのがこの服だった。どうやら自分が女の振りをして宴に出るのは前提事項だったらしい。
 散々男の証明ができるだなんだ言っておいてこれだ、とセレンは壁際に控えているスイを睨みつけた。
「今日の仮面は皺ひとつないな。若作りでもしてみたのか?」
 イオが目配せをして、セレンの顔上半分を覆う白い仮面を指先でそっと撫でた。仮面はこれといった装飾もなく、ただ細く開いた目の周りが黒く塗られている。
「私はしがない雑草ですので、着飾ったからといって増す美しさは持ち合わせておりません」
 そこでようやく楽隊が自分の仕事を思い出したのか、広間に音楽が流れ始めた。イオがセレンの手をとりステップを踏む。しばらくセレン達を呆気に取られたまま眺めていた客人たちも、我に返ったようにパートナーを見つけて踊りだした。ちらりと視線をやれば、仏頂面のアンバーが幸せそうなエトピリカを相手に踊っている。
「お前本当に面白いな」
 不意に耳元で囁かれ、セレンは口の端を吊り上げた。
「主役がダンスの相手もなしに突っ立ってる、なんて哀れにも程があるからな。ささやかながら俺からのプレゼントだよ」
「うわ、嫌味」
 口ではそう言いながら、イオは至極楽しげだった。セレンの頓狂に見える行動が面白いのだろう。半ば無理矢理スイにやらされてると言えないこともないが、結局のところセレンも楽しんでいるから多少面白がられるくらいは構わなかった。
「この後は勿論ラシャ様のところにいってくれるんだろうな」
「お前が自分で行けばいいだろ」
「生憎ラシャ様は女に興味はないらしい。俺はレグホーンやグレーネの立派な殿方たちと交流を深めてくるさ」
 セレンが言うと、イオは笑いそうになってからふと真顔になり、セレンを眺め回した。
「なんだよ」
 不審な視線に戸惑う。髭は元々が薄い上に色がついていないから目立つようなことはないだろうし、薄くだが唇に紅もさされている。だが骨格は服で誤魔化すと言っても限界があるし、髪もろくな手入れをしていないからやはり女にしては不自然なのだろうか。
 セレンの懸念を他所に、イオが言った。
「グレーネって確か王の弟が来てるんだよな」
「腹違いらしいけどな」
 何を言われるのかと身構えた矢先のことだったので、少し拍子抜けしつつ答える。今年で27になる壮年の第三王位継承者、ペペルは、セレン個人としてはあまり好きになれない雰囲気の持ち主だった。黒の巻き毛に整った髭は男らしく、造作について言えば悪くない方だろうが、自分の魅力を知っているという振舞いがどうにも鼻につく。けれど今のところ、ヘリオット勢側のウィスタリア勢との境に位置するのがグレーネと、その同盟国のワーテルだ。これまではヘリオットに友好的だったが、今後いつウィスタリアに寝返るかわからない為に、しっかりと繋いでおく必要がある。おまけに“蛇”の依頼の関係もあって、この後の彼との接触は避けられなかった。
「それがどうかしたのか」
 自分と似たような立場だから気になるのかとも思ったが、イオの微妙な表情は違うことを考えているようだ。
「ジンが、あーペペル様についてる給仕だけど、すっげー愚痴ってたからさ」
 濃灰色の瞳をした、物をずけずけと口にするタリカの友人を思い浮かべ、セレンは苦笑する。仕事はできるが些か文句が多いのが玉に瑕なのだ。
 口が緩むセレンをいまだに何とも言えない表情で見下ろすイオに、セレンは痺れを切らして「だからどうした」とせっついた。
 イオは言おうがどうか迷っている風だったが、やがて「大したことじゃないんだけど」と声をひそめた。
「スキンシップ激しいっていうか……すけべ親父なんだって」
 今にもぶん殴りかねなかったからキキサに代わってもらったけど、と続ける。
「だから、まーあれだ、気をつけろよ」
 ジンが良く我慢したな、と感心すると共に、そう言えば好色だから女の方がやりやすいとも言われたことを思い出す。話を聞き出すには女の方が都合が良いと聞くが、ペペルはより引っ掛けやすいということだろう。
 まあジンは確かに、やや気が強過ぎるということを除けば魅力的な女性だ。声を掛けてみたくなる気持ちもわからなくはない。けれどセレンは格好こそ女だが紛れも無く男だ。今でさえ違和感がないかと戦々恐々の状態なのだから、イオの心配は杞憂というものだろう。事実セレンに紅をさしたスイ本人が「気持ち悪い」と笑って涙を滲ませたくらいなのだから。
「ウィンリードは来年建国150周年を迎える。なんとかして良い印象を植え付けろよ」
 150周年の記念には、マルーンと貿易をする数少ない国であるヴァイオーレが必ず参加する。そこで接点を設ける為には今からウィンリードに良い印象を持ってもらい、これからより近しい付き合いを続けたいと思わせる必要があった。
 セレンの言葉にイオが眉を顰める。セレンはこれから近付きたくもない相手と仲良くしなければならないのだ。イオにだってその位はして欲しい。
 アンバーの方は順調みたいだし、と横目で不機嫌な赤毛を窺うと、「本当にわかってんのか」と呆れたような声が聞こえた。
「中身知ってる俺は別だけどな、お前普通に美人だぞ?」
 瞬間イオが顔を歪ませた。「これは失礼」と微笑みながら、セレンは足をイオの靴からどける。どける直前にもう一度力を込めて踏み付けてやった。
「面半分も見えてねえのにか。精々気味悪がられるのが関の山だろ」
「痛い目見りゃ俺の忠告気にしときゃ良かったって思うだろうよ」
 憎まれ口を閉じさせるためにもう一度足を踏み付けたところで音楽が止んだ。涙目のイオに一礼し、セレンは黒い巻き毛を探す。立食形式の為に所々に置かれたテーブルの傍、もっと言えば料理を並べているロベルの横にペペルはいた。
「叶うものなら私はヘリオットに生を受けたかった。こんなにも美しい方に今まで出遭うことができなかったとは、まさに人生の大いなる損失というべきでしょう」
「あの、私は」
 まだ仕事が山ほどあるだろうに、無礼になってはいけないと困った顔をしているロベルの手を実に自然な動作で取り、ペペルがその甲に口付けた。一瞬ロベルの顔が嫌悪に引き攣ったのに気付いたのは、幸いなことにセレンだけだったようだ。
 セレンは見える部分に笑みを浮かべ、「ペペル様」と注意を引いた。ペペルが振り向き両手を大きく広げる。解放されたロベルは今のうちに逃げれば良かったのに、セレンを凝視した。
「これはこれはセレナイト殿。お声を掛けていただき光栄です」
「どうやら我が国での滞在がお気に召したようで何よりです。その給仕に何かご用ですか? 彼女にはまだ仕事があるので、宜しければ私が伺いましょう」
 早く行けと手で示すと、ロベルはようやく我に返ったように頭を下げて小走りで去っていった。可哀想に、と同情を感じるより先に嫌な気配に振り向くと、ペペルがセレンのすぐ近く、手を伸ばすまでもなく体に触れられるような位置に立っていた。
「用というほどのことでもありません。ほんの戯れですよ」
 爽やか、なつもりだろうがソーレのものと違って清々しさを感じない笑みを振り掛けられ、セレンは顔が引き攣るのを堪えて一歩下がった。
 するとペペルがロベルの時と同じように、実に自然な動きでセレンの手を取りその甲に口付けた。背筋の粟立ったのがはっきりとわかる。セレンは今夜初めて手袋をしていることに感謝した。
 上目遣いで微笑み掛けられ、セレンはなんとか笑みを作ることに成功する。ペペルはセレンの手を離そうとはしなかった。
「今宵、兄の名代としてこの場にいられることを大変嬉しく思っております。セレナイト様。我が国にもあなたの名は届いておりますが、やはり噂とはあてにならぬものですね。これほどに美しく神秘的な方を、どうして男や老人などと見間違えましょう。人外のものというのであれば、あなたは御伽噺にでてくる妖精に他なりません」
 セレンとしてはせめて身体を離したくて堪らないが、しっかりと握られた手がそれを阻む。床に引き倒してナイフをつきつけ、血と情報のどちらを垂れ流したいかを迫る方が余程自分の性に合っているし楽なのに。
「公で上着を脱ぐのは初めてのことですので。陽は男、月は女の領分という言い伝えが東方にあるという話はご存知でしょうか。今は夜ですが、明日になり陽が照れば、年を取った老人になっているかもしれないという点では人外のものと言われても仕方ないでしょう」
 言葉の途中でペペルが手を引き、セレンを引き寄せた。近くにいたどこぞの婦人の目が痛い。代わりたければいつでも代わってやる、と声を大にして叫びたいくらいだ。
「夜が終わらなければと、今の話を聞いては願ってしまいます。その仮面に隠された素顔も、明日になれば変わってしまうかもしれないと思うと、一目覗き見たいと考えてしまいますね」
 間近で目を覗きこまれ、向こうから中は見えないとわかっていても不安になり目を閉じる。顔が近いのが酷く不快だ。相手が男、という理由もあるが、他国の、それも王に次ぐ高位の者を平気で口説こうとするこの男の性根も気に食わない。
 スイが聞き出せと言っていたのは、グレーネとウィスタリアとの関係だ。グレーネの国自体はヘリオットに好意的だが、グレーネと親しいワテール皇国はウィスタリアと近年関係を持つようになってきている。地理的な問題もあるのだろうが、ワテールの行いはヘリオットにとって利益になるとは言い難かった。
 足無し蛇なら何処にでも潜めるから、異国に2本足の蛇が介入するとしたら物を拝借したり人を動かす必要がある時位なのだが、ワテールもグレーネも北方の国で足無し蛇が動くには都合が悪い。だからセレンを使うことにしたのだろう。
 まだ“蛇”として扱われていたことに嬉しくなり、提案に2つ返事で乗ってしまった安直な自分が恥ずかしい。
 できるだけ自然な動きで身体を離し、距離を取ってからペペルに微笑む。
「一目でもお目になさったら、ペペル様は次の女性に目を向けてしまわれるのでしょうか」
「とんでもない。私の心は月の精にすっかり奪われてしまうことでしょう」
 再びセレンの手はペペルに取られ、今度は腰に手が回された。鳥肌が立つ。腰に回された手をしっかりと押さえ、セレンはそれ以上の接触を防いだ。
「そうして幾人にも心を分け与えるのはグレーネの気質なのでしょう? ワテールにヘリオット、近年ではウィスタリアにも甘い言葉を囁き掛けているとか」
 セレンの際どい言葉は、幸い戯れの一環として捉えられたようだった。ペペルが楽しそうに笑ったが、その目はさっきと打って変わって鋭い光をたたえている。
「ワテールは我が同志。古来より兄弟然としての付き合いがあります。もっとも彼は近年冷たい女王の色香に迷っているようですが、グレーネは熟女好みなのですよ」
 つまりヘリオットを裏切るような真似はしないということだが、目の冷たさを見る限りでは、思った以上に裏で事態が進んでいそうだ。グレーネに2本足の蛇を潜らせた方がいいと伝えるのが無難だろう。
「こんな無粋な話は祝いの場に相応しくありません」
 抱き寄せることが無理だと悟るやいなや、ペペルはセレンに覆い被さるようにして顔を近づけてきた。
「今宵は満月、月明かりの下で見るあなたはどんなにか美しいことでしょう。昼間拝見いたしましたが、あの中庭からは夜空が美しく見れそうだ」
 もしよろしければ今夜、と耳元で囁かれ、セレンが突き飛ばすか足を踏むかのどちらにしようかの判断をつきかねていた時、聞き覚えのある「セレン様」という声が聞こえた。
「ソーレ殿」
 ペペルの手が緩んだ隙を逃さず、セレンはその手が届かぬ位置にまで下がった。今ほどソーレに会えて嬉しかったことはない。ペペルは不服そうだったが、流石にまたセレンに手を伸ばす真似はしなかった。
「ペペル様、こちらはイローネの騎士で我が国のケイルの従兄弟にあたるソーレ=ケルト殿です。ソーレ殿、こちらはグレーネの王の弟君ペペル様です」
 セレンが紹介すると、ペペルとソーレは互いに軽く会釈した。ソーレが厳しい面持ちでペペルを見下ろしている。僅かにソーレの方がペペルよりも背が高かった。
 イローネはあまりグレーネと親交があるとは言えないが、ウィスタリアとの件は耳にしているのだろう。イローネは昔からヘリオットよりだ。セレンは2人を離した方が懸命だと判断した。
 ペペルを振り向き、「ではこれで」とその場を辞しようとした時、ペペルがセレンの髪に手を伸ばした。
「今宵月の中庭で」
 囁かれ、セレンが返答する前にペペルが髪の一房に唇を滑らす。セレンが言葉を失っている間に、「それではセレン様、後程」と言い残してペペルはその場を去っていった。
 切り落としてしまいたい。ペペルが触れた髪の部分を今すぐに。
 衝動は、公の場であるという意識がなんとか押さえこんでくれた。よく考えればソーレともあまり話したくないのだ、と思い出したがここで辞するのも失礼だろう。仕方なくセレンはソーレを振り返った。
「折角いらしていただいたのに、大したもてなしもできず申し訳ありません」
「いえ、自分のような下の者を招いてくださりありがとうございます」
 セレンが軽く頭を下げると、ソーレも慌てたように頭を下げた。下げたというのにセレンの位置からは後頭部まで見ることができなかった。
「イローネの騎士とは当代一の騎士も同じ。陛下もソーレ殿のご来訪を喜んでおられますよ」
「身に余る光栄です」
 口では言いつつソーレが苦笑した。姫君達から逃げる為、イオが招いた男連中と遠乗りをしていた中にいたのだから当然だろう。そのお蔭かどうかは定かでないが、国同士の交流が盛んでない王子連中が談笑している様が時折見受けられていた。
「それにしてもセレン様、フードを取ってしまわれたんですね」
 驚き混じりの声音に、そういえばと思い出す。ソーレにはこの仮面すらつけていない顔を見られたのだ。勿論髪色だって、今と違うのに気付いているだろう。
 どう言い訳すればいいだろうかとセレンが頭を働かせていると、ソーレが耳の後ろを掻いた。
「その、自分はセレン様がずっと赤い髪をしていると思っていたので驚きました」
「……ああ、あの時は夕陽が差し込んでいましたからね。あの時は大変失礼を致し申し訳ありませんでした」
「セレン様が謝られることはありません、俺が勝手な真似をしてしまったせいで」
 狼狽するソーレをよそに、セレンは内心ほっとした。思わずだろう、俺、と言ってしまったことに気付いてソーレが赤面した。
「お気になさらず。公の場と言えど、ここは親交を深める場でもあります。それとも私とソーレ殿の間には、深めるような親交がないのでしょうか」
 慌てる様が面白く、もう少しからかいたくなる。けれどソーレの背後から近付いてきた赤髪を見てその気は失せた。
「ソーレ、お前んとこのアレどうにかしろ」
 この場に似つかわしくない不機嫌丸出しといった様子のアンバーが、それでも一応気は遣っているのだろう小声でソーレを睨みつけた。それから初めてセレンに気付いたようで視線を下ろし、そのまま動きを止める。
「お前なんだその格好」
 その言葉は勿論、セレンの紅を差した唇や女性的な型の服に向けられたものだろう。先程3人で並んでいた時は、長いフードマントに隠れて見えなかった部分だ。
「似合う、と誉めてもらえると思ったのですが」
 笑顔で返してやると「気色悪い」と返ってきた。この男にこそ、ここが公の場であることをもう少し意識して欲しい。
 セレンとアンバーのやり取りに、ソーレが困惑の表情を浮かべる。けれどセレンは気付かない振りをしてアンバーを振り向いた。
「まさかエトピリカ様にも同じことを言ったんじゃないでしょうね。くれぐれも客賓に無礼のないようにとあれほど申しましたのに」
「うっせーよ関係ねーだろ。あいつなら巻き毛のおっさんに捕まってたぞ」
 人にあんなことを言っておいてすぐこれか、とセレンはペペルに心中でため息をつく。イオはと広間を見まわせば、セレンの言いつけ通りラシャと話しているのが遠くにあった。
「なあ、俺もう帰ってもいいか」
 うんざりとした表情のアンバーに、セレンは笑顔で却下をくだす。
「3度のダンスが終われば解散だと初めに申しました。後2曲分は堪えてください。もうすぐ次の曲が流れますよ」
 それに後2晩はありますからね、と付け足すと、アンバーが期待通りの歪んだ表情を返した。
 このまま行けばイオはラシャと踊るだろう。相手の足を踏まなければいいのだが、と心配しかけ、そういえばさっき踊った時は上手かったなと思い出す。リリーの特訓の成果だろう。
 アンバーにはあんなことを言ったが、自身はさっさと引っ込むつもりだったセレンが踵を返そうとすると、「セレン様」とソーレがやや上ずった声で言った。振り向くと、ソーレは咳払いをしてから続けた。
「もしよければ、次の曲は自分と踊っていただけませんか」
 その瞬間のアンバーの顔を、セレンは一生忘れることはないだろう。


'08/01/16


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